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「自分勝手で文化は死ぬ」自遊人の岩佐さんが借金14億して描く、ある温泉街の未来

「自分勝手で文化は死ぬ」自遊人の岩佐さんが借金14億して描く、ある温泉街の未来

松本の奥座敷、浅間温泉での挑戦が、いつか日本を変えるかもしれない――。

長野県松本市にある「松本十帖」、ご存知ですか?

なんとなく名前を聞いたことある人は「高級旅館だっけ?」と思うかもしれません。単なる高級旅館と思っていたそこのあなた!

全然違うんです!!!!

そもそも松本十帖とは、高齢化が進む浅間温泉エリア一帯をリノベーションするプロジェクトの名前。

松本十帖HPより

敷地内には、二つの宿があります。ひとつは創業334年の老舗旅館の名を引き継ぐ「小柳」。そして、もう1つがブックホテルとして蘇った「松本本箱」。どちらも旧小柳をリノベーションして、2020年7月にプレオープン。グランドオープンはコロナ禍の影響で遅れていますが、感染拡大が収まり次第を予定しているそうです。

写真手前が「松本本箱」、奥に見えるのが「小柳」
「松本本箱」の入り口

さらに松本本箱の中には、委託醸造のオリジナルシードルや日本酒を取りそろえた「本箱Bar」 、

新しい知との出会いをコンセプトに据える「Book store 松本本箱」。

「小柳」の一階には、「ALPS BAKERY(アルプスベーカリー)」。

「小柳」「松本本箱」のすぐそばのエリアには、静かな空間で自分を見つめるブックカフェ「Cafe 哲学と甘いもの。」(なんとおしゃべり禁止!) に、

一杯ずつ丁寧にハンドドリップしたコーヒーを提供する「Cafe おやきとコーヒー」。これらすべての総称が「松本十帖」なんです。

松本十帖を手掛けたのは、雑誌『自遊人』で知られる株式会社自遊人。

代表の岩佐さんは「子育て世代の若い人たちがベビーカーを押して、おじいちゃんおばあちゃんとゆるやかに交流するような風景を目指している」と語ります。

話し手
岩佐 十良さん
クリエイティブ・ディレクター。編集者。株式会社自遊人代表取締役。株式会社小柳代表取締役。1967年、東京・池袋生まれ。1989年、武蔵野美術大学在学中に現「自遊人」を創業。代表取締役に就任。2000年11月、雑誌「自遊人」創刊、編集長に就任。2014年、新潟県大沢山温泉に「里山十帖」をオープン。2018年、「講 大津百町」(滋賀県大津市)、「箱根本箱」(神奈川県箱根町)が開業、多数の賞を受賞する。2020年には「松本十帖」(長野県松本市)を開業。

バブル以降、人通りの少なくなっていた浅間温泉エリアは、松本十帖によって「歩きがいのあるエリア」へと生まれ変わりました。しかし、それはコロナ禍の真っ只中である2020年のお話。

2020年春に開業する予定だった松本十帖は、結果的に7月23日にプレオープン。経済的な損害よりも、松本も長野も日本も地球も大混乱のなか、カオスな状況と共に宿の運営を続けなければならないことが何より大変だったといいます。

まさに前途多難。前途多難以外のなにものでもない。

さらになんと、総投資額は14億円を超える。

まさに命がけ。命がけ以外のなにものでもない。

岩佐さん……、息、してますか!?

今こそ深呼吸、深呼吸〜!

スーーーハーーー!

岩佐さ〜ん!

実際のところ、「松本十帖」がどうなっちゃってるのか、どんなことを思い描いているのか、教えてください!

