
2026.02.27
地元に住まないという関わり方。毎年1000人を集めた松川村のビアフェスがたどり着いた「休む選択」
安曇野の豊かな自然に囲まれたリンリンパーク。ここで年に一度、クラフトビールと音楽、地域の食が集う野外イベント「松川クラフトビールフェスティバル」が開かれています。
主催するのは、東京在住・松川村出身の小沼真之さん。大学時代に訪れた北海道・美深町のビールフェスで心動かされ、「地元にもこんな場を」と始めたイベントは、今年3年目で2日間開催・来場者1,500人規模にまで成長。県内の飲食店を中心に50店舗以上が参加する規模へと広がり、老若男女が集う地域イベントとして根付きつつあります。

しかし、都市に暮らしながら地元と関わり続ける「選択」を実践してきた彼が、3年目を終えて下した決断は「一旦休む」というもの。3年間の赤字、地域とのコミュニケーションのずれ、見失いかけた本来の目的——。移住でも二拠点居住でもない、関係人口という新しい関わり方が直面したリアルな壁と、それでも地元とつながり続けようとする一人の若者の姿を追います。
- 話を聞いた人
小沼真之さん(おぬま・まさゆき) - 長野県松川村出身、東京都在住。外資系家電メーカー、IT企業勤務を経て独立。現在は東京で飲食業に従事しながら、フリーでイベント企画、制作などを行う。2023年から地元・松川村のリンリンパークで「Matsukawa Craft Beer Festival」を主催。
住んでなくても関われる場所を作る

——今回初めて参加させてもらったのですが、とても和やかでいい雰囲気ですね。大学時代に感動した美深町のビールフェスもこんな感じだったんですか?
雰囲気は近いかもしれません。町の人と旅人が一緒に乾杯して、音楽が流れて、自然の中でのんびり過ごしてっていう。美深町って人口4000人ぐらいの小さな町なんですけど、人が少なくても、熱意と工夫でこんなに豊かな時間が作れるんだって感動して。松川村はその倍くらい人口があるので、もっといろんなことができるんじゃないかと思ったところがすべての始まりですね。
——当時から地元で何か活動がしたいという思いがあったんですか?
生まれ育った土地なので、地元に何か貢献できればいいなとは思ってました。コロナ明けのタイミングで人が集まる場所も少なくなってましたし、イベントきっかけでまたみんなが集まれるようになればと。
あと、「関係人口」って言葉もありますけど、その土地に住んでいなくても関わり続けられるっていいなと思っていたんですよね。自分も東京に出てますけど、地元は好きですし、関わり方っていうのはいろいろあっていいかなと。地元を出た人たちが、このフェスをきっかけに戻ってきて再会できるとか、そういう同窓会みたいな場所にもしたかったんです。
——なるほど。たしかにそういう場所は希少かもしれないですね。
でも、当時はまだ学生でしたし、「やりたい」と思ってもどうしたらいいかまったく分からなくて。だから実際に動き出したのは社会人になってからでした。外資系の家電メーカーに勤めていたんですけど、2年くらい勤めて転職をしようと思ったタイミングで少し時間があったので、なんとなく企画書を作って役場に持ち込んだんです。
役場の方々にも好意的に受け止めてもらったんですが、会場が決まるまでは結構紆余曲折があって。開催3か月前にやっと場所が押さえられて、なんとか開催できたという感じだったんです。協力してくださった方々には本当に感謝しかありません。
来場者1000人、手探りで形にした初回開催

——イベントを企画したのはその時が初めてですか?
そうですね。地域づくりも勉強したことはありませんし、企画の実務経験もゼロでした。強いて言えば、デザインやアートに興味があったので、見せ方や雰囲気作りの感覚は多少あったくらいです。

——出店交渉やアーティストのブッキングはどうやって?
実績があるわけじゃないので、こういうことをやりたいんですって率直に伝えて、皆さんに協力をお願いするかたちでした。ホームページやSNSを見て、直接メッセージを送ってお話をさせてもらうっていう。
ブリュワリーさんの出店料やアーティストのギャラも、全然相場がわからないので、「大体どのくらいでやってますか?」みたいなことを聞いて、お互いに無理のない形を模索していきました。
——デザインにもすごくこだわりを感じたんですけど、そのあたりはご自身の知見を生かされたかたちですか?
ディレクションをしてくださったのは、松川村出身のデザイナーで渡辺明日香さんという方です。フジロックのアートディレクションも担当されたことがある有名な方で、知り合いの縁で紹介していただきました。
渡辺さんのデザインって、派手さはないのにすごく印象に残るんです。線と余白で感情や動きを描くミニマルな作風で、静かだけど強い存在感があります。「ぜひお願いしたい!」と思ってコンタクトしたら、もう一つ返事で「やります」と言ってくださったのが本当に嬉しかったですね。渡辺さんが関わってくれたことで、このイベントに世界観が生まれて、それが人を惹きつける力にもなったと思います。

