
2026.10.29
不仲だった父から受け継いだ長野のベーカリー。帰る覚悟を決めたら、地元は受け入れてくれる
こんにちは、ライターの風音です。
みなさん、朝はパン派ですか? ごはん派ですか?
私はパン派です。トーストが基本ですが、菓子パンやお惣菜パンも大好き。旅先や仕事先では、ついついローカルのパン屋さんを探してしまいます。地域で長年愛されてきたような、昔ながらのお店が好きです。
さて、最近長野市・高田に新しいパン屋さんがオープンしました。その名も「BY BAKERY」。運営しているのは、長野県内外で展開している「BOULANGERIE YOKOHAMA」。
横浜の会社なのかな? と思いきや、1992年に長野で創業された会社なのです。3代目代表を務めるのは、2026年の冬に地元である長野県にUターンしてきた久松栄樹さん。

飯綱町出身で、一度は長野を離れ東京でバリバリの営業マンをしていた久松さんは、先代のお父さんと折り合いが悪く、実家とは長らく距離を置いていたそう。
そんな久松さんが、なぜ会社を継ぎ、長野に戻ってくる決断をしたのか。家業を継ぐまでのリアルな葛藤と、Uターン後の長野での暮らしについてじっくりお聞きしてきました。
「もうここには帰ってこないだろうな」と離れた地元にUターン

- 風音
- 「BY BAKERY」オープンおめでとうございます! 運営元の「BOULANGERIE YOKOHAMA」は、長野で生まれたお店なんですね。
- 久松さん
- ありがとうございます! もともとは、初代が「横浜にあるようなおしゃれなパン屋を長野に」という夢を持って1992年に長野市で立ち上げたお店でした。その会社をうちの父が継ぎ、2024年に私が継いで今に至ります。現在は、長野を中心に、埼玉・東京・横浜で店舗経営をしています。
- 風音
- 久松さんが子どもの頃から、お父さんは長野でお仕事されていたんですか?
- 久松さん
- 親父が「BOULANGERIE YOKOHAMA」に入ったのは、自分が中学3年生の頃でした。親父はもともと神奈川出身で、僕が生まれた直後にペンションブームに乗っかって長野に移住してきたんです。初めは飯綱山の麓でペンション経営をしていたんですが、なかなかうまくいかず。そこから観光協会や民間企業を転々として、その中で初代と意気投合してパン屋になった、というのが経緯です。
- 風音
- ペンション経営から回り回って! 紆余曲折があったんですね。
- 久松さん
- 親父はどちらかというと営業畑の人間で、長年アパレル企業で営業をしていたそうです。パン屋を目指していたわけではなく、当時の社内には、営業をするポジションの人がいなかったことから会社に加わり、継ぐに至ったと聞いています。
- 風音
- なるほど。久松さんは「いつか家業を継ぐぞ」という気持ちはあったんでしょうか。

- 久松さん
- 正直、そんなつもりはまったくなかったですね。大学進学を機に「もうここには帰ってこないだろうな」という気持ちで長野を出て東京の大学に進学し、そのまま都内で就職をしたんです。
- 風音
- 当時はどんなお仕事を?
- 久松さん
- NTTの業務委託の会社で、不動産会社やマンションオーナーさんに通信設備を売る仕事をしていました。それが割と性に合っていて、三期連続トップ営業だったんですよ。営業が得意なのは、ちょっと親父と似ていたのかもしれないですね。当時の社長ともめちゃめちゃ仲が良くて「いずれお前に代表をやってもらうから」なんて言われるくらいで。俺は多分このままこの会社で頑張るんだろうな、と思っていました。
- 風音
- それだけ期待もかけられていたところから、どうして継ぐことに?
- 久松さん
- 入社して4年目に入った頃に親父から連絡が来たんです。初めて埼玉に店舗を出すタイミングで親父が体調を崩して「いずれ継ぐ気があるなら、一緒にやらないか」と。
- 風音
- 「いつか継いでほしい」という話はこれまで出なかったんですか?
- 久松さん
- それまで本当に連絡を取っていなかったんですよ。中学高校とめちゃめちゃ仲が悪くて、家の中でも極力会わないように生活していました。実家を出てからも、帰省の時も親父に会わないように避けていていたくらいで。
- 風音
- それは「いつかは自分が継ぐ」どころの話じゃありませんね。
- 久松さん
- だから「初めて親父に頼まれごとをされたな」と思ったんですよ。初めて社会人同士として話もできて。ずっと関係が悪かったので、ここが親孝行のタイミングなのかなと思って。
自分が働きたい店にするために。地道な下積みを経た社内改革