聞き手
くいしん
1985年、神奈川県小田原市生まれ。インタビュアー、編集者、ライター。高校卒業後、お笑い芸人やレコードショップ店員を経て、音楽雑誌編集者に。その後、webディレクターやweb編集者の経験を積んだのちに独立し、くいしん株式会社を設立。ワーケーションしながら日本中で取材をしています。ハワイと宇宙が好き。

浅間温泉はきっと蘇る

くいしん
そもそも岩佐さんはなぜ松本の浅間温泉エリアを、大きな挑戦をする場所に選んだのでしょう?
岩佐さん
一言でキーワードを言うなら、「文化的」。文化が集積した場所という点で、浅間温泉、ひいては松本に潜在的なポテンシャルを感じたからです。
くいしん
潜在的なポテンシャル。
岩佐さん
まず浅間温泉には、めちゃくちゃ歴史があるんです。プロジェクトの走りとなる「小柳」を僕たちが引き継いだのは、2018年の3月。その頃に「ここはただの郊外にあるイチ温泉街じゃない」と気づきました。
くいしん
ただの温泉街ではなかった……?
岩佐さん
浅間温泉には「山の手通り」という通りがあります。その一帯は室町時代から、たった30年前のバブルの頃まで、ずっと栄えていたんです。
くいしん
室町時代からというと、500年以上も前から。
岩佐さん
信濃国の国府が置かれていたし、もっと昔の話では5世紀に古墳があり、勾玉や天冠が発見されたなんて話もあります。

5世紀のものと言われる「桜ヶ丘古墳」からは多くの装飾品等が出土されている。中でも天冠は、同じ時期の朝鮮半島から出土された金銅冠と似ており、当時から朝鮮半島との交流があったと推測される。江戸時代には初代松本藩主により「御殿湯」が置かれ、城主や臣下の武士たちの別邸も建ち並ぶようになり、浅間温泉は「松本の奥座敷」と呼ばれるようになった。大正から昭和30年代には、松本駅から浅間温泉まで、路面電車(チンチン電車)が朝5時~夜12時まで、多くの乗客を乗せて走っていたという。

参考:浅間温泉旅館協同組合公式サイト
岩佐さん
それだけじゃない。今では自然湧出の温泉が枯渇している温泉地も多いですが、浅間温泉では1300年以上も前から源泉が絶えず湧き続けているんです。
くいしん
1300年以上も前から……。
岩佐さん
そういう地の利があることも含め、「浅間温泉には地力がある」と僕は思っています。バブル以降、徐々に元気がなくなってしまっているかもしれない。ですが、浅間温泉はおそらく、蘇る
くいしん
それは、岩佐さんや松本十帖の力で?
岩佐さん
というより、歴史のなかで流行していたものは、今後もまた流行すると僕は思っているから。浅間温泉は、わずか約30年間、ちょっと歩く人が少ないだけ。この温泉街に人が歩く可能性は十分ある。それだけのポテンシャルがあるから、ここでやろうと思いました。

高齢化が進んだエリアに「ベビーカーを押す光景」をつくりたい

くいしん
「浅間温泉が蘇る」というお話と共に、「人が歩く」という言葉が出てきました。
岩佐さん
復活の一番のポイントは、「浅間温泉エリアにある湯坂や山の手通りをたくさんの人が歩くこと」なんです。そもそもここは、松本市内でも高齢化が進んでるエリア。でも僕は、観光客だけでなく、このあたりで生活する若者を増やしたい。
くいしん
具体的にはどんな若者を想像していますか?
岩佐さん
僕はね、子育て世代の若い人たちがこの辺でベビーカーを押している光景をイメージしています。生活のなかでベビーカーを押しながら、「浅間温泉って、便利なところよね」と言ってるような。
くいしん
実際に松本十帖は、エリアリノベーションとして様々な施設をオープンしてきました。
岩佐さん
カフェも本屋もベーカリーも、形式上はオープンしましたけど、僕らがやろうとしていたことはまだひとつも手についていないのが正直なところ。2020年7月のプレオープン後、コロナによる世の中の変化に対応するので精一杯な状態で、この1年弱は営業してきました。
岩佐さん
イベントひとつとっても、やろうとしていたことは全然できていません。僕ら松本十帖は、浅間温泉に人が歩く環境をつくりたいんです。だから当然オープニングセレモニーみたいなことをやりたいし、イベントもやりたいんだけど、まったくできていない。
くいしん
しかも松本十帖って、岩佐さん個人が借り入れて自己資金でやられているんですもんね。経営者としてはしんどすぎる状況……。
岩佐さん
そうですね。総投資額は、14億くらい。
くいしん
14億円!?
岩佐さん
そんななか、日帰りで立ち寄れる松本十帖のプロモーションも、一切やれていません。やろうと思えばできるのかもしれませんが、僕たちはやらない選択をしました。
くいしん
なんと。それはどういう意味でしょうか?
岩佐さん
僕たちが手がける新潟の『里山十帖』(2014年5月に開業)ではPRもまた違って、このコロナ禍でも、首都圏のお客さんもどうぞお越しくださいというスタンス。なぜなら里山十帖は周りに何もないし、地元の人が外から来た人と接触する機会もないから。
くいしん
そっか……。
岩佐さん
でもここは、松本が交通の要所で、市街地の観光がベースになるがゆえに「どうぞ来てください」とはなかなか言えません。
くいしん
実際に構想されていたイベントには、地元のお年寄りと若者が交流できるものもあったとお聞きしました。
岩佐さん
ええ。ベビーカーを押すくらいの親御さんとおじいちゃんやおばあちゃんが、カフェやブックストアなどでクロスすればと思っていて。そこでまた新たな交流が生まれたり、新たな企画が生まれたり……なんてことになればいいなと構想していました。
岩佐さん
でも、プロモーションもイベントも一切できないのは、正直つらいです。本当のグランドオープンは、開業から毎月、地元のいろんな人たちを巻き込むようなイベントを次々と用意していくイメージだったので。なのでグランドオープンはコロナの感染拡大が収まるまで、しばらくお預けです。
くいしん
やりたいことが何もできない状況が続いているんですね。
岩佐さん
浅間温泉でベビーカーを押す姿を見るための一歩目として、まずはここに来る旅人と住人の交流接点をつくるのが、本当にやるべきことですから。

