
2025.12.12
自分の暮らしを自分で作る!DIY好きの青年が、新卒で長野の地域おこし協力隊になったら家族も家も目標も出来た話
地方移住を考える上でネックとなるのが、「仕事はどうするの?」問題。
「ここで暮らしてみたい!」という土地が見つかっても、職探しが壁となりなかなか移住に踏み切れない人も多いのではないでしょうか。
そんな中、移住後の働き方・暮らし方の選択肢として注目を集めているのが、「地域おこし協力隊(※)」の制度です。
※地域おこし協力隊は、都会から過疎地域へ若い働き手の移住・定住を図り、地方活性化につなげるため、2009年度より総務省によって制度化された取り組み
活動の任期は最長3年間。具体的な活動内容や条件、待遇等は自治体によって異なりますが、隊員たちにはそれぞれ任期中に取り組むミッションが課せられ、国や自治体が活動にかかる経費を支援しています。
専門的なスキルや資格を活かして働ける職種から、未経験分野でも任期中に勉強しながら働ける職種も。長野県は、北海道に次いで全国二番目に受け入れ数が多く、これまで545人の隊員が着任しました。役場職員をはじめ、地域の人たちとの関係性が築きやすいことや、自治体によっては住宅や車の補助があることなども大きなメリットです。
地域の課題に向き合いながら、自分のスキルや経験を積んでいくことができるこの制度。私は現在、ライターとして長野市で暮らしていますが、いつかもっと田舎で暮らしたくなったら協力隊の制度を使って、長野の田舎で新たな生業を探すのもありかも……。
そんなことを考えていたら、SuuHaa編集長の藤原さんからこんなメッセージが届きました。
- 藤原
- 風音ちゃん、南信の松川町にDIYでなんでも作っちゃう協力隊員がいるらしいよ。取材してみない?
その方がこちら、2022年に松川町の協力隊に着任した田中大也(たなか だいや)さん。

噂によると田中さんは
・新卒でいきなり大阪から長野の山奥にある松川町の協力隊に
・図書館や役場など公共施設のリニューアルをバンバン手掛けている
・犬小屋のDIYがきっかけで同じ集落のシングルマザーと結婚し、三児の父親に
・妻がDIYで建てた家で家族5人+犬1匹と暮らす
という経歴を持っているそう。すごいスピード感!任期中にそれだけのドラマが?
というわけで、早速田中さんの活動拠点である旧松川町立松川東小学校を訪れ、協力隊に着任してからの3年間をじっくりお聞きしました。
廃校を工房化し、地域の木材を使ったものづくりの可能性を探る

- 田中さん
- こんにちは、ようこそ松川町へ。今日はよろしくお願いします。
- 風音
- よろしくお願いします!田中さんは、松川町の地域おこし協力隊なんですよね。どんなミッションに取り組んでいるんですか?
- 田中さん
- 松川町は2,000m級の2つの山脈に囲まれており、面積の67%が森林です。僕が取り組んでいる「MMM(MATSUKAWA×MAKES×MY LIFE)プロジェクト」では、松川町の木材を活かして村の人々の暮らしを形づくることを目指し、地域の人たちと一緒にものづくりを行っています。工房の中をご案内しますね。

- 風音
- おー!教室がまるごと工房になっているんですね。この機械は一体?
- 田中さん
- これはこの工房のメインの機械で、「ShopBot」というデジタル木工加工機です。3DCADで設計を行い、そのデータをもとに3Dプリンターのように木材を加工できます。
- 風音
- これまでどんなものを作ってきたんですか?
- 田中さん
- 加工したパーツをうまく組み合わせれば、いろんなものが作れます。松川町図書館をリニューアルするプロジェクトでは、スタッフの方から、「使われなくなったビデオコーナーに何か作ってくれないか」と声をかけていただき、町で豊富に採れるヒノキを使用してアーチ状の本棚を作りました。

- 風音
- こんなに大きいものも作れるんですね!
- 田中さん
- もちろん試行錯誤は必要ですが、木材加工の可能性は無限大です。ほかにも、地域の方の要望を聞きながら、折り畳み式の屋台や小学校の遊具、 ミツバチの巣箱、 ビールサーバーラックや看板、ベンチなど、大きいものから小さいものまで色々と作ってきました。設計は僕が担当していますが、組み立てややすりがけ等の作業は、役場の方や地元の大人から子供までみんなで一緒に取り組んでいます。

