2024.07.30
愛され続けた味を絶やさないために。「オブセ牛乳」三代目後継ぎ夫婦の大奮闘記
こんにちは、ライターの風音です。
みなさん、牛乳はお好きですか?
長野県民ならきっと誰もが一度は目にしたことがある、三日月に寝そべる赤ちゃん天使のロゴ。このロゴを見ただけで、思わず喉がゴクッと鳴る人もいるのでは?
このレトロでどこかかわいらしいロゴは、長野県・小布施町の老舗牛乳メーカー「オブセ牛乳」のものなんです。
地元・小布施だけでなく、長野県、そして県外でも愛されるオブセ牛乳は、創業当時から変わらず守られ続けてきた、コクと甘さがありながらもさらっとした飲み心地が特徴です。
私も長野市に旅行に来た際に初めてオブセ牛乳を飲み、そのおいしさに驚いたのを覚えています。
長野で暮らし始めた今、毎朝の牛乳はオブセ牛乳に。
しかし、人口の減少により牛乳の消費量は年々減っており、牛乳メーカーは苦境に立たされているというニュースを目にしてから、オブセ牛乳はどうなんだろう……?といちファンとして少し心配になってしまいました。
そもそも、オブセ牛乳って一体どんな企業なんだろう?
気になって調べてみると、
・おいしさと安全にこだわる反面、消費期限が短いため流通がほぼ長野県内に限られる
・現社長である西岡幸宏さんは、公務員を辞めてパートナーである由佳さんの家業を継ぐために小布施に移住
・牛乳だけでなく、2018年からは乳製品の新規事業にも挑戦
なんて情報が……
大手スーパーやコンビニでも、オブセ牛乳とコラボしたお菓子が売られているのをよく目にします。
絶好調の老舗の中小企業? それとも牛乳の消費不足に困っているの?
あのおいしい牛乳の裏話を知りたい!
さっそく、代表である西岡さんご夫婦に、牛乳工場のリアルな課題と移住・継業の道のり、これからのオブセ牛乳が目指す姿を聞いてきました。
生乳をやかんで沸かして瓶詰め。戦後に生まれた老舗企業
- 風音
- 今日はよろしくお願いします! オブセ牛乳が本当に好きで、毎日飲んでいます。今日はあのおいしい牛乳の裏話をお聞きしたくて。
- 幸宏さん
- ありがとうございます。本当にありがたいことに、みなさん「オブセ牛乳は儲かっている」というイメージをされているんですが、とんでもない話で(笑)。早くみなさんのイメージに追いつきたいなと日々頑張っているところなんです。
- 由佳さん
- ほんとにね、いつか朝ドラにしてもらえるくらい大成功しなくちゃ! 涙なしには語れないストーリーですよ。
- 風音
- えぇ!? 70年以上の歴史もある会社ですし、そんなに苦労されているイメージがなかったんですが……
- 由佳さん
- せっかくの機会ですし、創業の頃からのお話をさせていただきますね。創業者である私のおじいちゃんはもともと小布施出身で戦時中は名古屋の軍事工場で働いており、向こうでおばあちゃんと結婚したんです。
- 幸宏さん
- 戦争が終わり、二人が小布施に帰ってきた頃は、日本は高度成長期に入る前であり、どんな仕事でも選ぶことができた。和菓子屋か牛乳屋かで悩んで、砂糖は高くて買えないからと牛乳屋にしたんだよね?
- 由佳さん
- そうそう。当時、小布施には牛を飼っている方がたくさんいたらしく、牛乳の原料になる生乳は簡単に手に入ったんです。最初の頃は、生乳をやかんで沸かして瓶詰めして売っていたと聞きました。それを小布施の町内だけで販売するところから商売を始めたそうです。
- 幸宏さん
- そこからだんだん設備を整えて、今の「オブセ牛乳」ができたんです。オブセ牛乳の特徴である80℃15分間の加熱殺菌は、当時おじいさんが「一番牛乳がおいしくなる」と感じて採用した殺菌方法なんですよ。
- 風音
- その殺菌方法がオブセ牛乳のおいしさの秘密……?
