
2025.02.13
変わりゆく町、変わらない珈琲。長野市・西鶴賀の名喫茶「珈琲館 珈香」マスターと振り返る45年の歴史

こんにちは。ライターの風音です。みなさんは、行きつけのお店はありますか?
お店のドアを開けて、「おっ、いらっしゃい。いつものでいい?」と声をかけられるような関係性ってちょっぴり憧れますよね。私は、長野に移住してきてから、人生で初めてそんな行きつけの喫茶店ができました。
それが、長野市西鶴賀の老舗の喫茶店「珈琲館 珈香」。

来店のきっかけは「いい喫茶店があるよ」と長野出身の友人に連れてきてもらったこと。「友達とお茶」と言えばカフェに行くことが多く、ブラックのコーヒーも苦くて飲めなかった私ですが、昔ながらの喫茶店の雰囲気が逆に新鮮で、一人でも足を運ぶように。するとマスターが顔を覚えてくれて、話しかけてくれるようになりました。
「おい、お前。前も来たことあるな?」
「そこの娘!お前はミルク系の飲み物が好きなんだな」
「今度来たら名前聞くからな」
「おっ、どうした風音。今日は朝早いじゃないか」

初めてマスターに名前で呼ばれた時、この町の住人になれた気がしてとてもうれしかったことを覚えています。何度も通ううちに常連さんたちとも顔見知りになり、マスターが紹介してくれたお客さんと仲良くなってお店の外でも会うようになる、なんてことも。
「近所の喫茶店」が、いつのまにか大切な居場所の一つに。落ち込むことがあった時も、ここでコーヒーを飲み、誰かと話し、マスターに「いってらっしゃい!」と送り出されると「もう大丈夫」と思えました。
皆さんにもぜひ一度行ってほしいです、と言いたいところですが、「珈琲館 珈香」は2024年8月24日をもって45年の歴史に幕を閉じました。
今はもう行けないお店だけれど、長野のまちにこんなお店があって、こんな人がいた。閉店とともに閉じられてしまうまちの記憶をきちんと残しておきたいと思い、この記事を書いています。
そしてこの記事を読んだ人が、自分のまちの気になるお店、好きなお店に足を運ぶきっかけになりますように。
日が暮れると動き立す夜の街で、朝から珈琲を出し続けた45年間

- 富夫さん
- おう、風音。いらっしゃい! バタバタしてて悪いけどな、なんでも聞いてくれ。
- 風音
- 忙しい時に本当にありがとうございます。今日は改めて珈香とマスターの歴史を教えてもらいたくて。珈香は、オープンしてからどれくらい営業していたんですか?
- 富夫さん
- 1979年にオープンしたから、もう45年になるな。19歳の頃だった。母親が店を始めるっていうから、俺も一緒に手伝うことになったんだ。
- 風音
- オープンする前は、別の喫茶店で修行を?
- 富夫さん
- 両親がずっと飲食店で勤めていたから、包丁の持ち方や店のやり方は親から教わった。ただ、接客は全然よ。飲食店でアルバイトしてたっていう程度の話だ。今思えば本当に舐めてたな。お客さんに対して、「俺が店をやってんだから、お前が来るのは当たり前じゃん」って思っていたくらいなんだから。
- 風音
- そんな時代もあったんですね。長野市の中でも、鶴賀を選んだのはどうしてですか?
- 富夫さん
- それは本当にたまたま。いい物件があると紹介されてな。当時は俺もガキだったから、いいも悪いもわからなかった。ただ、鶴賀なら権堂に近いからいいなと思ったんだよ。

