2025.01.28
「二段階移住」という新しい選択。都市部で装備を揃え、憧れの土地へ踏み出そう
こんにちは、ライターの風音です。
長野って、自然が豊かだし、程よく街があって暮らしやすそう。数回の旅行を経てそう思うようになり、軽い気持ちで長野に移住してから早四年が経ちました。
移住当初、まだ20代前半だった私は、映画館や美術館といった文化施設や、魅力的な飲食店が並ぶ街並み、イベントごとも多い長野市の雰囲気に惹かれ、結果として充実した生活を送っています。ただ最近は、もっとのんびりとしたところでの暮らしにも興味が湧いてきました。
地方移住というとすぐに「田舎暮らし!」というイメージを持つ人が多いかもしれません。ただ最近では、まずは都市部で暮らしに慣れてから、理想の土地へ移り住む「二段階移住」が注目されているらしいのです。
大阪から長野に移住し「ヤマとカワ珈琲店」をオープンした川下康太さんもその一人。9年間の長野市での暮らしを経て、お子さんの小学校進学を機に、家族揃って木曽の開田高原に移住されました。
また、SuuHaa編集部の徳谷柿次郎も、川下さんと同じく大阪出身。田舎暮らしに憧れを抱いて長野へ移住するも、まずは長野市と東京の二拠点生活から始め、準備や経験を積んだ後に信濃町へ移住しました。
都会から地方の都市部へ、そして都市部から田舎へ。段階を踏んだことで得たものや、地方移住を考える上での心構えとは? 緑まぶしい開田高原の焙煎所で、お二人の移住体験について話を聞きました。
「いきなり田舎」は勇気が出なかった
- 柿次郎
- 僕と川下さんには、田舎に移り住む前に、長野市を経由したという共通点があります。今日はそんな二人で、「二段階移住」についてお話したいなと思っています。
- 川下さん
- よろしくお願いします。
- 柿次郎
- まずはお互いの移住歴をおさらいしてみましょうか。
■徳谷柿次郎の移住歴 ・2016 東京と長野市の2拠点生活を開始。善光寺下で「シンカイ」の経営を開始。 ・2019 東京の自宅を解約し、長野市に移住。 ・2022 長野市内にHuuuuのオフィス「MADO」を構える。権堂でスナック「夜風」をオープン。 ・2023 信濃町に移住。犬を飼い始める。信濃町と長野市を行き来しながら、全国を行脚。 ■川下康太さんの移住歴 ・2013 名古屋から長野市へ移住。 ・2014 市内で「ヤマとカワ珈琲店」をオープン ・2022 子どもの小学校進学を機に、家族で木曽の開田高原に移住。長野市の店は継続し、木曽と長野を行き来しながら焙煎を行う。 |
- 柿次郎
- 僕は、長野に通い始めた当初からずっと「信濃町っていいな」と思っていたんです。でも最初は一旦様子を見ようと、長野市に家を借りました。川下さんはもともと二段階移住を考えていましたか?
- 川下さん
- 最初は「とりあえず移住しよう!」みたいな感じでしたね。当時は独り身で動きやすかったこともあって、二段階目までは考えていなかったです。
- 柿次郎
- そもそも、川下さんはどうして長野へ?
- 川下さん
- とにかく「自分を変えたい!」という意識が強かったんです。移住するまでの僕は、親に言われるがまま進学し、そのまま就職して、ずっとサラリーマンとして働いてきた。自分の意志で物事を決めてこなかったことに対するコンプレックスがすごくあって。全然知らない土地で一から人生をやり直してみたかったというか。
ちょうどそのときに知り合いが、「最近、長野市には面白い人たちがいるよ」と教えてくれて。当時の長野市は、善光寺門前界隈で空き家のリノベーションが盛んになってきた頃で、自分と同じように開業している若い人たちがいたんです。
- 柿次郎
- もしその時点で開田高原を勧められていたら、そっちに移住していた可能性もありました?