- 幸宏さん
- そうなんですよ。うちの牛乳は、お客様からよく「味が濃くておいしい」と言っていただくんですが、決して成分的に濃いわけではなく、殺菌方法によって引き出される味わいなんです。
- 風音
- 殺菌方法で味わいが変わるとは知りませんでした。
- 幸宏さん
- 酪農家さんから届いた生乳を加熱殺菌することで牛乳ができます。一般的なのは、120〜130℃で2〜3秒間加熱する殺菌方法ですね。また、いわゆる低温殺菌牛乳は63℃で30分間加熱殺菌して作られます。高温ですとさっぱりとした軽い味わいに、低温殺菌だとまったりとしつつも少し軽さを残した味わいになります。
手間も時間もかかり過ぎるからこそ、真似できない味わいに
- 由佳さん
- 父の代に変わってから、スーパーにパックの牛乳をたくさん卸すのが流行った時期があったんです。そのためには、大量生産ができる超高温殺菌に切り替える必要がありました。近隣の牛乳屋さんがみんな設備投資をして殺菌方法を変える中で、おじいちゃんは「こんなの絶対にだめだ!おいしくなくなる」と従来の殺菌方法を守ってきたんです。
- 風音
- 時代に流されず、自分たちの味を守ろうとしたのですね。
- 由佳さん
- 結局、当時大量生産に切り替えた牛乳屋さんは大手メーカーに価格競争で負けてしまい、多くは倒産してしまいました。
- 幸宏さん
- 80℃15分の殺菌方法のために使う「殺菌パス」は、牛乳の製造後に毎日機械を全て分解して人の手で洗わないといけないので、手間も時間もかかって大変なんです。だからこそ、大手さんにも真似できないんです。
- 由佳さん
- それから、オブセ牛乳の歴史を語る上で欠かせないのがおばあちゃんの存在です。おばあちゃんは当時で言うハイカラさんで、センスがいい人だったそうで。天使のロゴを採用したのも、「オブセ牛乳」と命名したのもおばあちゃんなんです。
- 風音
- まさにみんながイメージする「オブセ牛乳」を作ったのは、おばあさんの方だったと。
- 由佳さん
- 創業当初は苗字から名前をとって「河合牛乳」という名前で営業していたところ、昭和40年頃に個人事業から会社に変えるタイミングでおばあちゃんが「オブセ牛乳」と改名したんです。
- 風音
- ずっと気になっていたのですが、どうして「小布施」ではなくカタカナで「オブセ」としたのでしょうか?
- 由佳さん
- うちのおばあちゃんは愛知出身だったから。愛知を代表する企業といえばトヨタでしょう? 「大きい会社に成長するところはみんな社名を変えている!」というおばあちゃんの発案で、「オブセ牛乳」に社名を変えたんですよ。
- 風音
- そんな裏話が……!
マイホームと安定した仕事を手放して小布施にUターン
- 幸宏さん
- 「河合牛乳」のままだったら、僕も後を継ごうとは思わなかったかもしれませんね。「オブセ牛乳」という名前で、小布施を代表する企業だったからこそ、このまま無くしてしまうのは惜しいと思ったんです。
- 風音
- 幸宏さんと由佳さんは、オブセ牛乳を継ぐために小布施に帰ってきたんですよね。もともと継ぐことは考えていなかったのですか?
- 由佳さん
- 私と彼は大学生のときに出会って、彼の地元が岐阜県だったので結婚と同時に私は岐阜へ移住したんです。彼は役所勤め、私は教員をしていました。家も建てて、二人の子どもを育てていたので、まさか小布施に帰ってくるとは考えていませんでしたね。
- 幸宏さん
- もともとは彼女の妹夫婦がオブセ牛乳を継ぐ予定だったんですが、いろいろな事情によって難しくなったんです。そこで、先代であるお義父さんから僕らに「二人が継がないならもう廃業でいいや」と話をされて。
- 風音
- お二人に白羽の矢が立ったと。それを言われたときはどう思ったんですか?
- 由佳さん
- 「え~!?」って感じだったよね。「廃業なんて、なんでそんな言葉が出るの?」とびっくりしちゃって。「そんな簡単に潰してしまうなんてもったいない!」と二人で話しましたね。
- 風音
- では、そこから「自分たちが継ごう!」と?