- 風音
- 当時の権堂はすごく栄えていたんですよね。
- 富夫さん
- それはもう、ものすごく賑やかな歓楽街だったんだよ。俺は長野市の出身だけど、どちらかと言えば山の方の生まれなんだ。学生の頃に権堂へ遊びに行くっていったら、髪の毛にいろいろ塗ったりとか、身体中にいろんな匂いつけたりとかしてたクチだからさ。まぁそういう場所だった。
- 風音
- 想像がつかないなぁ。私が長野に移住してきたのはコロナ禍のタイミングだったから、人通りも少なくて閑散としていました。
- 富夫さん
- 本当にすごかったんだぞ。だから、隣町の鶴賀なら、お客さんが流れてくるだろうという目論見があったんだよ。さらに、当時は権堂と鶴賀の間にイトーヨーカ堂ができるところだったから、これはいいぞと思った。でも、実際は権堂と鶴賀では全然人の流れが違ったんだよ。これは店を始めてからわかったことだな。
- 風音
- 鶴賀は権堂ほど賑わっていなかった?
- 富夫さん
- 鶴賀は、権堂に勤めているホステスさんや、クラブの女の人たちが生活する空間だったんだよ。だから今でもこの町には美容院が多いんだ。要するに、日が暮れてから人が動き出す町で、朝から珈琲を飲むようなやつなんていなかった。日中なんて全然人通りがなくてな。つまり、完全に読みが外れたんだよ。
- 風音
- なるほど……。
- 富夫さん
- まあ、そんな感じで右も左もわからずに商売を始めたわけだ。逆に言うと、なんにもこの町のことを知らなかったから、自然にここまでやってこられたのかなと思うよ。
お客さんの喜ぶ顔が嬉しくて、どんどん溢れた定番メニュー
- 風音
- 当時、この辺りにはほかにも喫茶店はあったんですか?
- 富夫さん
- いわゆるスナック喫茶が3〜4軒あったな。スナック喫茶ってわかるか? 昼間11時くらいからコーヒーを出して、昼はランチ、夜はスナックをやってるような店が昔はあったんだよ。でも、うちはアルコール類は一切出さずに朝7時半から喫茶店として営業していた。それがよかったのかもな、今でも残っているのはうちだけだ。
- 風音
- メニューは当時から変わっていない?
- 富夫さん
- いや、変わったよ。いろんなものに手を出してきた。開店当初はクレープとかもあったんだけど、お客さんから「クレープって何ですか?」って言われてた。時代が早すぎたんだな。パフェなんかもあったんだぞ。でも、来てくれるお客さんがとてもパフェを食べるような客層じゃなかったの! 最初から変わってないメニューはコーヒーぐらいだな。
- 風音
- なるほどなぁ。珈香といえば、やっぱりコーヒーとトーストのセットのモーニングメニューだと思うんですが、「コーイチローバージョン」(目玉焼き二個・厚切りトースト)、「TAKASHIMAダ〜」(目玉焼き・チーズトースト)、「今!チャンスペシャル」(HOTサンド、目玉焼きorスクランブルエッグ)と、どれも名前が独特ですよね。
- 富夫さん
- そうそう。全部、常連さんのカスタムだな。「それじゃパンが薄い」だの、「もうちょっと食いたい」だの、毎回そうやって頼むのを見て、ほかのお客さんが「自分もあれがいい」なんて言い出すもんだからさ。「じゃあそういう商品にしてもいい?」って名前をもらって。
- 風音
- そういう背景があったんですね!珈香のモーニングのトースト、分厚くて大好きでした。
- 富夫さん
- あれは、鶴賀にある「エビスパン」から毎日買ってるんだ。分厚く切って出すとお客さんが喜んでくれるから、どんどん分厚くなっちゃってさ。クリームソーダだってそうだよ。最近はみんなSNSを見て知ってきてくれてるんだろうけど、いざ実物を持っていくとすごい喜んでくれて。それが面白くて、ついアイスを盛りすぎちゃってさ。100%こぼしてるよな。でも、足らないと何か申し訳ない気持ちになっちゃって。
- 風音
- サービス精神が溢れちゃってる!
- 富夫さん
- そんなことを続けてるとさ、たまに「俺は何をやってんだ?」って思う時もあるんだけどな。
- 風音
- 長年お店をやっていても、そう思う時はあるんですね。
- 富夫さん
- 思うさ。準備したメニューが出てくれればいいけど、お客さんが全然来ない日とかはな、切なくなるよ。でも、うちは一見さんよりも常連さんが多いからさ、毎日ドアを開けて来てくれる人に喜んでほしいだろ。
昭和、平成、令和。変わる時代の中で
- 風音
- お店を続けていく中で、大変だったことはありますか?
- 富夫さん
- 一番きついなと思ったのは、開店したばかりの頃にガラの悪いお客さんたちに居座られたことだね。あれはすごかった。毎日な、パンチパーマの連中が三人くらいでカウンターに並んで座ってさ、コーヒーを一杯だけ頼んで何時間でも座ってるんだ。せっかくお客さんが来ても、そいつらが一斉に睨むから帰っちゃってさ。そんな時代から、ずっと戦ってきてるんだよ俺は。
- 風音
- そんなことが。それでもお店を続けてきたんですね。
- 富夫さん
- 当時は俺も若くて突っ張ってたからな。何をされても引けなかった。暴力をふるって追い出すなんてことはしなかったよ。ただ『俺はこの町で生きていくんだ、この店を守っていくんだ』って気持ちだけがあった。その気持ちは今も一緒だよ。

