移住したくなったら

「ローカルは“なぁなぁ“になりやすい。上を見ろ」多くの弟子が集うワインバー店主が、最後に伝えること

「ローカルは“なぁなぁ“になりやすい。上を見ろ」多くの弟子が集うワインバー店主が、最後に伝えること

みなさん、おいしいワインは好きですか?

こんにちは。ライターの小林です。

今回ご紹介するのは、長野の知る人ぞ知る、紹介予約制ワインバー『タベルナ・ロッサーナ』店主・立石滋さん。

行列ができる東京の人気インド料理店「デリー」で工場長を務めたのち、イタリアンやフレンチの世界に飛び込み、重鎮たちと肩を並べる料理人・ソムリエへ……

そんな異色の経歴を持つ立石さんの店では、ワインに合わせて「豚キムチ」や「豚足」など意外性と独創性のあるメニューが多く登場します。

長野で味わえる最高水準の料理とワイン。そんな特別な体験を提供する立石さんに、SuuHaa の藤原編集長とともに話をうかがいに行きました。

SuuHaa 編集長が出禁になった店?

藤原
こ、小林さん、今日の取材、よろしくお願いしますね……!
小林
はい、よろしくお願いします!(藤原さん、なんだか今日は緊張してるな)
藤原
実は、このお店に出禁になったことがあるんです……
小林
えぇ!? どういうことですか?
藤原
説明の前に、中に入りましょう!遅刻するわけにはいかないので!
立石さん
おう、ふたりとも、よく来たな。まぁ、みんなそこに座りな。まずは乾杯しようじゃないの。
藤原・小林
は、はい!乾杯。
小林
あのぅ、先ほど藤原さんが出禁になったことがあると聞いたんですが……
立石さん
そう、友人を誘って予約してくれたんだけど、時間とかを間違えてな。「お前は、うちの店にゲストを呼ぶには早ぇんだ。誰かを誘う前にまず1人で来な」って叱ってやったんだよ。そうしたら、懲りずに何度も1人で足を運んできてな。ワインの世界を教えてあげたのよ。今では良い飲み手になったと思うわ。
藤原
本当に頭が上がらないです……!今日は、立石さんについていろいろとお話を聞かせてもらえたらと思っています。よろしくお願いします!
立石さん
おう、何でも聞きな。

