2021.05.24
行き倒れのおじいさんが起源!?長野で生まれて400年の「養命酒」誕生ヒストリー
幅広い世代に絶大な知名度と人気を誇る「養命酒」。北海道から沖縄まで、いまや日本全国に知れ渡っていますが、じつは長野県出身だって知ってましたか?
しかもなんと約400年の歴史があり、現在でも駒ヶ根市にある工場で製造をおこなっているなど、長野県生まれの企業なのです。
養命酒はどうやって生まれたのか、なぜ長野県で生まれたのか――。創業までの歴史から、クラフトジンの開発やショップ運営など、幅広く発展を続ける養命酒製造にお話を聞いてきました。
- お話を聞いた人
- 依田保さん / 駒ヶ根工場総務グループリーダー
1986年入社。駒ヶ根工場にて長年製造現場と総務を経験した後、複合商業施設「くらすわ」の立ち上げに従事。「養命酒健康の森」のチームリーダーを経て現在は総務グループリーダーを務める。四季を感じられる豊かな自然環境で仕事ができることが最大の喜びと語るほど自然好き。
谷村孝之さん / 経営管理部副部長
SIer勤務時に、当社の情報システム構築を担当したことが縁で2003年入社。情報システム全般を担当し、2020年からは経営管理部門を兼任。好きな自社商品は「養命酒製造クロモジのど飴」。
岩渕由香利さん / 経営管理部
養命酒をたくさんの人に届けたいという想いで2010年に入社。営業、人事等を経て、現在は広報・IRを担当。好きな自社商品は「薬用養命酒」。
鶴ならぬ「おじいさんの恩返し」!?もはや伝説級、養命酒の誕生エピソード
――そもそも養命酒って、なにがキッカケで生まれたんでしょうか?
依田:信州伊那の大草村、いまの上伊那郡中川村あたりの庄屋であった塩澤家が、慶長7年に養命酒をつくりはじめたと伝え聞いています。
――慶長7年って1602年……徳川幕府が誕生する前から!
依田:なんでも、旅の途中で行き倒れていた老人を、当時の当主・塩澤宗閑(しおざわ そうかん)翁が助けたそうで。その老人は塩澤家で3年ほど養生した後、塩澤家を去るときにお礼として養命酒の原型になる薬酒のつくり方を当時の宗閑翁に教えたんですね。それが、養命酒の始まりだと言われています。
――老人を助け……? 養命酒にそんな昔ばなしみたいなエピソードが!?
依田:そうなんです。ちなみに宗閑翁は老人から伝え聞いたレシピで薬酒をつくるにあたって、牛に乗って山に分け入り、薬草を探したという伝承もあります。
――鶴ならぬ「おじいさんの恩返し」だ……!
――ちなみに、当時の伝え聞いたレシピといまの養命酒に違いはあるんですか?
谷村:確認できる記録ですと、1813年の書物に残っています。それによると当時は8種類の生薬を使用していたようです。生薬の組み合わせは時代とともに変化していて、現在は14種類と、使用する生薬は増えています。
依田:時代とともに配合を変えて、現在の形に落ち着きました。
テレビCMが大ヒット!養命酒が親子三代愛される全国イチの薬酒になるまで
――いわゆる薬酒って養命酒以外にも世の中にいろいろありますけど、それらを説明するときに「要するに養命酒みたいなやつ」って表現することが多々あるんですよね。もはやいち商品を超えて「生薬・ハーブを漬け込んだ液体」を表現する際の代名詞になっていることからも、養命酒ってすごいなあと感じます。
依田:ありがとうございます。
――長野県でつくられてから、養命酒と聞けば国内ほとんどの人が知っている今日にいたるまで、どんな歴史があったんでしょう。
岩渕:1602年に誕生した養命酒は、近隣の人々に分け与えるなどされ、人気を博していきました。その後、養命酒の薬効をより多くの人に役立てたいとの思いから会社化し、東京へ進出したのは大正12年、1923年になります。
谷村:大正の東京へ進出したばかりの頃は「養命酒って何?」といったような状態で、苦戦した時代が続いたそうです。販促活動をしていた担当者は相当苦労をしたようで。広告の旗を立てたり、ラジオCMを放送したり……。
岩渕:創始者にあやかり、牛に乗って宣伝活動をおこなったりもしたようです。地道な販促活動によって、じわじわと知名度を上げていったと聞いています。
――養命酒が世の中に広まる、何か大きなきっかけになるようなことは?