- 風音
- とはいえ、それまでは自分がお店を継ぐとは思いもしなかったわけですよね。相談された時点で覚悟を決められたんですか?
- 久松さん
- まずは一回ちゃんと現場を見てから決めようという話になり、上田にある本店を見に行きました。自分は、そこで初めてパン屋という仕事のあり方を目の当たりにして。パン一個売って、お金をいただいて、そのうちの何円かが利益になる。なんて原始的な商売だろうと。僕は東京でずっと「虚業」といわれるような実体のないものを売る仕事をしてきたので、物々交換に近いような業態が、すごく地に足がついているように感じたんです。
- 風音
- 働く手触りのようなものを感じたんですね。
- 久松さん
- はい。ただ、パン職人といわれる人たちって、60歳になっても70歳になっても熱心に研究してる人がたくさんいるんです。途中から入った自分がパン作りを一から学ぼうとするのはおこがましい話だなと思って、当時から「自分はその道には入らない」と決めました。
- 風音
- ご自身の強みである営業力や、自分ならではのスキルを活かそうと。
- 久松さん
- でも、そう簡単にはいかなくて。当時の親父の方針は「全部できないとダメ」っていうゼネラリスト思想だったので、そこから10年間はずっと関東エリアの店舗の運営を任されつつ、パンも作るし、アルバイトさんと一緒に販売もする、っていう日々でしたね。

- 風音
- 下積み期間が長い! 前職時代とのギャップはありませんでしたか?
- 久松さん
- まず、最初の頃は年収が4分の1ぐらいになりましたね。今思えば本当に自分も甘かったんですが、会社に入る前は親父が「今の収入は維持するから」みたいなことを言ってくれてたんです。でも実際に入社後最初の振り込み金額を見た時は、「これ一桁間違ってんじゃないか?」って、目の前が真っ暗になりました。
- 風音
- えー! いくらお父さんの頼みとはいえそれは厳しい……。
- 久松さん
- パン屋はどうしても労働集約なんですよね。工場、物流、店のスタッフ、販売のスタッフと、本当にたくさんの人が関わって成り立っているので、一人あたりの収入は構造的に小さくなる。一人で完結する営業マンとはわけが違うんです。頭では当然だと分かるんですけど、最初は正直きつかったですね。
- 風音
- よく逃げずに踏みとどまりましたね。
- 久松さん
- 研修中、どうやって逃げ出そうかって本気で考えましたよ。それでも踏ん張れたのは、当時まだ20代半ばで、独身だったのもありますね。
当時の店舗はサービス残業が横行していて、スタッフ一人ひとりが不満を抱えているけど「それっておかしくない?」と疑問には思わない、みたいな空気だったんです。絶対これじゃこの先続かないよなって当時から思っていました。
- 風音
- 現場のリアルな課題も見えてきたと。
- 久松さん
- ただ、その話をお店のスタッフにしても、全然誰もピンと来てくれなかったんですよ。「今までずっとこうだったし、これからもそうだし」って。でも、そういう話をしていく中で、少しずつ同じ疑問や課題感を持ってくれる仲間が出てきました。
ちょうど僕が入社して数年で、会社として労務を考え直していく時期が来ていて。パン屋は、20~30キロする材料の袋を持ち上げなきゃいけなかったり、どうしても重労働になりがちなんです。そこで、うちは割と早くから機械化を進めて製造工場を立ち上げました。重労働を機械に集約したことで働きやすくなって、社内の98%が女性社員になったんです。

- 風音
- どうやって逃げ出そうかと思うほど大変だった状況から、構造そのものを変えていこうと動かれたんですね。
- 久松さん
- 一番は、自分自身がこんな状態では働きたくないという思いでしたね。こんな状態では、誰も働きたいとは思ってくれないよなと。僕は、地域のパン屋さんって、地元の主婦の方や学生の子たちが来てくれるようなお店であることが一番いいと思うんですよ。ライフステージに合わせて働けるし、地域の情報も入ってきて、暮らしもよりよくなる。それが叶えられたのは、この会社に入ってよかったと思えたことのひとつです。
父との距離と、長野へ帰る覚悟。腹を決めたら、すべてが動き出した

- 風音
- 入社後、お父さんとの関係に変化はありましたか?
- 久松さん
- 正直、会社に入ったから関係が改善した、ということはありませんでした。長野の本社には親父がいるので「同じ空間で一緒に仕事なんかできるわけないじゃん」と思い、自分はずっと関東の店舗運営に注力していました。2024年に自分が代表に就任してからも、直接顔を合わせて一緒に仕事をするのはまだ難しいなと。
- 風音
- 「家業を継ぐ」と聞くと、親子助け合って……みたいなイメージがありますが、実際そうはとは限らないですよね。
- 久松さん
- 僕も、ファミリー企業のいいところって意思決定がスムーズなところだと思うんです。でも、親父と意見が合わない以上、ファミリー企業らしい強みがそもそも打ち出せていなかった。それがずっと悩みでしたね。
- 風音
- そんななか、お父さんのいる長野にUターンする決断をされたのはどうしてですか?