インド、フレンチ、イタリアン。各ジャンルの第一線で。

小林
早速なんですが、立石さんが飲食の世界に入られたのは、いつからなんですか?
立石さん
14歳のときだね。
小林
14歳!? まさかの中学生……。
立石さん
知り合いに頼まれて、長野市内の喫茶店でバイトしたのが最初だね。「ロンドン」という名前の店だった。50年近く前だったんだけど、サイフォンでコーヒーを淹れていたし、アールグレイやピザトーストなんていう、当時としては洒落たメニューも並んでいたりしていたのよ。
小林
そこがキャリアのスタートなわけですね。
立石さん
高校時代も、市内のいくつかのレストランでアルバイトしていたな。卒業後は、とりあえず都会に出たくて東京の飲食関連の求人を探したね。そこで見つけたのが、今では行列店になっている東京のインド料理屋「デリー」。どんなレシピであんな旨いカレーつくってるのか知りたくなって、18歳のときに上京。最初は上野の店舗で働いていたんだけど、しばらくして工場に配属されてな。1年も経たないうちに工場長になったんだ。
小林
18歳であの有名な「デリー」の工場長。いきなりすごいキャリアだ!
立石さん
その後、一度実家の事情で長野に帰ってきた。東京上がりで腕の立つ料理人がいたフレンチレストランで働いたり、自分の店を持ったりしてな。その頃からワインの世界に魅せられていった。でも、当時の長野には、良いワインの流通も情報もない。「やっぱりワインを知るには東京だ」と感じて、もう一度上京したのよ。それが昭和の終わり頃、26歳のときかな。
店内にはかつて働いていたお店での様子を映した写真たちが並ぶ
立石さん
上京した後は、グルメ雑誌を見て、気になる店の門を叩いていった。その中で採用されたのが、吉野建という料理人がつくったフレンチレストランの「光亭」。吉野建は、世界の要人が集まったダボス会議で料理を担当したり、フランス政府から表彰されたりしている超一流のシェフ。「光亭」で働く同僚もフランス料理界の重鎮ばかりだったから、かなり鍛えられたね。最終的にそこでシニアソムリエにまでなったんだ。
随筆家であり、実業家・白洲次郎の妻でもあった白洲正子さんも立石さんのワインを愛した1人
小林
インド料理の第一線を経験した後は、フレンチの第一線に……。
立石さん
その後は、さまざまな場所に呼ばれるようになってな。ハウステンボスの立ち上げに協力したり、迎賓館で料理をつくったりしたこともあった。そして1995年に新宿で独立。2012年、50歳のときに親の墓守で長野に帰ってきたんだ。そして、今の「タベルナ・ロッサーナ」がある。
小林
聞けば聞くほどすごいキャリアですね。長野に帰ってきてからは、いかがでしたか?
立石さん
正直、最初は「この街で仕事なんてできるか」と思っていたね(笑)。料理やワインの価値がわかるつくり手・食べ手・飲み手が東京ほど多くはなかったから。でも、帰ってきた以上は、自分の背中を見せて、良いつくり手・食べ手・飲み手を増やしていこうと思ったんだよ。だから、藤原くんみたいな若くて良い飲み手が育ってきたことはうれしいね。
藤原
ありがとうございます。今は立石さんがイベントを開くと、お弟子さんをはじめ、何十人もの人が集まってきますもんね。
立石さん
巣立っていった弟子たちが、自分の看板掲げて頑張っているのを見るとモチベーションになるね。自分自身、50歳過ぎて長野に帰ってきてからも、技術は伸び続けている。長野の地元食材を、自分らしく解釈して表現できるようになったのも最近。すべての肉を旨く焼けるようになったのも最近。60歳過ぎてようやく料理の神が降りてきた気がしているよ。

ちょうどいい、腹減ったろ。パスタでも食べながら、話を続けようか。

レストランは「ケ」ではなく、「ハレ」の場所。

(トントントン……ジュー……)

立石さん
ほら、できたぞ。食べな。
小林
いただきます!
小林
おほっ、旨すぎる……!こんなおいしいパスタ初めて食べました!

ところで、さっきの話の続きをしてもいいですか? 料理のつくり手の人たちには、どのようなことを教えていたんですか?
立石さん
一番は「下を見ずに、上を見ろ」という姿勢かな。どうしてもローカルになるほど、競争原理が働きにくいから、“なぁなぁ”になってしまいやすい。「これでいい」と思ってしまったら、いくらでも妥協し続けてしまう構造があるんだ。そうなると、どんどん下ばかりを見るようになってしまう。
小林
「80点」を取ろうというスタンスだと、次は「80点の80点」になってしまう。でも、「120点」を取ろうというスタンスなら、次は「120点の120点」が生まれる、ということですかね。
立石さん
120点じゃダメだよ、200点取りに行こうぜ。そうしたら、もし上手くいかなくても120点くらいにはなるだろ。
小林
「上を見る」レベルが違った!
立石さん
俺自身、どんな管理方法だとワインが一番美味しく飲めるか確かめるために、同じ銘柄のワインを800本開けてきた。たとえ同じワインでも、家やほかの店で飲むのとでは全然違う。そこまでしないと200点は取れないからね。
小林
どうして立石さんは、そこまで料理やワインにこだわることができるんでしょう。立石さんにとってレストランは、どんな存在なんですか?
立石さん
俺にとって、レストランは「ケ」ではなく、「ハレ」の世界なんだ。レストランの語源は、フランス語の「restaurer」。「回復する」という意味を表す言葉だ。だからこそ、「立石さんのところに行けば私は回復する」と期待して1万円札を握りしめて来る人に、俺は応えないといけない。ただ空腹を満たすだけではない、特別な体験を提供したいんだ。
壁面にはお弟子さんのお店のショップカードが貼られている。
立石さん
そのために必要なのは、食べ手も飲み手も選ばない、絶対的に美味しい料理とワイン。あとは、お客さんを惹きつけるサービス。結局、お客さんがついてナンボ、カウンターを埋め続けてナンボだからね。サービスには、その人の人間性が表れる。だからこそ、いろんな経験をして生き様を耕していくことが重要なんだ。

