
2023.05.08
長野の山奥で人生最高の寿司屋に出会った話。<海無し県の魚事情 vol.1>

こんにちは。
ライターの小林です。
実は、僕、魚介類が大好きでして。
普段都内でお酒を飲むときのアテは、魚介類がほとんど。
しめ鯖、ツブ貝、なめろう……あぁ、想像しただけでよだれが出てきました。

ただ、残念なことに長野県は「海なし県」。おいしい魚介類に巡り合えていなかったのも事実です。でも、そんな悩みをSuuHaa編集長の藤原にポツリととこぼしたらとんでもない朗報がやってきました。
- 小林
- なんとか長野県でおいしい魚を食べたいんですよね。
- 藤原
- 安心してください、小林さん。実は長野の山奥に超人気の寿司屋があるんです。
- 小林
- ほんとに……?
- 藤原
- 聞くところによると、その寿司屋が決め手になって移住してきた人がいたり、都内から日帰りで通うお客さんもいるとか。最近では噂を聞きつけた海外からのお客さんもやってきているそうです。
- 小林
- 寿司屋が決め手で移住!やばいですね。ぜひ行きましょう!
というわけで、僕たちが向かったのは長野県の南部・下條村にある寿司屋「吉村」。ちなみにお店の場所をGoogle Mapで調べてみたらこの通り。

なんでわざわざ山奥にお店をつくったの?「海なし県」の長野でなぜ美味しい寿司を握れるの?アクセスが悪いのにどうしてそんなに人が訪れているの?
気になる真相をたしかめるために、そして美味しいお寿司を食べるために、長野県の南部・下條村へ行ってきました!
長野県の山奥へわざわざ寿司を食べに来る外国人がいるお店?

(ブーン)
クルマでもけっこうかかったなぁ。そろそろ到着するかな。

お、「吉村」と書かれた看板が見えてきたぞ。到着だ。

(ガラガラ)
- 小林
- おじゃまします。
- 吉村さん
- へい、らっしゃい。まずはこちらにお座りください。

- 小林
- ありがとうございます。それにしても、山奥にカウンターで食べられる寿司屋さんがあるなんて新鮮だなぁ。
- 吉村さん
- こんな山奥なんですけど、都内はもちろん海外からもお客さんが来られるんですよ。昨日はニューヨーク、この間はフランス。中国の方もいたかな。SNSか何かで口コミを見てわざわざ来てくれているんですよね。メールやメッセージもよく届きます。
- 小林
- (やっぱり噂は本当だった!)なぜそんなに「吉村」の寿司が人を惹きつけるのか、気になっていまして。
- 吉村さん
- はは(笑)。まぁまぁ、お話は後にして、まずは寿司を召し上がってください。
寿司の旨さは新鮮さだけではない!「吉村」の寿司が旨いワケ

- 吉村さん
- 苦手なものってありますか?
- 小林
- 特にないです!
- 吉村さん
- よかった!じゃあ、まずイカからどうぞ。

- 小林
- いただきます……ん!食感が全然違います!
- 吉村さん
- そうでしょう。国内で流通しているイカって、アフリカ沖などで取った冷凍のものが多いんです。でも、ここのイカは国産で、生きたまま海水に入って届きます。だから「サクサク」とした食感なんです。
- 小林
- たしかに、イカというと「むにゅ」っとした食感のイメージもあったけれど、これは全然違う……!やはり寿司ってネタの新鮮さが重要なんでしょうか?
- 吉村さん
- 実は、それだけじゃないんです。では、次は鯛を食べてみてください。醤油を付けずにそのままどうぞ。

- 小林
(もぐもぐ)。はふっ!美味しすぎる……人生ベスト級の鯛です。
- 吉村さん
- 実は鯛って、シメてすぐは硬いだけ。うちの店では、2日寝かせて柔らかさと旨みを引き出しています。
- 小林
- 早くシメて、新鮮なうちに握るだけではないんですね。
- 吉村さん
- 生きたままピチピチの魚がやってきて、すぐにシメて、捌いて、握るってイメージがあるかもしれませんが、実際はそうでもありません。コハダは2〜3日、マグロは3日、穴子も仕込んでから数日かかります。
魚の状態によって、食べ頃を見極めて、引き出すのが寿司屋の腕の見せどころ。新鮮さを求める「刺身」とはまた違うんですよね。寿司も、経験と技術が物を言う、ひとつの料理ですから。ほい。そしてこちらがコハダです。


- 小林
- ありがとうございます。うわぁ、なんて美味しいコハダだ……!光り物が大好きなので、最高です。
- 吉村さん
- コハダは寝かすことでお酢と塩が馴染んでくる。そしてネタケースから出したばかりでは冷気が残っていて、美味しい温度になりません。だから少し常温に戻してあげています。
- 小林
- 本当にネタ一つひとつに知識と技術が詰まっている……!
下條村で30年。なぜ山奥で寿司屋を?