幅広い世代間の交流が、文化やコミュニティを守る

くいしん
ここまでの岩佐さんのお話から、若い子育て世代がお年寄りと交流するとか、幅広い世代間でコミュニケーションを取ることに対して、どんな価値を見出しているんだろう?と疑問に思いました。
岩佐さん
一番の価値は、文化が守られることです。
くいしん
文化が守られること。
岩佐さん
社会的には今、核家族化や個人化が進んでいますよね。「より自由に」と思うのも、自分のことを考える上ではよいことなのかもしれない。けれど、自由を悪い方向に突き詰めると、そこにあるのは自分勝手なんじゃないかと、僕は思うんです。
くいしん
自由から転じて自分勝手に生きるというのは、どんな状態でしょう。
岩佐さん
「自分勝手に生きる」というのは、そこに文化があっても「自分はその文化とは関係ない」といって生きること。誰かと協調せず、自分はそこでひとりで生きる方向に行くことは、文化、あるいはコミュニティの崩壊つながるんじゃないかと想像します。
くいしん
自分の目の届かない範囲の出来事に、無関心でいてしまうような。
岩佐さん
たしかに個の時代にいい部分はある。けれど、それが行き過ぎると結局はエゴとエゴのぶつかり合いになって、世の中は平和じゃなくなってしまう。自分だけの豊かさを追い求めてしまうと、自分の利益しか語らなくなってくるし、実際に今って、そうなっていると感じます。
くいしん
トランプが生んだ分断とか、コロナの「ただの風邪派vs深刻派」とかもそんな感じがします。
岩佐さん
そう。そうやって分断が進んだ社会で経済的弱者になったとしても、「それは仕方ないよね」って話になっている。
くいしん
なんでも自己責任になってしまうのは、個の時代の特徴かもしれませんね。
岩佐さん
「仕方ないよね」「自分はそうならないようにしよう」みたいなね。その他人にドライすぎる状態が、結局は「お金を持っていればいいんでしょ」という極論になってしまうわけです。
くいしん
それはちょっと、さみしいです。
岩佐さん
自分は負けちゃいけないわけだから、どんどんお金の話になっていく。そうすると社会は壊れていくと思いませんか。
くいしん
社会が壊れて、文化が失われていきそう。
岩佐さん
生き残る人と生き残れない人、その環境に適応できる人と精神が病んでしまう人が生まれちゃう。そうなったらもう、「仕方ないよね」「かわいそうだよね」じゃすまない状態じゃないですか。
くいしん
本当にそう思います。
岩佐さん
とはいえ、大家族と村社会がすべてよかったのかと言えば、もちろんそうじゃない。そうじゃないけれど、よかったところは見習って、バランスを取れるように活かさないといけない世の中になってきていますよね。