- 風音
- 新卒でいきなり公共施設のリニューアルを任されるというのは、協力隊だからこそ得られる経験ですよね。
- 田中さん
- とはいえ、着任当初はまだ学生上がりで実績もなく「結果を出さなきゃ」とただ焦っていました。手を動かせば動かすほど、自分がやるべきことがちょっとずつ絞れてきたような感覚です。
- 風音
- なるほど。いきなり受け入れてもらえたわけではなく、作ったものが少しずつ仕事を呼んでいったということですね。

- 田中さん
- 僕のいる生田地区は人口が少ないこともあり、役場の人や近所の人たちが「何かやってるぞ」と覗きに来てくれたり、新聞に取材されたりと徐々に取り組みが広がっていきました。活動が認知され始めてからは、淡々とものづくりに向き合えるようになった気がします。図書館のプロジェクト以降は、ほとんど口コミで声がかかりました。きっかけが出来ると次々と仕事につながっていった感じですね。
ものづくりの現場を見たいという好奇心と、田舎暮らしへの憧れから松川町へ
- 風音
- 田中さんは、新卒で協力隊になったんですよね。学生の頃からものづくりが好きだったんですか?

- 田中さん
- 学生の頃は建築に興味があり、建築学科でランドスケープデザインの勉強をしていました。でも、課外活動として、土の構法研究をされている教授や先輩たちと一緒に日干し煉瓦を作ったり、古民家を改修してその中に置く本棚を作ったりと、何かしらずっと作ってはいましたね。
- 風音
- そこからどうして協力隊に?
- 田中さん
- まず、就職先を考える中で、デジタルテクノロジーを活用して家具から建築までを作る建築系スタートアップ企業「VUILD株式会社」と出会い、インターンを始めたんです。VUILDは松川町と包括的地域連携協定を結んでおり、ShopBotを活用し地域木材を使ってものづくりをするプロジェクトを行っていました。社員の方から「誰か松川町のインターンに興味ある人知らない?」と声をかけられ、自分が手を挙げたんです。松川町のことは何も知りませんでしたが、木材が作られる過程に興味があって。
- 風音
- なるほど、最初は現場を見たいという好奇心だったと。

- 田中さん
- はい。そこから松川町に数週間滞在し、山が身近にある暮らしや、大木が目の前で伐採されて製材されていくダイナミックなプロセスを体験するうちに、「ここでものづくりをしたい!」と強く感じて。大学卒業間近だったこともあり、そのままの勢いで協力隊に応募しました。
- 風音
- 新卒でいきなり地方の協力隊になることに抵抗はなかったですか?
- 田中さん
- 正直、若さゆえに未知過ぎてよくわかっていなかったというのが大きいです。漠然と「田舎に住んでみたいな」と思っていたんですが、僕は大阪のベッドタウンで生まれ育ったので、田舎暮らしのイメージが全然湧かなくて。お試しのつもりもあって、まずはインターンとして一度滞在してみたんですよ。

- 風音
- 実際に暮らしてみてどうでしたか?
- 田中さん
- 工房のある生田地区の集落は1000人ほどの人が暮らしているんですけど、山の尾根沿いに家がポツンポツンと建っていて、その景色の奥にアルプスの山並みが抜けて見える。その風景がすごく気に入っていますし、地域の方の人柄もとても優しくて。とはいえ、「好き」という気持ちだけで暮らしていけるかといったらそうではない。どうしようかなと思っていたら、ちょうど協力隊の募集がかかったんです。
キャリアとしては遠回りでも、「ここで暮らしてみたい」という気持ちに従った