- 久松さん
- それまでは「親父と会いたくない、イヤだイヤだ」って長野に帰ることを避け続けていました。でも、会社に入って10年くらい経った頃に、ふと「一回ちゃんと親父と向き合おう、一緒に仕事をしよう」って覚悟が自分の中で決まったんです。
そこから、まずは積極的にいろんな人に会うことにしました。長野の経営者の先輩や、大学時代のゼミの教授など、「数年ぶりに会うのは敷居が高いな」と感じている人にあえて会いに行ってじっくり話してみることにしたんです。そうするうちに、長野に帰る覚悟も決まりました。
- 風音
- 逃げずに向き合う覚悟を決めたんですね。
- 久松さん
- いざ覚悟を決めて、関東の業務を役員に徐々に引き継ぎ始めた矢先、去年の冬に親父が倒れて。もともとはその次の春に長野に戻ってくる予定だったんですが、急きょ私だけ先にこっちに戻ってきたんです。
- 風音
- そうだったんですね。でも、覚悟を決めて準備をしてきたからこそ、関東のお店を任せてすぐに長野に来られたんですね。
- 久松さん
- 腹を括ってから、本当にいろんなことが動き出しましたね。東京と長野ってそんな大した距離じゃないんですけど、長野に戻ってきた瞬間から、いろんな人と出会えるし、言葉に説得力も出るし、仕事も一気に進んだんです。地元パワーってあるんだなと実感しています。
- 風音
- たとえばどんなことが新しく動き出したんですか?
- 久松さん
- 長野で運送会社の方と知り合って、そこと組んだ運送チームができたことはとても大きかったです。今まで、店舗間をつなぐ物流は社内になかったんですが、そこを任せられるようになったので、厨房機能の無い「BY BAKERY」イオンタウン三輪店の出店も決断できました。
それから、この「BY BAKERY」長野本店の店舗も長野に帰ってきてからたまたま見つけた場所なんです。

- 風音
- ここってもともとパン屋さんでしたよね。居抜きで借りられたんですか?
- 久松さん
- 長野で製造用の工場を探していたら、この物件を紹介していただいて。イオンタウン長野三輪店を出したばかりだったので、同じ年にもう一店舗、しかも路面店を開くのは会社としてもかなりのチャレンジでした。でも、元のオーナーさんが、「頑張ってください」と応援してくれて、オーブンなどの厨房機材から売り上げのPOSデータまですべて譲ってくださったんです。
「こだわりがない」ことがこだわり。人々の日常にパンを届け続けるために

- 風音
- 改めて、これから「BY BAKERY」が長野でどんなお店を目指していきたいか教えてください。
- 久松さん
- うちが目指しているのは、日常のなかにあるパン屋であることです。だから逆に、こだわりがないことがこだわりなんです。たとえば、うちのデニッシュはひとつ145円なんですよ。
- 風音
- えっ、デニッシュが145円ですか? 今どきだいたい300円くらいはしますよね。
- 久松さん
- 卵を信州産にする、バターを信州の牧場のものにする、と素材にこだわっていくと、200〜300円台のデニッシュになると思うんです。それは付加価値としてすごく正しいし「今日は300円出してあのデニッシュを食べよう」っていう日が日常にあるのも素敵だと思うんです。でも、家族4人が毎日食べる朝のパンとなると、4~5つ買って800円くらいまで抑えられないと、また来てくれない。
- 風音
- たしかに、最近の物価高もあって毎日のパンはスーパーで安く済ませがちです。
- 久松さん
- だからこそ、おいしいパンは前提としつつ、こだわりを詰め込んで単価を上げることはしないんです。職人たちの中には「もっとこんなパンを作りたい」って考えてくれる人もいますけど、それをやりすぎると値段が上がっちゃうから、それはうちの仕事じゃないよね、という議論はよくしています。