「旨いモノを食べろ、美味しいワインを飲め」

立石さん
俺は、インド、フレンチ、イタリアン、さまざまなジャンルの料理に触れてきた。料理界の重鎮とも鎬を削ってきているし、一流の舌を持つ人間たちと膨大なワインを飲んでいる。長野の外でも内でも活動してきたし、それらの視点や技術、経験値はきっと他の人にはないものだと思う。でも、残念なのは、この財産を若い人たちに十分に伝えきれなかったことなんだ。
小林
「伝えきれなかった」?
立石さん
実は、末期ガンなんだ。タベルナ・ロッサーナも、2022年3月13日で一旦閉店する。その後は、弟子たちが引き継いでくれると思うがね。
小林
そうだったんですね……。
立石さん
もともと「ハレ」となりうるサービスを提供できなくなったら、店を閉じると決めていたんだ。きっとこれからは、自分のパフォーマンスを安定して発揮することができなくなるかもしれないからな。
藤原
若い人たちに料理を伝えるのであれば、講習やセミナーという方法もあったと思うんです。でも、立石さんは最後まで店に立ち続けていましたよね。それは、なぜなんですか?
立石さん
結局、料理が好きだからだよ。バーだろうが、レストランだろうが、屋台だろうが、炊き出しだろうが、とにかく料理ができればいい。そこを「立石滋の店」にしてやるから。そんな気概でいるね。
小林
最後に、あえて聞かせてください。これからの若い人たちにメッセージを残すとしたら、どんなことを伝えたいですか。
立石さん
「ちゃんと旨いモノを食べろ、ちゃんと美味しいワインを飲め」と伝えたいな。そうしないと、自分の立ち位置がわからなくなっちまうから。

厳しいことを言うと、今はつくり手が評価されやすい世界。小さな規模でつくって、高い値段をつけて、知り合いがメインの小さな経済圏で回せば、たしかに商いは成立するかもしれない。でも、美味しいかどうかは別の話だ。「これだけ手間暇がかかったから」という理屈で値段をつけるのもわかる。でも、それはつくり手側の事情でしかない。

時には自分の経済圏の外に出る。そして、旨い料理を、美味しいワインを口にする。そうすれば、自分のつくった料理やワインの立ち位置と価値がわかるようになるから。長野の駅前で評価されて満足してもらいたくないんだ。上を見続けて、本当に旨い料理をつくれる人、本当に美味しいワインをつくり、提供できる人が、長野にもい続けてほしいと思うね。

取材を終えて

東京の第一線で華々しいキャリアを歩んできた立石さん。

それでも、「本当は過去の話はあんまりしたくないんだけどね」とこぼします。きっとそれは、過去ではなく、今を生き続けているから。

パスタを振る舞ってくれた後、そのおいしさに興奮する僕たちを見て、「だから、店やりたくなっちゃうんだよ(笑)」とポツリ。厳しさの中に覗かせた、その柔らかな笑顔がとても印象に残っています。

立石さんの背中を見て、料理を味わって、ワインを飲んで、影響を受けた人は決して少なくないでしょう。

“立石さんの”タベルナ・ロッサーナは一旦幕を閉じますが、そのDNAを引き継ぐお弟子さんたちによる新たなタベルナ・ロッサーナの準備が少しずつはじまっています。

立石さんも、体調が良いときには顔を出すとのこと。

「200点」のワインや料理に触れてみたい方、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。