- 由佳さん
- いえ、話をされてから何年かは悩みました。私たちにできるのかな」と二人で考えました。
- 幸宏さん
- 当時、ちょうど「ガイアの夜明け」や「カンブリア宮殿」がテレビで流行っていて、地方の中小企業にスポットが当たっていたんです。それを観ていると、日本の未来のためにも、中小企業が頑張らないといけないと思うようになって。
- 風音
- 当時お二人はおいくつだったんですか?
- 由佳さん
- 40代後半だったよね。彼はちょうど管理職になるタイミングで。
- 風音
- そんなタイミングでよく決断できましたね。
- 由佳さん
- 一番の決め手になったのは、やっぱり「小布施」というブランドですね。小布施なら、私たちがなにか新しいことを始めようとしたらきっと他の地元企業さんや町が協力してくれる可能性があるだろうし、知名度と信頼感がある。もう子育てもほぼ終わっていて、残りの人生があと何十年もある。2人でチャレンジしてみようか、と後を継ぐことに決めました。
情けなさとストレスで声が出なくなっても、前に進む
- 風音
- 小布施に来てからの生活や仕事はいかがでしたか?
- 由佳さん
- 当時は下の子が大学受験を控えていたので、私は岐阜に残り、先に彼だけが小布施に行ったんです。
- 幸宏さん
- もちろんいきなり後を継ぐわけではないので一度製造の現場に入ったのですが、最初の頃はとにかく大変で。工場長や社長に何から始めればいいのか聞いても、経営状態も牛乳の仕事のこともろくに教えてくれず。自分でなんとなくできることを探しながら、「どうしたらいいんだろう」と日々悩んでいました。
- 由佳さん
- 彼から定期的に「これはまずいかもしれないぞ」と連絡が届いて、不安な気持ちでいっぱいでした。家業とはいえ10代の頃に家を出ていたから、実際会社がどんな状況かは私もちゃんとわかっていなくて。
- 風音
- 一年後に由佳さんが小布施に来た時の状況はいかがでしたか?
- 由佳さん
- もう本当にお恥ずかしい話ですが、工場の中は老朽化が進んでボロボロ、働いている人たちの雰囲気もどこか暗くどんよりしていて、「ここは産業革命前のイギリス?」と思ったくらい! 決算書もひどいありさまでした。会社の実情がわかってくるにつれて、ショックで一時的に声が出なくなってしまって。
- 風音
- それだけのストレスを感じていたんですね。
- 由佳さん
- いつも通り牛乳配達に行き、挨拶をしようとしたら声が出なくなっていたんです。慌てて会社に帰ったら、彼が「俺が配達に行ってくるから」と代わってくれて……。当時は本当に大変でした。
- 風音
- 由佳さんは、そこからどうやって立ち直れたのですか?
- 由佳さん
- 小布施に戻ってきてからしばらくは、心のどこかで「彼に申し訳ない」という気持ちがありました。でも、周りのみんなに「二人で一緒にやっていこうと思わなきゃ」と励ましてもらったんです。そこからちょっと楽になって、ようやく前を向けるようになってきましたね。
- 幸宏さん
- 大変ではあったけれど、自分で決断したことだからね。とはいえ、気持ちだけで状況は好転しないので、やれることは何でもやりました。
- 風音
- まずは何から立て直しを?