- 小林
- いやぁ、出てくるお寿司が、どれも美味しすぎて驚いています。ちなみに吉村さんはお店を始められて何年になるんですか?
- 吉村さん
- 20代で独立して、大体30年くらい経ちましたかね。
- 小林
- そんなに!そもそも、吉村さんはなんで下條村で寿司屋を営んでいるんですか?

- 吉村さん
- もともと私自身が、下條村出身なんですよ。勉強がキライで、中学を卒業してからすぐに東京の寿司屋に修行に入りました。当時は料理が好きだったし、寿司を食べるのも好きだったので、「こんな美味しいものを自分で握れるようになったら、腹一杯食べられるじゃないか」という甘い気持ちでいましたね(笑)。
- 小林
- 東京では何年くらい修行されたんですか?
- 吉村さん
- 5〜6年くらいですかね。その間に3軒の寿司屋を経験しました。いかんせん生半可な気持ちで修行に行ったものだから、苦労しましたよ。でも、ツラい思いをした仕事ほど忘れないんですよね。今でも寿司を握る基礎になっていますから。
- 小林
- ちなみに、東京で寿司屋を開こうとは思わなかったんですか?

- 吉村さん
- それは思わなかったですね。ずっと山の中で寿司屋を開きたいと思っていました。
- 小林
- それはなぜ……?
- 吉村さん
- ある意味、東京や都市部の方がお客さんもいるし、楽かもしれません。でも、逆に山の中で通用したら、どこに行っても通用するはず。あと、本場の寿司を地元の人たちにも食べてもらいたいという想いもありました。実際に、下條村ではうちの店が寿司屋第一号なんですよ。
- 小林
- 村で初めての寿司屋だったんですね!でも、いくら寿司の旨さは新鮮さだけではないとはいえ、山の中まで魚を持って来るのも大変じゃないんですか?
- 吉村さん
- そうですねぇ。最初は魚屋さんにも「下條村はさすがに遠すぎる」って断られましたよ。でも、何度も何度も頼み続けてやっと、相性の良い魚屋さんと取引できるようになりました。おかげさまで握りたい寿司を握らせてもらっています。

1週間で来客がゼロ!?10年間の苦しい時期を乗り越えて。
- 小林
- とはいえ、もともと寿司を食べる習慣がなかった土地柄で、しかも山奥。30年前だとSNSなどもない時代で、大変なことも多そうですが……。
- 吉村さん
- 当時はもう、お客さんなんて全然来なかったですよ。せいぜい近所の人がたまに来るか、山の中で道に迷った人が「暗い中で電気がついていたから」とふらっと寄ってくれるくらい。1週間で1人もお客さんが来ないことだってありましたね。

- 小林
- 1週間で1人も!?
- 吉村さん
- そう。お店の経営も厳しくて、ストーブ代の電気代がもったいないから、火鉢を持ってきて炭で火を焚いたりしていましたね。当然寒いんだけど、「どうせお客さん来ないから」って(笑)。
- 小林
- 想像以上に大変だった……。
- 吉村さん
- 子どもたちには、かわいそうな思いもさせちゃいましたね。一度、せっかく仕入れたウニが保たなくなってしまいそうで、子どもたちに「おやつだ」って言って、ウニ丼にして食べさせたこともありました。
そしたら翌日、たまたま学校でおやつ調べがあって。みんな、おやつらしいおやつを発表するなか、吉村家のおやつだけ「ウニ丼」(笑)。学校中の話題になっちゃって。先生たちからも「どういうことですか!?」って聞かれる始末。それで、「寿司屋をやっていて、お客さんに出せなくなったウニを出しているんです」と説明したりしてね。
でも、その「ウニ丼事件」がきっかけで先生たちがお店に通ってくれるようになったりして。はい、これがそのウニね。

- 小林
- ありがとうございます……(モグモグ)旨い!このウニから光明が差したのかぁ。
- 吉村さん
- そうかもしれないね。しかも、先生たちって転勤があるから、別の土地の学校に行っても「下條村に美味しい寿司屋がある」って紹介してくれて。そうやって口コミで少しずつ店を訪れる人も増えていきました。今では都内からわざわざ日帰りで食べに来られる方がいたり、うちの店が決め手になって移住された方がいたりします。
- 小林
- 移住者も生み出す寿司屋ってすごすぎる……!そのように軌道に乗るまでどれくらいかかったんですか?
- 吉村さん
- だいたい10年くらいはかかっているかな、はは(笑)。