- 川下さん
- いや、多分そこまでは勇気が出なかったかも。移住を考え始めた頃は、山登りが好きなこともあって、アルプス山脈が見える安曇野の池田町も候補としては挙がってたんです。でも、まったく未経験の商売をするには、池田町は人口が少なすぎて。その点、長野市はある程度「街の機能」があったから安心できました。
- 柿次郎
- 一段階目で街に居場所を作ることのメリットは大きいですよね。住むことで築ける関係性があるというか。僕自身、長野市で友達がたくさんできたからこそ、信濃町に移住してからも街(長野市)に行く理由ができた。いきなり信濃町に行っていたら、長野の人たちにとってはいつまで経っても「外から来たお客さん」だった気がします。
地方暮らしは「靴選び」から始まった
- 柿次郎
- 開田高原への移住を考えたきっかけは何だったんでしょうか?
- 川下さん
- 一番のきっかけは、子供が生まれたことですね。夫婦で自然と「子供をもっと伸び伸びと遊ばせられる環境があったらいいね」と話すようになって。そこから、県内のいろんな地域を見に行くようになりました。
開田高原を移住先に選んだのは、義母の故郷であることも影響しています。妻が幼い頃から家族でよく訪れていて、とても思い入れのある場所だったんです。でも最近では、子供の頃によく遊んでいた川が荒れていったり、人口が減ってお店が次々と閉店していく様子をもどかしく感じていたようで。
そんな背景もあって移住の話が出た時は自然と「開田高原で暮らそう」という話にまとまりました。
- 柿次郎
- 地縁もあるし、子育て環境も良さそうだと。
- 川下さん
- いざ移住してみたら、「子供がのびのび遊べる環境」というのは大人にとってもめっちゃ楽しいんですよね。思い立ったらすぐに焚き火ができる環境だし、山にも遊びに行きやすい。コーヒーの焙煎をする上でも、場所を選ばず、周りに気を使わずにできる。
- 柿次郎
- 仕事の面でもポジティブな結果につながったんですね。
- 川下さん
- でも長野に移住する前は、地方の田舎で商売が成り立つとは、全く想像していませんでした。本格的に開田高原への移住を検討し始めたのは、ちょうどコロナの時期だったんです。オンラインでの売り上げが伸びてきて、別の地域でもやっていけるような仕組みが徐々にできあがっていったというか。
- 柿次郎
- コロナで生活様式が一変したことも一つの転機になったと。
- 川下さん
- はい。そもそも僕はずっと都市部に住んでいたので、いきなり開田高原に移住していたら、それまでの生活とのギャップがありすぎて戸惑っていたと思うんですよね。
- 柿次郎
- それは絶対ありますね。僕は東京から長野市に移住するだけでも相当なギャップがありました……。
- 川下さん
- 一番最初に痛感したのが冬の靴事情! 雪靴の存在すら知らなくて、スニーカーしか持っていなかったんですよ。長野市に来て最初の冬は、もう靴が全部ビチャビチャになって……。
- 柿次郎
- あるある! 僕も冬場はキャンパス地のスニーカーが履けないなんて知りませんでした。
- 川下さん
- こっちに移住するまで車を持っていなくて、雪のことをあんまり考えず二駆の乗用車を買ったんですよ。長野市内ならそれで十分だったけど、開田高原に移住するタイミングで四駆の車に買い換えました。そういう感覚も移住前は全然わからなかった。
- 柿次郎
- 僕は逆に、長野市に来るタイミングで新車で四駆のSUVを買いました。まずは安い中古車を買って、慣れるのも一案なんですけど、最初からスペックの高い車を買うことで、冬に対する恐れとリスクは相当減りましたね。
- 川下さん
- そういう冬への備えも、長野市で暮らす中で徐々にレベルアップしてきた感覚はありますよね。そういう点でも、段階を踏んで移住したのは、結果としてすごく良かったなと思います。
- 柿次郎
- この感覚ってRPGに近いですよね。街で情報や道具を集めて、経験値を積んで、一つひとつクエストを解決していく中で、ようやく「田舎暮らし」というボス戦にたどり着ける、みたいな。
- 川下さん
- たしかに。ドラクエでも、ボス戦で必要になる道具はその近くの街で見つかりますから。
- 柿次郎
- そうそう! 長野って広いから、信濃町で役立つ情報や装備が、開田高原でもそのまま使えるとは限らない。通える範囲の街に根を張りながら土地との関係性を作って、知識を貯めて道具を揃えていかないと。
不便を楽しむ、移住の流儀
- 柿次郎
- でも、開田高原は長野市よりもっと寒いですよね? 実際に移住する中でギャップはなかったですか?