- 風音
- かっこいい!
- 富夫さん
- それと大事なことはな、人間は歳を取ると誰しも必ず丸くなる。この町は、長野の中では本当にダークな町だった。そういう時代から考えるとな、昭和、平成、令和と客層は本当に変わったよ。昔は風音みたいに若い女の子が一人でカウンターに座れるような店じゃなかったんだから。
- 風音
- 逆に、お店を続けてきた中で、珈香の仕事は何が一番好きでしたか?
- 富夫さん
- 自分でクリエイトしたものをお客さんに受け入れてもらって、それが一つの形になることでしょう。たとえばうちのクリームソーダだって、「しょうがねえや、どうせ自分で作るんだからこういうもんを作ってみようかな」と思ってやってみるだろ。それがお客さんに受け入れられて、やっと形になるわけだ。

- 風音
- 自分が満足するだけじゃ、お店は成り立たないと。
- 富夫さん
- そうそう。その点、令和に入ってからやっぱり一番大きかったのはSNSなんだよ。俺は何も発信してないんだけど、周りの人たちがものすごく盛り上げてくれたおかげで、みんなこの店に興味を持ってくれた。ここ数年はなぜだかクリームソーダもブームになっただろ。若い子たちがどんどん来てくれて。本当に俺が知らないところで世の中が動いていたから、なんだかわからない。
- 風音
- 不思議な感じ?
- 富夫さん
- ああ。他人のふんどしじゃないけど、みんなが発信してくれる。俺はもうさ、作り続けるだけ。
- 風音
- SNSとか、ネットの評判はチェックしていたんですか?
- 富夫さん
- 見ない。俺は結構ビビりだからな、マイナス評価が出てくると寝込んじゃう。SNSはみんなに任せて、その分の時間をいろんなメニューを作ることに使いたいなと思ってこれまでやってきたよ。
いつしか屋号そのものが自分の生き様になった

- 風音
- マスターはここでずっとお店をやってきて、違うところに行ってみたくなったことはないですか?
- 富夫さん
- ない。めっちゃビビリだから。同じ長野市内でも、駅前では絶対に無理だよ。隣に別の喫茶店があったりなんかしたら絶対ビビるだろうから。
- 風音
- 長野から出たいと思ったことは?
- 富夫さん
- それもない。だって、長野で生まれ育って、店を始めて、26歳で結婚して子供ができて、もうそんなことは全然考える暇もなかったからな。
- 風音
- 喫茶店以外の仕事をしてみたいと思ったことも?
- 富夫さん
- ない。そもそもうちは、お客さんが10人いたら8人はパンとコーヒーのセットだろ? お前もいつもそうだよな。単品でコーヒーを飲んで語らうお客さんなんていないんだよ。だから、だんだん「うちは喫茶店じゃないんだ」って気持ちになってきてさ。

