移住したくなったら

育児、出産、家族との時間。長野へ移住した家族の苦労や喜び、全部聞いてきた

育児、出産、家族との時間。長野へ移住した家族の苦労や喜び、全部聞いてきた

こんにちは、SuuHaa 編集デスクの飯田です。
今日は、友人からの紹介でとある方を自宅にお招きします。

それは、2021年に東京から長野県の小布施町に移住してきた税所篤快(さいしょ・あつよし)さん。

学生時代から発展途上国で教育開発の活動を行い、その後はリクルートに就職。執筆活動も精力的に手がけるバイタリティあふれる彼が、今は地域おこし協力隊として活躍しながら小布施町で暮らしています。それも、3人のお子さんと一緒に!

同じく移住である僕も、まもなく第一子を迎えようとしています。

勝手ながら親近感を覚えている税所さんたちに、

・世界中を飛び回っていた税所さんが、なぜ長野県への移住を決めたのか
・はじめて暮らす土地での子育てについて
・移住後の暮らしでの不安や葛藤

などを聞きたく、家族全員で遊びに来てもらいました。

元気いっぱいの子どもたちも交えてのインタビュー、ドタバタした様子も含めて、ぜひお楽しみください!

地方移住を決めたのは、「子供たちとゆったりした時間を過ごすため」

飯田
実は僕、税所さんとは同じ大学で、学生時代から一方的に知っていたんです。たしか、教育支援の活動をさまざまな国で行っていましたよね。
税所さん
そうなんです。バングラディシュなど、貧困地域の子どもたちを対象に在学中から教育分野の国際開発を7年くらいしていました。
飯田
大学を卒業後も開発事業を続けていたんですか?
税所さん
25歳で大学を卒業したんですが、その際に読んだ高野秀行さんの『謎の独立国家ソマリランド』という本に感銘を受けて。現地で教育系のプロジェクトができるんじゃないかと思って、自分もアフリカのソマリランドに行ったんです。ただ、ソマリランドの過激派と揉めて、暗殺予告を受けてしまって(笑)
飯田
暗殺予告!?
税所さん
鎖国状態のような国なので、外国人が入ってくること自体が嫌がられるんですよ。なので、すったもんだの末に日本に帰国して。
飯田
卒業後も破天荒な暮らしをしてたんですね…… 
税所さん
帰国後は、東京で就職したんです。自分の中で、一回は「サラリーマン」として企業で働いてみたい、という気持ちがあって。リクルートに入社し、5〜6年働いているうちに、結婚してこの子が生まれました。僕も一年間の育休を取ったんですが、その過程をスタジオジブリが発行している小冊子「熱風」で連載させてもらって。

「なんておもしろい生き物だろう!」
これが育休開始の僕の率直な感想だった。すべてが初体験。圧倒的な白いキャンパス。なんてうらやましい。これはどんなにお金があっても、僕たちには買い戻せないものだ。 

僕、育休いただきたいっす!』より
「熱風」で連載された税所さんのエッセイは、2021年に書籍『僕、育休いただきたいっす!』としても刊行
飯田
それがこの本なんですね。
税所さん
そして、連載の終了後には第2子が誕生したんです。そこでまた育休を取ったんですが、子どもとの時間が増えるにつれ、「東京で子育てをする大変さ」を実感するようになって。
飯田
僕も東京にいたのでなんとなく想像はできるけれど、どういうところが大変だったんですか?
税所さん
忙しない環境で、子供と向き合う時間がつくりづらかったんですよね。今では保育園に通うのを楽しみにしている長男も、当時はどうしても行きたがらなくて。歩いて10分の距離をなんとかタクシーに乗せて登園させたこともあったくらい(笑)。お隣さんに「子供の声がうるさい!」って壁をドンドン叩いて注意されてしまうこともあったなぁ。東京での生活と仕事をこなす中で、「こんな生活で、僕は子どもとの時間を味わえているんだろうか。もっと時間軸をゆっくりにしたい」と思うようになって。

都会のマンションの各部屋の隅っこで僕たちは、ひっそりと肩を寄せ合わせるようにしながら、息子を見守るしかなかった。近くに頼れる人はいなかった。深夜、都会の片隅で僕たちは孤独だった。なんでこんなに孤立したところで子どもを育てているのだろう。

僕、育休いただきたいっす!』より
飯田 
場所を変えればその時間をつくれるかも知れない、と思った。
税所さん 
そうです。だから、次男の育休期間は家族みんなで日本中の友人たちを訪ねてまわったんです。岩手の大槌町、福島の浪江町、それこそ北海道から沖縄まで。東京以外の土地で活躍する彼らを見ているうちに、ますますと「東京で暮らし続ける」という選択肢が薄れていったんです。