依田:きっかけになったのは1965年頃から始めたテレビCMですね。白黒テレビが一般家庭に普及しきった頃で、これが非常に時代とマッチしました。これにより、全国的に知名度を高めることができたと思います。
谷村:よくお客さまから聞く話が、おじいちゃん・おばあちゃんの家に行くと戸棚に必ずあって、それを大事そうに飲まれていたと。
――そうか、その時代のテレビCMはおじいちゃん・おばあちゃん世代ど真ん中ですもんね。「『薬用養命酒』が滋養強壮に効く」という情報が広まって、結果としてずっと飲み続けているお家が多いのかもしれない。私のおばあちゃんの家にもありました!
谷村:養命酒が家にあるという光景は、もはや「故郷の風景」のひとつかもしれません。
――「故郷の風景」。いい言葉だなあ。しかもお年寄りの飲み物で終わらずに、親世代、私たちのような孫世代にもきちんと魅力が受け継がれていますよね。
依田:「薬用養命酒」には冷え症や胃腸虚弱、食欲不振など7つの滋養強壮に効果があります。冷え症や胃腸虚弱は若い世代でも抱えやすい不調ですよね。身体の調子を整えたい多くの方に飲んでいただきたいという思いがあり、CMのイメージキャラクターにどなたを起用するかはとても意識しています。
――2017年から2020年までは藤井隆さんと乙葉さん、ご夫婦での出演が話題になりましたよね。「いまどきの等身大の夫婦」って感じのCMで、親近感が湧いたのを覚えています。
依田:また、ここ数年はSNSの運用やキャンペーンなども積極的におこなっています。養命酒の抱き枕や腹巻きなどはネット上でも話題になりました。
――公式キャラの「ビンくん」、シュール可愛くてめっちゃ好きです! 「養命酒製造って、おもしろい!」をきっかけに、製品の効能にも触れてくれる人が増えるといいですよね。
県の名産を味わえるショップ、工場見学も。地元・長野に貢献し続ける養命酒製造
――養命酒の企業としての地元からの認識はいかがですか。
依田:2010年に諏訪湖のほとりに「くらすわ」という商業施設をオープンしました。県内産の商品を中心に販売するショップ、レストラン、ベーカリーが併設された施設で、現在は諏訪の本店に加え長野駅、松本市内、また東京スカイツリー®のふもと、ソラマチ商店街にも店舗があります。
――ショップでの販売品は養命酒製造がつくったものだけではないんですね。
依田:はい。「くらすわ」の大きな目的の1つが地域に貢献することでした。もともと会社の保養地が諏訪にあったことと、長年のお付き合いから長野県の良いものを調達できるルートを持っていました。諏訪に観光に来た方に長野県の名産品を販売して、長野県を知ってもらうことに寄与できればと。
――長野県は広いですし、名産品がひとところに買えるのは県外のお客さんも嬉しいと思います。ロケーションも抜群だなあ!
依田:毎年夏には諏訪湖の湖上で花火大会が開催されるのですが、期間中は県内・県外問わず多くのお客さまに足を運んでいただいています。
――駒ヶ根工場はいかがでしょう?
谷村:やってくる方々にひらかれた工場を意識しています。まず工場の敷地なんですが、36万平方メートルありまして。
――広〜っっ!! 調べたら東京ドーム約7.7個分の広さがあるんですね。
谷村:その敷地の7割が森林で、散策路として整備した「養命酒健康の森」もその一部です。むしろ広大な森林のごく一部に工場があるといってもいいくらいの規模かもしれません。ほかには養命酒記念館、工場建設中にたまたま出土した遺跡も敷地内にはあって、それらの施設は無料でご覧いただけます。
――い、遺跡も……!?