——実際、初回はかなりの来場者数があったようですね。
一日で1,000人以上の方々が来てくれました。もちろんデザインだけではなくて、出店してくださったブリュワリーさんの美味しいビールや、アーティストの方々の演奏、そして何より皆さんの協力があってこそなんですけど、想像以上の反響が得られて。
お子さん連れで遊びに来て下さった方も多くて、地元の方々から「この松川にこんなに子ども達がいたんだね」なんて声をかけてもらったりもしました。普段は本当に静かな村なので、地域に新しい風を吹き込むことができたのかなと実感して。ここでゼロから作り上げた経験が、その後の自分の人生を変えてくれたと思います。
「ローカル×シティ」東京を離れずに地元と関わる理由

——企画した当時は就職活動中だったと思うんですが、イベントの開催を機にご自身のキャリアにも変化があったんですか?
そうですね。割とトレンディーなIT企業で働いていたのですが、それと同時並行で、副業的にナチュラルワインのお店でも働くようになりました。
お店で働くようになったのは、イベントを通じて知った「お客さんのリアルな反応が目の前にある面白さ」が忘れられなかったからだと思います。それもあって、あるときにふと会社の仕事の方に違和感を感じてしまって。もちろんたくさん勉強にはなったんですけど、もっと顔の見える仕事がしたいなと思って会社を辞めて独立しました。
今は東京で飲食の仕事をしながら、松本でワインフェスを企画したり、音楽イベントやアパレルのポップアップなど、イベント制作の仕事をさせてもらってます。
——あくまでも拠点は東京なんですね。Uターンを考えたりはしないですか?
今のところ、完全に戻ることは考えていないです。地元はもちろん好きだし、恩返ししたい気持ちもあるんですけど、東京にいるからこそ見える景色とか、持ってこられるものがあると思っていて。
東京って、新しい文化とか情報とか、世界とつながっている感覚が常にあるんですよね。良くも悪くもスピードが早くて、刺激も多い。そこに身を置きながら企画を考えて、長野の自然や人との距離の近さを掛け合わせる。これを自分は「ローカル×シティ」と呼んでいて、それを活動の軸にしているんです。
——ローカル×シティ。すごく時代性のある言葉ですね。
もし長野に戻ってしまったら、その掛け算じゃなくて“一色”になってしまう気もしていて。僕はどっちか一方に染まるんじゃなくて、行き来することでしか生まれない表現がしたいなと。東京に生活の拠点を置きつつ、気持ちの拠点はずっと長野にある、みたいな感覚が今はしっくりきています。
関わり続けるために「休む」という選択

——でも、都市と地方を行き来する関わり方って、現実的に難しい部分もあるんじゃないですか?
そうなんですよね。実際、仕事も忙しくて松川村には月1回くらいしか行けてなかったです。今思えば、その頻度では地元の人たちとの関係性を深めるには全然足りなかった。イベントの打ち合わせや準備の時間だけで精一杯で、何気ない世間話をしたり、普段の暮らしの延長線上で顔を合わせたりすることがほとんどなかったので。そういう積み重ねがあってこそ生まれる信頼や空気感に、僕はちゃんと触れきれていなかったんですよね。
——イベント自体は着実に成長している中で、どうしてそうした違和感が生まれていったんですか?
地元の声に考えさせられたところはありましたね。例えば、3年目からイベント継続のために入場料を導入したんですが、「前はもっと気軽に立ち寄れたよね」とか、「なんだか都会の音楽フェスみたいになってきたね」といった声もあって。自分としては運営を持続させるための前向きな判断だったんですけど、地元の人にとっては少し遠いイベントになってしまったんだろうなと。
それに、そもそも僕が持ち込もうとしていた「シティ」という価値そのものが、地元の人たちにとっては必要のないものだったのかもしれなくて。結局、イベントって人と人のコミュニケーションの上に成り立つものだと思うんですけど、月1回しか来られない状況では、出店者さんや地域の方々との関係性はどうしても薄くなりますよね。そんな関係性が薄いまま、いくらいいイベントを作ろうとしても、きっとどこかで限界が来る。だから来年は、いったん仕切り直しの意味でもお休みさせてもらおうと考えているんです。