慣れるまでに時間のかかった、仕事と育児のバランス

飯田
全国各地をめぐったとのことだけど、最終的に長野への移住を決めた理由はなんだったんですか?
税所さん
たまたま、小布施町役場で働く友人がいて。彼から、小布施で環境系のプロジェクトの求人が始まってるよ、と教えてもらったんです。2030年までに二酸化炭素の排出量を半分にするために、「ゼロカーボン」に関する地域おこし協力隊を日本で初めて小布施が募集する、と。その仕事に惹かれ、無事に地域おこし協力隊としても採用されたので、小布施に移住することを決めたんです。
飯田
なるほど、地域おこし協力隊という仕事があったことが、長野移住への決め手になったんですね。とはいえ、仕事はあったとしても、家族と一緒に見知らぬ土地に移住することへの不安はなかったんですか?
税所さん
うーん、小布施を紹介してくれた友人や、ほかにも長野に移住している友人が何人もいたので、あまり不安はなかったですね。むしろ、長男が入った飯綱の保育園が結構ハードなところで、親も積極的にいろんな行事に参加しなければいけなくて、それについていけるかが不安だったかなぁ。
飯田
ハードな保育園?
税所さん
そう、ハードな保育園(笑)山保育を推進していて、たとえば年中さんから雪山でクロスカントリースキーをやるんです。彼がやるってことは、僕も一緒にやらなきゃいけない。だから、今年は親子で雪山デビューです。
飯田 
親もがっつり参加する保育園なんですね。そこは、移住してから見つけたんですか?
税所さん
家探しで何回か小布施にきている時に、「小布施の保育園もいいけど、隣町にかなりユニークなところがありますよ」と友人が教えてくれたんです。りんご畑に囲まれた丘の上に建っていて、一万㎢くらいの敷地の中に、畑や薪で沸かす五右衛門風呂なんかもあって。さらに、園長夫妻がゼロカーボンな営みで運営している保育園で。見学するうちに、ここを選ぶ親たちと出会えるも面白いな、と思ったんです。
飯田
なるほど。じゃあ、ハードであるものの、東京生活の時に悩んでいた「子どもと向き合う時間」は自然と増えていったんですね。
税所さん
そうなんです。さらに、保育園のコアタイムは9時半から14時半で。
飯田
えっ、短くないですか? そもそも、その時間までに仕事は終わるんですか?
税所さん 
もちろん共働きの方もいるから延長もできるんだけど、それでも17時半までかな。はじめはびっくりしましたね、移住当初は妻の裕香子もリモートで仕事をしていたし。
飯田
そうですよね、仕事とのバランスが大変そう。
税所さん
でも、そこの園長が「ここに子どもが通っている間は、仕事はほどほどにしてください」って言うんですよ。人生90年のうち、小学校に行くまでの6年なんてあっという間。その間に子供と遊んでおかないと絶対に後悔しますよって。お金を稼ぐのなんて、スキルがあればあとからいくらでもできる、今は子供たちと一緒に遊びましょう、と。
飯田
たしかに。もうすぐ第一子を迎える自分にも、刺さる言葉だなぁ。あとは、それをどこまで実践できるか、ということですね。
税所さん
そうなんです。その言葉に影響を受けながらも、実際にその教えを体得して体が慣れていくまでに一年くらいはかかって。
1ヶ月前に生まれた三男のあつふみくんをあやしながら、インタビューは進みます

実家から離れた移住先での出産は、地域コミュニティに支えられた

税所さん
そういえば、光平さんのお子さんは2月に生まれるんでしたっけ。この子と同級生ですね。1人目を迎える準備はどう?
飯田
1人目だと、正直準備ができてるのかできてないのかすらわからなくて(笑)。僕は神奈川出身だけど、奥さんは長野の人なので、実家が佐久市にあるんです。病院も同じく佐久にあるので、出産が近くなったら妻は里帰りする予定で。
税所さん
そうなんだ、それは助かるね。うちも、1人目の出産の時は妻の裕香子の実家の近くの病院にしたなぁ。
飯田
自分の知り合いも、夫婦そろって長野に移住したのだけど、子どもができた時のことを考えて実家のある東京に戻った人がいて。いざとなった時に頼れる親族が近くにいないことは不安。移住者にとって「実家が遠い」は子育ての課題になるんだな、と感じました。税所家も、3人目は長野に来てからの出産でしたよね。そこへの不安はありました?
税所さん
うーん、「とりあえずやってみるか!」という気持ちで移住してみたけれど……
タカくん
ねぇ!タカのケーキは?
税所さん
タカ、ここにちゃんとあるよ。
タカくん
やだ、ヒロくんがちょっと食べてるじゃん!
税所さん
そっかそっか、一個まるまる食べたかったんだね。じゃあ、パパのを一緒に食べようか。
タカくん
やだ!! ウワーン!!