- 川下さん
- 長野市の生活で冬場の知識がついたので、案外スムーズに馴染めましたね。今の家は断熱がしっかりしているので、冬場もストーブ一台で快適に暮らせてます。寒さや雪に苦しめられている感覚は全然ないです。
- 柿次郎
- 信濃町は冬になると、2メートルぐらい雪が積もるんですよ。でも、前もって現地の友人に相談して除雪機を準備していたおかげで、雪もかなり楽しめていて。冬が明けても、6月ぐらいまでは「もうちょい雪があってもよかったな」と考えているくらい。
- 川下さん
- 開田高原に移住したと言うと、「不便なことはないですか?」とよく聞かれるんですが、僕はそもそも「不便」と思わないようにしているんです。スーパーが遠いとか、そういったことは覚悟の上で移住してきてるし、そもそも便利さをそこまで望んでいない。「その状態をいかに楽しむか」っていう心持ちというか。
- 柿次郎
- コロナ禍でリモートワークが広がった影響なのかもしれないけれど、そこまでマインドが仕上がっていないのに、世の中の空気的に「なんか東京じゃないとこに行った方がいいかも?」って考える人が増えていると思ってて。
これはあえて強く言いたいんですけど、都会から移住して来た人が、その価値観を引きずったまま「不便だ」と文句を言うようなら、まだ選んだ土地を受け入れる準備ができてないってことだと思うんです。
- 川下さん
- そうですね。都会の価値観を引きずったままだと、結局自分が苦しくなっちゃいますからね。
- 柿次郎
- 切羽詰まりながら何かやるときって、たいてい失敗するじゃないですか。そういう意味でも、長野市を一段階目に挟むのはちょうどいいと思うんです。「前の方が良かったな」と思う回数が多いんだとしたら、まだ自分の状態が整ってないし、実は地方にもあるものを、自分で面白がれていない。
- 川下さん
- たしかに。僕らみたいに、30〜40代で家族を連れての移住とかになってくると、掛けられる保険は掛けたほうがいいですもんね。
- 柿次郎
- 逆に「ここで十分だ」ってそのまま都市部で落ち着くことも全然あり得ますよね。実は僕自身、一度長野市での暮らしを挟んだことで、ただ「田舎暮らし」をしたいわけじゃないってことに気づいて。
- 川下さん
- あ、そうなんですね。
- 柿次郎
- 家は信濃町にあるけど、オフィスは長野市内にあるし、都市と田舎でバランスを取っています。やっぱり僕は大阪の街で育ってきたから、都市は一生捨てられない気がするんですよ。
- 川下さん
- なるほど、僕も同意です。本当に自給自足生活がしたいなら、いきなり田舎に行った方がいいだろうけど、都市の暮らしも捨てがたい!という感覚なら、まずは都市部に住んでみるというのもありですよね。
- 柿次郎
- うんうん。「地方移住」と聞くと「田舎暮らし」のイメージが強いかもしれないけど、一つの選択肢として「二段階移住」を持っておくのはいい気がするな。都市と田舎のいいとこどりをする暮らしだってある、というのはもっと伝えていきたいですね。
- 川下さん
- そうですね。今、僕らが漠然と考えているのは、息子が高校進学する歳になったら、3年間だけ家族で松本に住む、みたいなことがやれたらいいなぁと。
- 柿次郎
- それ、めちゃくちゃいいですね! 三段階目の移住だ。
- 川下さん
- そうそう。数年だけまた都市部に住む、というのもおもしろそうだなぁと。開田高原の家も持ちつつ、これからもっといろんな楽しいことができる気がしています。
執筆:風音 撮影:小林直博 編集:日向コイケ(Huuuu)