——え、そうなんですか!?
地元への思いは今も変わらないんですけど、金銭的にも時間的にも、正直限界が来ているというのもあります。3年間ずっと赤字で、東京で働いて稼いだお金を地元に投じてきたんですけど、一人で運営してると協賛獲得にも十分な時間が割けなくて。ありがたいことに期待してくれる人も増えてきたからこそ、立ち止まってこれからを考える時間が必要なのかなと。
——具体的には、どんなふうに変えていこうと考えてるんですか?
まずは運営体制を一から見直したいと思っています。これまではほとんど一人で抱え込んでしまっていたので、きちんとチームをつくって、役割を分担しながら動ける形にしていく。その土台を整えないと、続けていくこと自体が難しいと感じています。
その上で、何より時間をかけたいのは、地元との関係を結び直すことです。イベント当日の一回きりの関係ではなく、普段から地元の飲食店に顔を出したり、ほかの地域イベントに足を運んだり、改めてご挨拶をしたり。そうやって一つひとつのコミュニケーションを積み重ねていきたい。月に一度来て大きなイベントだけをやる、という関わり方ではなく、もっと日常の延長線上でつながっていける形にしたいんです。
——運営体制も、地域との向き合い方も、どちらも改めて整え直そうとしていると。
そうですね。それと同時に、このイベントの「目的」ももう一度見直したいと思っています。企画当初とは、世の中も自分自身も変化していますし、続けることが目的になってしまっていた部分もあったかもしれない。このイベントを通じて何を実現したいのか。それを自分一人で決めるのではなく、関わってくれている人たちと一緒に考え直したいんです。
そもそも僕は、クラフトビールフェスそのものをやりたかったわけではないんですよね。ビールはあくまで人が集うための手段であって、目的ではなかった。音楽があって、自然の中でピクニックみたいにのんびり過ごせて、久しぶりに会った友達と笑顔で乾杯できる。そういう時間を地元につくりたかったんだと、今になってあらためて気づいています。

——じゃあ、立ち止まるとは言っても、地域との関わりをやめるわけではないんですね。
もちろんです。むしろ、地元だからこそ、もっと深く関わりたいんですよね。僕、他にも別の地域でワインフェスをやったり、受託でイベントを手がけたりもしてるんですけど、それぞれに大切にしているものがあって。ただ、関わり方の濃度というか、距離感は違うんです。
生まれ育った土地だからこそ、もっとコミュニケーションを深くしたいし、地域の人たちが本当に望んでいることを理解したい。出店してくれたブリュワリーさんとか、応援してくれた人たちがいるからこそ、今のイベントがあるわけで、その人たちの声をちゃんと聞いて一緒に作り上げていきたいなと。それが協力してくれた人たちへの恩返しにもなると思うので。
——非常に誠実なあり方ですね。
僕がいろんな地域を行き来しているというのもあるんですが、地域との関わり方ってグラデーションがあっていいと思っています。それは3年やってみて、やっと言葉にできるようになった感じですね。最初は地元に貢献したいっていう思いだけでスタートしたんですけど、やってく中で、自分が本当に作りたいものが何なのか、どう関わりたいのかが少しずつ見えてきたっていうのがありました。

——「一旦休む」って、諦めることとは全然違いますよね。
むしろ本気で向き合いたいからこそ、ですね。走り続けてたら見えなくなるものもあるし、立ち止まることで初めて気づけることもあるんじゃないかなと。地元との関係って一回作ったら終わりじゃなくて、ずっと続いていくものじゃないですか。だから、焦らずに長い目で考えたいんです。
——長く関わり続けるために、今は立ち止まる。
そうですね。都市にいるか地方にいるかという二択ではなくて、その間にある”関わり続ける生き方”にも価値があると思っています。僕は10年後、20年後も何らかの形で地元と関わっていたい。その緩やかなグラデーションの中に、自分らしい地元とのつながり方がある気がしているんです。
——大きなイベントを実践された小沼さんならではの視点で、地元との関わり方を切り拓いていく姿勢には感銘をうけました。これから小沼さんの10年後、20年後が楽しみです。今日はお話を聞かせていただき、ありがとうございました!

構成:根岸達朗
撮影:五味貴志