- 風音
- そうなんですか? じゃあ、マスターにとってこのお店は一体?
- 富夫さん
- それは「珈琲館 珈香」だよ。屋号のまんま。珈琲はありますよ、それだけ。喫茶店でもカフェでもないんだ。最初は喫茶店らしくビシッと決めようと思って、白のYシャツに黒いズボン、蝶ネクタイをしてたんだけど、まぁ無理よね。続かなかった、大変だもん。
- 風音
- お店そのものが、自分の仕事。
- 富夫さん
- そうそう。俺の仕事は喫茶店のマスターじゃなくて、「珈香」という業種だと自分では思ってる。きっとね、これはちゃんと俺に与えられた仕事なんだなって自分で思うんだ。俺は19歳からずっとこの店をやってるだろう。要は組織の中で働いたことが一度もないんだ。
たまに町内会の仕事をした時に、誰かの上に立つとか、人をまとめるとなると、何をしていいかわからない。協調性もないしなぁ、お山の大将でいられないんだ。でも店なら、一人で出来るだろ。こういう仕事があってよかったなと思うよ。
- 風音
- 私もいつか、自分自身が業種だと思えるようになれたらいいなぁ。
- 富夫さん
- よし風音、ここで名言を一つ。

- 富夫さん
- 井の中の蛙、大海を知らなくても生きていかれます。
- 風音
- !
- 富夫さん
- いや本当よ。俺はずっとこの小さいカウンターの中で、いろんな人たちを見させてもらった。それで今日まで生きてこられた。勉強になる人もいれば、反面教師になる人もいたな。俺は敬語一つ使えないしさ、ネクタイだって結べないけど、そういうことよ。前向きに一生懸命やっていれば、何とかなるだろう。ただ、大きなお金を動かせない。それは自分の身の丈よ。わかった?
- 風音
- わかった。私も頑張ります。
- 富夫さん
- いや、「ファイト!」くらいはいいんだけどさ。「頑張る」じゃなくていいんだ、カウンターに肩肘ついてやっていくぐらいでいいんだよ。
閉店は妻への誕生日プレゼント。子どもたちから学んだこと

- 風音
- 名言も授けてもらったところで……。改めて、どうしてお店を閉じることにしたのか聞いてもいいですか?
- 富夫さん
- 要するに、体の調子だな。肺が良くないんだ。一度でも熱が出たらアウトなんだよ。ここ数年ずっとコロナとインフルエンザが流行っているだろ。それから、夏の暑さ。毎年「そろそろキツいかな」とは思っていたんだ。
- 風音
- 入院でしばらくお店を閉めていた時期がありましたよね。いつ頃から、この夏で閉めると考えていたんですか?
- 富夫さん
- 今年の5月に天気予報を見たとき、去年よりもっと暑くなると聞いてさ。うちは、お客さんのいる店内はエアコンが効いているけど、厨房は家庭用の換気扇しかないんだよ。この先、気温は上がる一方だろう。
- 風音
- 夏場に冷房なしはたしかに心配ですね。
- 富夫さん
- 俺としては、電子タバコのみ可にしたりランチメニューを減らしたり、営業時間を短縮しながらできるだけ店を続けていこうと思っていたんだ。でも、七月にお医者さんの検診を受けたらやはり数値がよくないと。「これからどうする」って話を家族としていたら、妻が「最初で最後の誕生日プレゼントとしてもう仕事をやめてほしい」って言うんだ。妻の誕生日が8月25日なんだよ。
- 風音
- え~!いい話!!

- 富夫さん
- 喫茶店はそんなに食っていける商売じゃないんだ。妻が外で仕事をして家計を支えてきてくれたから、俺は好きに仕事ができた。ただ、俺は昭和の人間だったもんで、「毎日お店を開けることが全て」みたいな感じでな、妻にも子供たちにも本当に迷惑をかけたと思ってる。それで、俺には孫が4人いるんだよ。
- 風音
- うんうん。
- 富夫さん
- 今のご主人って、すごく優しいんだよ。子供をずっと見ていて、お風呂に入れます、オムツも替えます、何でもしますって。俺はさ、自分の子供たちにそういうことを一度だってしてあげた記憶がないんだよ。お盆とかに孫たちが集まってくると、男の中で俺一人だけが固まってて。
- 風音
- なるほど。下の世代を見ていて、自分のこれまでを振り返ったんですね。
- 富夫さん
- そうそう。そういう旦那たちの姿を見て、妻に「俺って子育てしてた?」って確認するわけ。「全部私一人でやってた」って言うわけよ。うわっ!と思ったね。だって、お店や仕事をやってたって、やるやつはやるだろ?
- 風音
- たしかに。
- 富夫さん
- 俺は子供たちの入学式とか卒業式にも一切出ていないんだ。ずっと店を営業してきたからな。それが男だった、そういう時代だった。でも今は違うでしょう。子供ってあっという間に大きくなるから、もう本当に思い出なんてたくさん作ったって作りきれないぐらいになるんだよ。子育てをしてこなかったことに対しては、一番悔いが残る。それでも、今日だって俺の息子は自分の仕事を抜けて店の手伝いにきてくれた。本当にありがたいよ。
人と人は見えない線でつながっている