谷村:もともと水が豊富な地域なので、人々の暮らしの場だったんでしょうね。土を掘ると遺跡が出てくるんです。敷地内には縄文・弥生・平安時代の復元住居が展示されています。
――誰もが気軽に工場の敷地内を見学したり森を散策したり、歴史を学んだりもできるんですね。
岩渕:工場見学も事前予約をしていただければ、無料でできます。ちなみに、工場見学をスタートした1972年当時は「見学を前提とした工場」というのは珍しかったと思います。
――工場見学という言葉もメジャーではないなか、かなり先を見越してつくられたんですね。
依田:地域との共生は養命酒製造の非常に大事なテーマなので、昔からそこは意識していました。
谷村:ちなみに「養命酒健康の森」は、15年ほど前までは植林された木々が生い茂る暗い森でした。ですが、日本の里山はもともと広葉樹が多く、枝を薪にしたり木の実を食用にしたりと、森とともに人の営みがあったんですね。そういう昔ながらの里山の風景を、すこしずつ手をかけてつくったんです。
谷村:いまでは春夏秋冬が感じられて、地元の方々に愛される、散策が楽しい森になりました。いろんな昆虫や鳥、動物なども住んでいるので学校の課題や自由研究にもちょうどいいみたいです。
――(Webページを見ながら)面白そうなイベントも定期的に開催されてるんですね。
依田:そうですね。工場敷地内、「健康の森」のなかにある枝や葉、ハーブ園のハーブをつかってリースをつくったり、ハーブやスパイスをブレンドしてカレー粉をつくったりといった催しも開催しています。
――こんな場所がある駒ヶ根市周辺の方々がうらやましい!
生薬・ハーブのプロだからこそ「豊かな健康生活」を発展させていきたい
――伝統的な「養命酒」をはじめ、新商品の発売、地域の人々に開かれた工場やショップの運営など、本当にさまざまな取り組みをされていますよね。記憶に新しいのは2019年に発売されたクラフトジン。めっちゃおいしいですよね、あれ……。
依田:ありがとうございます。きっかけとしては2010年に発売した「ハーブの恵み」(現在は「夜のやすらぎ ハーブの恵み」にリニューアル)というリキュールがあるんですが。
――知ってます! これもスーパーなどでよく見かけますよね。
依田:当社のハーブに関する知見や技術を活かしてリキュールをつくってきて、次の一手として、新たな商品がつくれないかといろいろ考えた結果、クラフトジンに行き着いたんです。
岩渕:ただ、クラフトジンは、いざつくるとなると大変で……。
依田:「香の森」は、日本に昔から自生している「クロモジ」というハーブを前面に立たせているんですが、なかなか香りをうまく引き出せなくて苦労しました。最終的には、名前の通り森林浴をしているような香り立ちのクラフトジンに仕上げられたので、ぜひ試していただきたいです。
――養命酒製造さんでもハーブの扱いには苦労されるんですね……! 長年、生薬やハーブを研究されてきた強みは今後どのように発展していくのでしょうか?
谷村:ひとつ大切にしているのは、経営理念でもあるお客さまの「健康生活に貢献する」ということですね。私たちが得意とする技術を通して、さまざまな場面でその機会をご提供し続けていけたらなと。
――製造の現場としてはいかがでしょう?
依田:強みにしている生薬・ハーブ・ボタニカルといった素材の扱い、それらをお客さまの生活に親和性のあるもので提供していきたいです。さきほどのクラフトジン「香の森」も、当社の特色を活かした個性あるジンになっています。「養命酒製造がつくる」ということが腑に落ちる……と表現すればいいのでしょうか、お客さまにも受け入れられやすい、私たちらしい商品をつくっていきたいですね。
――ちなみに、今後もずっと長野県で製造を続けていく予定ですか?
岩渕:そもそも養命酒って長野県でしか製造したことがないんです。現在も、すべての「養命酒」は駒ヶ根工場でつくられています。
谷村:この辺りの土地は花崗岩の地層で、いい軟水が流れていて、それが製造にぴったりなんです。すぐにほかのエリアでつくるのは難しいと思いますね。
――養命酒が養命酒たりえるのは、長野の気候風土があってのことなんですね!
谷村:そうですね。ただ、私たちは駒ヶ根市に仲間入りさせてもらったという気持ちも持っています。工場を建てさせていただいているからには、場所を解放して多くの方に養命酒を知っていただく機会をつくる、そして地域の森や水を守り続けることを大切にしていきたいです。
――それも大きな意味での「豊かな健康生活に貢献する」ということなんだと思います。素敵なお話、今日はありがとうございました!
取材を終えて
長年愛されてきた「養命酒」。
人々の不調を癒す一杯には、まるで民話のような誕生秘話から、多くの人々に認知されるまでの苦労と時代背景に応じたマーケティング、そして養命酒が生み出され続ける土地・長野への畏敬と感謝の念が、生薬と同じくらい深く深く溶け込んでいました。
ありがとう養命酒、ありがとう長野の水と森。
これからも健康でありたいと願う全国の人々が、その恩恵に預かりたいと思います。
余談ですが養命酒は冷蔵庫で冷やすと飲みやすいです。冷蔵庫の牛乳などをしまうところにちょうど入ります!
撮影:小林直博
編集:木村衣里(Huuuu)