- 風音
- 職人さんたちのやりたいことは叶えつつ、日常の中にあるパン屋さんというところは崩さない。
- 久松さん
- 「日常のなかにあるパン屋」を叶えていくためには、今後はもっと店舗展開が必要です。「毎日通える」ということは、家から近い距離にないといけない。小さいお店をたくさん出していくことで、日常に入り込めると思うし、その分地域で雇用も生まれて、関係性も広がっていきます。
- 風音
- 長野で目標にしている企業や経営者はいますか?
- 久松さん
- 僕がすごく憧れているのが、長野のおやき屋さんの「小川の庄」さんなんです。おやきで小川村の経済と雇用を支えているのは本当にすごいことですし、社長さんが「地域の人が80歳までうちで働いてくれるのはうれしいよね」とお話されていたのが、めちゃめちゃかっこいいなって。
- 風音
- 暮らしの面でも、仕事先としても、地域の人たちを支えられるお店でありたいと。
- 久松さん
- やっぱり、地元にいて、地元の人たちと一緒に仕事をすることが、ファミリー企業のあるべき姿だと思うんです。近所のお母さんや大学生がアルバイトをしてくれて、そのご家族やお友だちが買いに来てくれるようなお店でありたいなと思っています。
「BY BAKERY」長野本店では、近所の女性がパートで働いてくれているんです。彼女がパンを焼いているとお友だちが朝にパンを買いに来て、厨房に向かって「おはよー!」と声をかけていってくれるんです。その光景を見たときは、すごくうれしかったですね。
帰ってきてから見えてきた、毎日が新鮮な長野の景色

- 風音
- 長野に帰ってきてから、地元に対する見方も変わりましたか?
- 久松さん
- 変わりましたね。「もう帰ってこない」と思って出て行ったけど、今思えば10代の頃の行動範囲なんてめちゃめちゃ狭かったんです。駅前をうろついて、公園でだべっていただけで、長野を知った気になっていた。最近は、夜な夜な善光寺周辺を1時間ぐらい散歩しているんですが、日々新しい発見があるんですよ。
- 風音
- わかります。私も長野市に移住して5年が経ちますが、つい最近、いつも通る道に隠れ家的な居酒屋があるのを見つけて。「まだまだ長野のこと知らないな」と思いました。
- 久松さん
- 飽きちゃうんじゃないかって最初は思ってたんですけど、全然そうはならなかったですね。僕は、旅行に行っても、観光地に行くよりその街で普通に過ごしたい気質なんです。この先40年は、街を歩くだけで発見があり続けるような気がします。
- 風音
- 街だけでなく、人との関わり方も変わりしましたか?
- 久松さん
- まさに、Uターンする前は妻に「地元の友だちと毎晩飲みに行くようになるんでしょ?」って心配されたんですよ。でも、いざ帰ってきてみたら、10代の頃につるんでいたやつらもそれぞれ家庭や仕事があるので、意外とそんなことにはならなくて。
逆に、当時は全然仲良くなかったような同級生とたまたま再会したら、「自分も会社やってるんだよね」みたいな話をされて。「資金繰りどう工夫してる?」とか、同じ目線で話が盛り上がったりして新鮮なんです。
- 風音
- ライフステージの変化によって、地元の人間関係にも変化が。
- 久松さん
- 長野の人っていい感じにいい加減というか、優しくふわっとしてる。人と会って「自分はこういう仕事してて」って話して仲良くなるまでの速度が、埼玉や東京にいた時と比べてめちゃめちゃ早いんですよ。その空気が、今の自分にはすごく合うなと思います。

- 風音
- 最後に、Uターンするか、家業を継ぐか悩んでいる人に向けてメッセージをお願いします。
- 久松さん
- まずは、腹を決める。腹を決めて動き出さないと、周りも何も動かない。「帰ろうかな」って頭の中で自分ひとりで計画してるうちは、ゼロと一緒だと思うんです。まずは決めて、それを表明することで、いろんなことが動き出す。その一言を伝えるのを怖がっちゃうと、誰も協力はしてくれない。
逆に、口に出したことで「なんか違うな」って思ったら、素直に「ごめんなさい」って頭を下げて、話を一つ前に戻せばいいと思うんですよ。「ダメだったら全力で土下座します!」っていうことだけ心の中に決めて行動すれば、意外と話は進むと思いますよ!
取材を終えて
「家業を継ぐ」と聞くと、どこか美談として語られがちです。親の背中を見て育ち、感謝とともにバトンを受け取る。そんなイメージを、私自身も勝手に持っていました。
きっと、家業を持つ人の中には、久松さんのように親とうまくいかず、地元も好きになれずに「もう帰らない」と離れていった人も少なくないのではないでしょうか。
もし今、実家のことや、地元に戻ることを頭の片隅で考えている人がいたら、まずはその気持ちを誰かに話してみることから始めてみませんか。そうすることで、自分も周りも、少しずつ動き始めるかもしれません。
編集:木村衣里
撮影:西優紀美