- 幸宏さん
- まずは会社のHPを開設し会社の認知度を上げたり、皆さまにさらに愛着を持ってもらうためグッズを作って販売したり、オンラインストアを開設したり、一生懸命将来のための種をまいていました。それと並行して、最初の数年はとにかく工場内の設備やトラックの修繕と整備をすることで手一杯でした。
そこからさらに、傾きかけていた経営を立て直すべくお金の流れをクリーンにして、ようやくまともな会社の形になってきた。そこで、次のステップとして会社を育てていくために新しい人を採用しました。
- 由佳さん
- ご縁があって、今の工場長となる方が仲間に加わってくださったんです。私たちにはもったいないぐらいの人でね。「自分たちだけじゃなくて、社員さんの人生もかかっているぞ」、「みんなでがんばろう」と一気にアクセルを踏めたの。
長野を丸ごと活かしたヨーグルト開発
- 風音
- オブセ牛乳を次世代につなぐ、新しい仲間も加わってくれた。
- 幸宏さん
- はい。現実として、日本の人口も減少し、過去と比べて国民一人当たりの牛乳消費量も減っています。一方で牛乳製造における利益率も低いことから充填機械の更新もできない状況にあります。また高齢化等に伴う酪農家さんの減少で原材料となる生乳の安定確保が今後もできるのかという大きな課題もあります。
- 風音
- 牛乳業界全体が、厳しい状況にあるのですね。
- 幸宏さん
- そんな中、今まで通りただ「牛乳を買ってください」と営業をするだけでは会社は立ち行かない。また、オブセ牛乳は殺菌方法にこだわっている分、他の牛乳に比べて消費期限が6日間と短いんです。だから、小布施の外に届けるのはどうしても難しくて。そこで考えたのが、牛乳を使った別の主力商品を作ることでした。
- 由佳さん
- 私たちは牛乳屋として素人だったから、うちと同じ規模の牛乳屋さんをいくつか紹介していただいて視察に行ったんです。そのうちのひとつが、福島県の、ある乳業メーカーさんそこで、「オブセ牛乳さんで製造しているのは牛乳のみ?よくやっていけているね」と言われて。
- 風音
- どの牛乳屋さんも、牛乳一本では厳しい状況だと。
- 由佳さん
- そこで、牛乳を使ったヨーグルトやジェラート、プリンの工場を見学させてもらいました。私たちも存続のためになにか新しいことをやらなくちゃと決めて、選んだのがヨーグルトでした。
- 風音
- 乳製品がいくつもある中で、どうしてヨーグルトを?
- 由佳さん
- 「オブセ」の名前を背負って商品を出す以上、小布施や長野を丸ごとアピールできるものがいいと考えたんです。ヨーグルトなら、信州のリンゴ、ぶどう、黄金桃などのフルーツとセットで販売することができるので。
- 風音
- 長野のフルーツに合うヨーグルト!それはおいしそうです。
- 幸宏さん
- 構想はあったものの、牛乳屋としても素人でしたし、ヨーグルトの作り方も全く知らなかったので、最初の数年は本当に手探りでしたね。ちょうど僕が長野に来て3年目の時に県が主催する「信州ブランドプロダクト育成支援事業」で開催された商品開発実践講座に参加して、ブランディングや商品開発の基本について学びました。
- 由佳さん
- これまでも、長野市内の商社「マルイチ産商」さんとコラボして、焼きドーナツやキャラメルなどのお菓子を展開してきましたが、自社企画・自社製造の商品を販売するのはヨーグルトが初めてだったんです。構想から5年をかけて、ようやく動き出すことができました。
- 風音
- 5年間も!
- 幸宏さん
- 会社のためにも早く動き出したかったのですが、経営の立て直しに時間がかかったことや、コロナの影響で一度計画が頓挫してしまって。でも、そのおかげでいろんなタイミングが合って、国の事業再構築補助金に採択していただくことができたんです。あれはありがたかったね。
- 由佳さん
- 信用金庫さんや小布施の企業さんなど、いろんな方に後押ししていただいて、必死で事業計画を立てて申し込みましたね。
- 幸宏さん
- 2023年の3月に補助金が採択されて、そこからようやく実現に向けて動き出すことが出来ました。昨年は、千曲市にあるバスチアンヨーグルトさんに業務委託をする形でヨーグルトを作ってもらっていましたが、2024年5月に待望の自社製造での「オブセヨーグルト」を新発売することができました。
- 由佳さん
- 最初の構想の通り、フルーツに合うように酸味を抑えて、カットフルーツとよく絡むようトロリとした口当たりのヨーグルトに仕上がりました。
- 幸宏さん
- 昨年の夏は、ヨーグルトと小布施の黄金桃をセット販売したんです。長野の桃と言えば川中島の白桃が有名ですが、小布施の黄金桃もおいしいんですよ。これがなかなか好評で。今後も長野のフルーツや、おいしいものを見つけて紹介していきたいですね。
夫婦で役割分担しながら、“オブセ”と”小布施”を繋げていく
- 風音
- 今はまだヨーグルトの事業を軌道に乗せていく段階だとは思いますが、今後お二人がやってみたいことや目指していることはありますか?