- 風音
- まず土地に惹かれて、仕事も見つかったと。
- 田中さん
- 僕はもともと建築士を目指していたので、建築事務所に入って経験を積むという選択肢もありました。将来のキャリアを考えたら、いきなり協力隊になるのは遠回りかもしれない。それでも、ここで暮らしながらものづくりを仕事にしてみたいという思いが勝りました。それに、決められたことをするよりも、自分で考えて動ける方が面白そうだなと。
- 風音
- 実際に着任してからは、思うように活動できましたか?
- 田中さん
- 正直、最初は本当に孤独でしたね。設備や資材などの環境は整っていましたが、やることが決まっていたインターンの頃と違って、いきなり工房にポツンと一人になったので、「どうしよう、何を作ろう」とずっとフラフラしていました。
- 風音
- 環境が整っていて自由度が高い分、逆に何から手を付けていいかわからなくなりそう。
- 田中さん
- そこで協力隊の活動とは別に、地域の人と一緒に会社を作ってみたり、個人事業主として活動してみたり、週に数日はVUILDの業務委託を受けてみたりしたんですけど、一気にいろいろ手を付けすぎて、自分が何をしているのかわからなくなってしまって……。ちなみに、その時期に今の妻と一緒に生活を始めることになり子育ても始まったので、最初の一年は波乱万丈でした。
- 風音
- おっと!さらっと出会いの話が。

- 田中さん
- 急展開ですよね。協力隊として松川町に来たのが5月で、出会いが8月、翌年5月に結婚したので、本当にあっという間でした。
- 風音
- 単身で都市部から田舎に移住というと、「仕事はどうするの?」の次に、「出会いはあるのか」というのが一つの懸念点になると思うのですが……。
- 田中さん
- そうですよね。僕も、松川町が過疎地域なことはわかっていましたし、インターン時点で同年代の方とは2~3人くらいしか出会わなかったので、恋愛的な出会いはないのかなと思っていました。
犬小屋から始まった縁。1年足らずで家族ができた
- 風音
- パートナーを探す点については、移住のハードルになりませんでしたか?
- 田中さん
- そうですね。いずれは結婚して家庭を持ちたいとは思っていましたが、当時まだ22歳でしたし、協力隊の任期中は出会いや結婚のことは考えず、まずは頑張って仕事をしようと決めていました。
そんな中、任期1年目の頃に同じ集落に住んでいたシングルマザーの女性から「子供が夏休みの工作の宿題で犬小屋を作りたがっている」と相談されたんです。でも、いざ一緒に作ろうと動き始めたら役場側から「協力隊の活動としては、公共に準ずるもの以外は作ってはいけない」という話が出てきて。
- 風音
- なるほど。

- 田中さん
- 事情をお伝えしたら、材料費等は持ち出しでいいから作りたいと。それで、協力隊の活動とは別に、休みの日を使って一緒に犬小屋を作ったんです。作りながらいろいろ話してるうちに、彼女が自分の理想としている暮らしに近い生活をされていることがわかってきて。彼女はもともと集落をすごく気に入って、関東から移住してきた人で、自分で家を建てて移り住むぐらい、この地域とDIYが好きな人なんです。
- 風音
- 自分で家を!?大工さんなんですか?
- 田中さん
- いえ。松川町に木こりの友人がいて、その友人のバイク乗り仲間たちと一緒に自分たちで一から建てたそうです。「自分もいつかそんな暮らし方をしてみたい」と話したら、「隣の敷地空いてるから、家を建てたらいいんじゃない?」と言われて。
- 風音
- すごい展開!田中さんはどう思ったんですか?
- 田中さん
- 「よくわからないけど面白そうだな」と思いました。当時彼女が、能町みね子さんの『結婚の奴』というエッセイを読んでいたんです。それが、恋愛感情を持たずにパートナーとして一緒に暮らしている夫婦の話で。
そのエピソードに影響を受けて、僕たちも最初はいわゆるシェアハウスみたいな暮らし方をイメージしていたんです。水回りを共同にして、寝る場所を別にして共同生活をしてみようと。
- 風音
- その誘いに乗ったんですね。

- 田中さん
- そうしてお家のロフトで寝泊まりをしながら家を建てる準備をするうちに、子供たちも懐いてくれて、いつの間にか本当に家族になりました。僕は元々、親戚が学童を経営していて、高校時代はそこでバイトをしていたこともあり、子どもと関わる経験があったので、父親になることも自然に受け入れられました。
家族と暮らすために、この土地で自分ができること
- 風音
- なるほど~。家族が出来てから、仕事や暮らしに変化はありましたか?
- 田中さん
- やっぱり、自分や家族の住んでいる町のものづくりができるというのはいいですよ。今もリニューアルを続けている図書館は、僕の子どもたちもよく利用しているので、週末に一緒に本を選びに行くんです。