松本十帖プロジェクトは「松本モデル」の第一歩

くいしん
個の時代のなかでも、松本という土地は、岩佐さんから見てどう映っていますか?
岩佐さん
僕ね、松本は非常におもしろい街だと思うんです。松本との縁は、じつは小学生の頃からあって。毎年、家族で上高地に行く途中、松本に寄っていました。
岩佐さん
それから10年以上が経って、今度は雑誌『自遊人』の取材で来るように。白骨温泉や奥飛騨に取材に行くとき交通の要所として松本を使っていたんです。その後、松本が工芸の町として知られるようになった頃、また訪れるようになって。
くいしん
岩佐さんのなかで3回も松本ブームが!
岩佐さん
そのうえで、松本には「松本コミュニティ」がちゃんと成立していると感じていました。
くいしん
松本コミュニティ、と言いますと?
岩佐さん
松本って、域内の経済循環がしっかりしているんです。
くいしん
「松本経済圏」みたいな。
岩佐さん
松本周辺には、エプソンで知られる電子機器メーカー「セイコーエプソン」をはじめ、大企業の工場や物流センターなどがたくさんある。その事業所は松本にもあるし、松本が完全独立でやっていけるかと言われたら、もちろんそうではないけれど。
くいしん
けど……?
岩佐さん
でも松本は中小企業や職人の方もちゃんと域内の経済活動のなかにいて、そのうえで経済循環がしっかりしている。浅間温泉にポテンシャルを感じたんだけど、じつは一番最初に惚れたのは松本でした。
岩佐さん
松本の人口は約24万人なんですけど、この時代にほとんど減っていないんです。新幹線も通っていない土地なのにですよ。人は訪れるけれど、住んでいる人が出ていくことはほとんどない。
くいしん
本当にすごいことですよね。
岩佐さん
そうすると、松本から「新幹線が通らなくてもいいんだぜ」「なんでも東京の理論を真に受けなくていいんだぜ」というコミュニティや文化をつくっていけるし、発信していける。そういった面で、松本に文化的魅力を感じたんです。そして、最終的には日本中の地域がこの「松本モデル」を取り入れられるようにしたい。まあ、先の長い話ですし、松本市民がみんなで取り組まないと到底無理な話ですけれど。
くいしん
松本モデルは、日本の他の土地にも応用できますか?
岩佐さん
僕は、24万人都市だからできる可能性と説得力があると思っています。そもそも人口規模が小さければ小さいほど、域内で経済循環しながら文化とコミュニティが守られている社会は成立しやすい。ただ、5千人の村だと、東京の人からすると説得力に欠ける。
くいしん
規模が伴っていない、と言われてしまいそうですね。
岩佐さん
でも24万人の松本でこれができたら、ちょっと馬鹿にはできない。なぜなら日本の中堅都市は多くが20万人から30万人。松本モデルが完成すれば、松本より大きな都市でも小さな街でも、東京の1000万人都市とは異なる方向で、「僕らは何万人都市をやっていこうよ」となれる。
くいしん
夢がありますね。
岩佐さん
そして東京とはまったく異なる経済指標と生活水準の指標がつくれるはず。それが松本のおもしろいところです。
くいしん
その第一歩目は、浅間温泉を歩く若者を増やすことから。
岩佐さん
浅間温泉を歩く若者が増えても、ここに住んでいる方々の生活がいきなり豊かになるわけではないけれど、きっと豊かになる一歩目にはなる。そのあと、実際に浅間温泉に住んでいる人の喜びが増えていくことが第二ステップかな。
くいしん
松本と浅間温泉のポテンシャルと同時に、松本十帖のポテンシャルをめちゃくちゃ感じました。
岩佐さん
「信州大学も近いし、幼稚園も運動場もある。しかも毎日温泉に入れるし、ここってすごい便利なところよね」なんて、ベビーカーを押す若い親たちが話すような浅間温泉になったらいいなあ、なんて日々妄想しています。

撮影:藤原慶
編集:友光だんご(Huuuu)