- 風音
- 最後は家族のために決断をしたんですね。
- 富夫さん
- でも、いくら決めたとはいえものすごい抵抗はあった。今でもある。俺は、お客さんがいる限り仕事をし続けたいと思っていた。でもな、俺に何かあった時、誰が面倒見てくれるんだって言ったら妻しかいないんだよ。そういうことだ。これまでのことを思うと、やっぱり何かを返してやらないと。
- 風音
- 閉店はさみしいけど、これからは今までの分も家族と時間を過ごして下さい。
- 富夫さん
- そうだな。それにしても、この最後の一ヶ月は本当にありがたかったよ。いい仲間たちに囲まれてきたなというのを改めて感じる日々だった。それに、「常連さんのみの営業」と貼り出したって、そのバリアを抜けて「一度でいいから来てみたかった」って新しい人が入ってきてさ。ありがたいよな。そればっかりは、見えない線ができてるのかなと思う。

- 風音
- 線、ですか?
- 富夫さん
- 今までも、初めて来たお客さんに対して、「この人にずっと残ってもらえないかな」と思ってもだめだったし、逆に「なんでこいつはずっと通い続けてるんだ?」と思う人もいた。人と人は、どれだけ狙ったって、繋がらない時は絶対に繋がらないんだ。でもな、考えてみ。一人でさ、頭の禿げたおやじがやってる店でさ、お客さんが来てくれるだけでも感謝だぞ。
- 風音
- 見えないご縁があるんですね。私、マスターに、「次来たら名前聞くからな」って聞かれたのがめちゃくちゃかっこいいと思って、そこから通い始めたんですよ。覚えてないでしょう。

- 富夫さん
- いや、覚えてるよ。お前の名前、珍しいだろ。「なんちゅう名前なんだ」と思ったから。お前の仲間たちもいっぱい来てくれたな。風音はこの店が好きなんだろうなっていうのはいつもすごく伝わってきたから、ありがたかった。
- 風音
- 本当に大切なお店だったから、こうして最後にお話聞かせてくれてうれしかったです。う~ん、でもやっぱりさみしくなるなぁ……。今後マスターに会いたい時はどうしたらいいんですか?

- 富夫さん
- おいおい、風音!そんなにしんみりするんじゃないよ。俺はさ、ずっとこの店しかやってこなかったから、閉めた後の俺がどうなるかは自分でもまだわからないんだよ。正直、まだ実感もないんだ。まずはゆっくり身体を休めて、今後のことはそれからだな。また会えるよ。
おわりに

珈香が閉店してから、気が付けばもう数か月。
外観は変わらないけれど、花やお別れのメッセージで埋め尽くされていた店内はすっかり空っぽになっていて、毎日お店の前を通る時はいつも目をそらしてしまいます。
でも、ちゃんとさみしくなれるということは、自分にとってそれだけ大事な場所がこのまちにできたということで。珈香に通う前は飲めなかったブラックの濃いコーヒーを飲むたびに、分厚いトーストに自分でたっぷりとバターを塗るたびに、お店で過ごした時間が今でも自分の中に流れていることを感じます。
身の回りにあるすべてのお店のドアを開けて周ることは出来ないし、「いつものお店」がいつまでもそこにあるとは限りません。だからこそ、これからも好きな場所には何度も通って、ちゃんと大事にしていきたいと思います。
撮影:タケバハルナ