- 風音
- 自分の仕事と暮らしが直結しているんですね。協力隊に応募した時は、「一度ここで暮らしてみたい」というどこかお試し的な気持ちがあったと思うのですが、松川町に対する今の気持ちはどうですか?
- 田中さん
- 松川での暮らしは楽しく、自分に合っているので、これからもここで家族と暮らしていきたいと思っています。一方で、集落の暮らしというのは人がいてこそで、自分たちだけが楽しく暮らしていればいいというわけにはいきません。松川町は高齢化と過疎化が進んでいて、そことどう向き合うかが今後の課題です。
- 風音
- 地に足が着いてきた分、地域の課題にも目が行くようになったと。
- 田中さん
- 僕が着任した年に、ちょうど地域のお祭りがなくなったんです。ほかにも、家族で仲良くしていたご近所さんが亡くなったり、うちの両隣が空き家になったり、たった数年のうちに過疎化がどんどん加速している。10年、20年後にさらに人が減ったら、本当にここに住み続けられるのか?という不安があります。
- 風音
- 顔が見える関係性のある地域だからこそより、実感を持って迫ってくる危機感がありそうですね。田中さんは、卒隊後はどんな未来を描いているんですか?
- 田中さん
- まず、今後も「pukto」という屋号で地域でのものづくりは継続していきます。それから、僕たち夫婦は「生東がここに、あり続けられますように」をコンセプトに、「NPO法人いくとう山の暮らし研究所」という団体を立ち上げました。これからも地域の有志と一緒に生田地区に関係人口を増やす予定です。
まず取り組んでいきたいのは、この工房がある廃校の利活用です。MMMプロジェクトの工房整備が始まる前から、体育館でボルダリング教室やカフェ営業(コロナ禍により閉業)など少しずつ利活用が進んできました。今は工房の他にも、信州サマーキャンプの会場になったりと、人が集まる流れができはじめています。
2026年には教室を使った食堂がオープンする予定で、学校の近くの空き家を改修してシェアハウス兼ゲストハウスにする計画も進んでいます。今後はさらに学校全体を使って、もっとこの集落に人が来るようにしたいと考えています。
- 風音
- 空き家問題は、県内でもあらゆる自治体が直面している課題ですよね。
- 田中さん
- そうなんです。松川町には、家の片づけのハードルの高さや、近くに山やお墓を持っているから家を手放せないなど、宙ぶらりん状態の家が多いんです。今回シェアハウスにする空き家も、家主は松川町に住んでおらず、お墓参りで帰ってくる際に滞在するから手放すほどではないという状態でした。

- 風音
- なるほど、空き家バンク等では見つけられない潜在的空き家ですね。
- 田中さん
- はい。そこで、まずは妻が家主と仲良くなり、話していくうちに「いない間に家自体を使ってもらうのは構わないけど、帰ってこれる状態にはしたい」と。だから、シェアハウスとして改装するにあたってゲストルームを作ることにしたんです。
そういうふうに、1軒ずつ家主とちゃんと話して、それぞれの使い方を提案していけば、そこでの新しい暮らしや使い道が広がっていくと思うんです。そのためには密なコミュニケーションが必要ですが、妻はそういうことが得意なんですよ。使い道さえ決まれば、松川町には木材があるし、僕が手を動かせる。
- 風音
- それはいいコンビ!10年先への不安はありつつ、「何をしたらいいかわからない」という状態から、協力隊の活動を経て自分が地域のためにできることが見えてきたんですね。
- 田中さん
- 過疎化していくのはどうしても避けられない部分もあると思うんですが、どうせなら「楽しく過疎」みたいな感じがいいなと。それぞれの仕事が地域の中にあって、ここで楽しく暮らす人がもっと増えたら嬉しいですよね。そのための土台はこの3年間で整えられたと思うので、後は思いついたことをどんどん試すしかない。失敗しても、試行錯誤を重ねながら、僕が松川町でできることを継続していきたいです。
撮影:五味貴史
編集:吉野舞