- 小林
- 10年!すごい辛抱だ……。寿司一本ではなく、ほかのものも扱おうとは考えなかったんですか?
- 吉村さん
- しょっちゅう思いましたよ。お客さんからすれば、寿司も食べれて、天ぷらや唐揚げも食べられて、酒を飲んでワイワイできた方が便利で楽でしょう。でも、それをやったらおしまいだなと思って。
- 小林
- 「おしまい」とは?
- 吉村さん
- 自分がやってきたことがゼロになってしまう。天ぷらは天ぷら屋、鰻は鰻屋に任せた方がいい。儲けに走ってしまうと、結局中途半端になってしまいますから。妻も「それでダメだったら、いいじゃない」と背中を押してくれました。
- 小林
- めちゃいい奥さん……。
- 吉村さん
- 今では海外の人も含めて遠くから来てくれるお客さんも増えましたが、地元の人にも通ってもらえるようになったのが嬉しいですね。小さい子どもが生まれた家では、お食い初めや生魚デビューのときにうちの店を使ってくれたりしてね。そのときには、お米1粒を4つに切って握ってあげたりしています。

- 小林
- お米1粒を4つに……そんなに手間がかかることを、わざわざしてくれたら絶対に嬉しいだろうなぁ。
- 吉村さん
- 生魚デビューした頃から来てくれた子どもが大きくなって、パートナーを連れてきたり、子どもが生まれて見せてくれたり。その過程を見せてもらえるのが嬉しいですよね。
小学校からうちの店に通っていた子は、もう魚の良し悪しがわかるようになっていて。県外の大学に出て、スーパーの鮮魚コーナーでバイトしていたときに重宝されていた、なんて話を教えてもらうこともありますね。
- 小林
- 地元の人は、この「吉村」の寿司を見て、食べて、育っていくんですね。

寿司屋を続けられたのは、夫婦の協力があってこそ。

- 吉村さんの奥さん
- こちらデザートです。綿菓子に抹茶をかけて召し上がってください。
- 小林
- デザートもついてくるんですね!いただきます。いやぁ、お寿司はめちゃくちゃ美味しくて一級品なのに、アットホームな雰囲気がすごい素敵だなと思いました。「通いたくなる」要素がたくさん。

- 吉村さんの奥さん
- ありがとうございます。それは、この人の雰囲気があるからだと思いますよ。ふつう「寿司屋の大将」って気難しいイメージだけど、この人はちょっと親しみやすいというか。若い女の子から「大将、かわいい」なんて言われちゃうくらい。
- 吉村さん
- この綿菓子も、僕がつくったら厨房中を綿菓子まみれにしちゃってね(笑)。
- 小林
- たしかに、綿菓子まみれであたふたしてる大将はかわいいかもしれないです(笑)。
- 吉村さんの奥さん
- 昨日なんて、お客さんがあなたの前髪見て大爆笑していたもんね。


- 吉村さん
- そうそう(笑)。丸坊主だとさみしいし、ロン毛も似合わないし、せめて前髪だけ残そうと思って、この「カモノハシカット」をしているんだけどね。この髪も妻がやってくれていて、気に入っているんですよ。
でも、僕は、ここまで来れたのは妻のサポートのおかげだと思っています。軌道に乗った後でもコロナ禍があって大変だったけれど、デザートを考えてくれたり、SNSで発信してくれたり、いろいろ工夫してくれた。
- 吉村さんの奥さん
- 寿司に関しては、この人がとにかく頑張っている。私にできることはデザートづくりとかくじ引きなどのオマケづくりとか、それ以外のこと。利益になるかはわからないけれど、いろいろチャレンジしてきてよかったなと思います。工夫するのも楽しいですしね。

- 小林
- なんだか2人の素敵な関係性にも胸がいっぱいになってきました……。ちなみに、これからはどんな寿司屋になっていきたいと考えていますか?
- 吉村さん
- 「魚の食べ頃を見極める」といっても、まだまだ上手くいかないこともたくさん。いつも試行錯誤の日々です。でも、だからこそ、どうしたら旨い寿司にできるのか、ひとつのネタに対してやりたいことは尽きません。これからも「寿司屋」として、お客さんの日常を少し満たしたり、また足を運びたくなる場所にしたいと思っています。

まとめ
ネタの新鮮さだけではなく、一つひとつのネタの食べ頃を見極め・引き出す経験と技術。それが長野県の山奥で一級品の寿司を握ることができる秘訣でした。
でも、山奥で30年間、寿司屋を続けられた理由は、きっとそれだけではないはず。
寿司には一切妥協しない。でも、かしこまって食べるものでもない。
吉村さんと奥さんが紡ぎ出す自然体な雰囲気の中、「もう一度この場所で、この寿司を食べに来たい」と感じさせる力がここにある。これまでになかった寿司体験がここにありました。
「地元の人がうらやましいな」と思いながら帰路についた僕でした。