- 幸宏さん
- 今はオブセヨーグルトを多くの皆様に召し上がっていただき、「おいしい」と評価していただきたいですね。そのためにもまずは情報発信をしなければいけないと考えています。
- 由佳さん
- 実は、「飲むヨーグルト」や「水切りヨーグルト」といった新商品の製品化も私の頭の中では出来上がっていて。そうした新しい商品に挑戦しつつ、次は、小布施のまちをもっと盛り上げれる素敵なイベントを開催したいと思っています。小布施は「栗と北斎と花のまち」と言われているから、お花の農家さんと一緒にお花畑でオブセ牛乳を使ったミルクティーでティーパーティ、なんて素敵だなって。
- 風音
- えー!それは楽しそう! 由佳さんの中では、もう次の段階へ進んでいるんですね。
- 由佳さん
- 私がアクセルで、彼がエンジンって感じなんです。私がわーっとアイディアを出して、それをしっかり実現させるのが彼の役目。私が「なんとかなるわ!」と走る横で、彼が「なんとかせなあかんのや」って踏ん張ってくれる。
- 風音
- お話を聞いていて、殺菌方法を考案した職人気質な創業者のおじいさんと、ロゴや社名を考えたハイカラなおばあさんとお二人はどこか似ている気がします。息の合ったいいコンビだったからこそ、ここまで来られたのかなと。
- 幸宏さん
- 新規事業はまだまだ動き出したところなので、ここからやっとスタートってところですね。牛乳の消費期限が6日間だとすると、ヨーグルトは賞味期限が3週間と長いので、もっと遠くへ届けられる可能性がある。「オブセって何?」と検索した人が、小布施のことを知り、「北斎のまちなんだ」、「栗菓子がおいしいんだ」と小布施に来てくれたらうれしいですね。
- 風音
- オブセ牛乳をきっかけに、小布施を訪れる人が増えてくれたら。
- 由佳さん
- 実際に、つい最近もオブセ牛乳のお菓子セットを買って小布施のことを知って、広島からうちまで来てくれた人がいたんですよ。「こんにちは〜!牛乳買えますか?」ってね。
- 幸宏さん
- あれは嬉しかったねぇ。僕は小布施が地元ではないですが、オブセ牛乳を継いでから、多くの人に小布施に来てもらいたいなと思うようになりました。僕らの牛乳を買うかは置いておいて、いろんな人にこのまちに来てほしいですね。
- 由佳さん
- 小布施はまちの雰囲気がいいんだろうね。作られてないまちというか、昔からあるものを、自然とうまく活用している。一方で、地域に根ざした企業やお店がもっとまちを良くしようと手を組んでがんばっている感じがする。だからこそ私たちも受け入れてもらえたし、支えてもらっています。
- 幸宏さん
- うちは現在オンラインの店舗しか持っていないんですが、近年中に事務所の一部をリノベーションして小さいショップを開こうと考えているんです。オブセ牛乳がきっかけで小布施を知ってくれた方が小布施を訪れた際に、ここで商品を味わえる仕組みができるといいなと。
- 由佳さん
- うちだけじゃなくて、小布施にいろんな人が来て、いろんな企業さんと絡まりながら、まち全体が発展できるといいなと思っています。自分たちだけでの力はたかが知れているけれど、誰かと一緒にやると計り知れない力になる。でも、それはまだまだ先の話だから、今はまず牛乳を軸にしっかり足場を固めてる状態かな。
- 幸宏さん
- 今は「オブセ牛乳」の歴史における第2創業期だと位置づけてどんどん会社を作り直していきたいです。小布施の人たちだけでなく、オブセ牛乳を愛してくれる「みんなの会社」になれるよう、この先何十年と歴史を重ね続けていきたいですね。