(泣き出してしまった長男のタカくんを連れて税所さんは一時退席。次男のヒロくんは何事もなかったかのようにケーキを楽しみつつ、インタビューは妻の裕香子さんにバトンタッチです)

裕香子さん
騒がしくてすみません!うちも3兄弟だったんですが、やっぱり食べ物の争い事は絶えないですね。
飯田
いえいえ! でも、タカくんとヒロくん、とっても対照的ですね(笑)
裕香子さん
それぞれ個性がありますね。長男はこだわりが強くて、一回怒ると今みたいにずーっと怒ってるんです。反対に次男はけろっとしていて、切り替えが早くて。
飯田
やっぱり、兄弟でも全然違うんですね。さっきちょうど話していたんですが、3人目のお子さんは長野の病院で出産されたんですよね。お二人とも実家が近いわけではないですし、不安はなかったですか?
裕香子さん
長野では、親よりも地域コミュニティに支えられましたね。それに、通っている保育園には、平均2〜3人のお子さんがいるご家庭が多いんですよ。3人目を背負いながらいろいろな活動されているお母さんがいっぱいいて。そうした先輩の姿を見ていると、私も大丈夫かなって(笑)

移住は旅と一緒?イメージとの乖離と環境の変化に戸惑う日々を超えて

飯田
なるほどなぁ。そもそも、長野に移住することは、裕香子さんの意志でもあったんですか?
裕香子さん
そうですね。私自身、長野が昔から好きだったんです。父の趣味が山登りとスキーで、小さい頃から遊びにきていて。それに、長野は東京から近いのも大きかったですね。東京から上田市の友人の家まで新幹線で遊びに行った時、お弁当が冷めなくて!
飯田
お弁当の冷めない距離! 距離感がすごく伝わるエピソードですね。
裕香子さん
近い!ってびっくりしたんです。それから、長野に向かう電車の車窓の景色が、一気に緑に変わっていくのも幸せを感じました。それに、私は薬剤師なので野菜を中心にした食事にも関心があって。長野は野菜もおいしいし新鮮ですから。
飯田
僕も、長野に来てから旬の野菜の美味しさを実感してます。夏には近くの産直でトウモロコシが売ってるんですが、「生で食べられるよ!」と近所の人に教えてもらって。
裕香子さん
そうなんですよね。野菜だけでなく、果物も、温泉も好き。長野は、家族みんなの「好き!」が不思議と全部叶う土地だったんです。
飯田
心地よい暮らしができそう、という予感がばっちりあったんですね。実際、移住してからの生活はどうでしたか?
裕香子さん
実は、移住したての時は、ふくらんでいたイメージと実際の生活に乖離があって、苦しみもしたんです。旅と一緒ですね。飛行機に乗り込むまではワクワクしているけど、いざその土地に着くと土地勘がなくてだんだん不安になってくる。東京生まれ東京育ちだから、車の運転にも手こずりましたし。
飯田
車問題、僕も移住してから直面しました。そもそも車をどこで買うかもわからないし、メンテナンスの知識もない。こうした冬の季節だと、雪道運転も不安になりますしね。
裕香子さん 
そうなんです。最初は、生活に慣れるまで不安でいっぱいでした。環境の変化って負担になるなぁって実感しました。そして、移住してきて1ヶ月で、次男が不注意でやけどしてしまったんです。その時に、「あぁ、私すごく緊張していたんだな。余裕がなくて見てあげられていなかったんだな」と気づいて。

長野に来てから、自分の中のギスギスした部分を緩んでいった

飯田
環境、育児、仕事。大きな変化が一気にやってきますもんね。当時、裕香子さんはリモートワークをされていたんですよね。
裕香子さん
そうです。毎日小布施のコワーキングスペースでリモートワークをしながら、往復1時間かけて長男を保育園に送迎していました。慌ただしかったですね。
飯田
リモートワークも、案外難しいですよね。僕も、長野の会社で働きつつも、リモートワークが主体で。はじめは場所に限定されない自由さが心地よかったけれど、ずっと家の中でパソコンと向き合っていると、この土地で暮らす意味合いを自分で減らしているような気にもなって。なので、最近は外を歩きながらミーティングをしたり、意識的に閉じこもらないようにしています。
裕香子さん
その感覚、とっても分かります。豊かな自然の中にいるのに、私は30分刻みの世界線でずっとモニターの前に座っている違和感。東京にいた時は、リモートワークをしていても気にならなかったんですけどね。子育てしながらリモートで働けるのはありがたかったし、当たり前のように保育園に子供を8時 – 18時で預けていたんです。

だから、移住してきた初めの半年は、子供といる時間がどれだけ大事か日々問われる世界と、ガンガン働くこれまでの世界との差が、しんどかったです。でも、そんな中で3人目の子供を授かって、だんだんと子供中心の生活にシフトできてきました。
飯田
「長野での暮らし」に身も心も慣れていくのには、やっぱり時間が必要だったんですね。
裕香子さん
当初はしんどいところもあったけれど、長野に引っ越してから、私自身もすごく元気になりました。東京のギスギス感に比べると、今は愛ある環境に支えられていますね。
飯田
ギスギス感。
裕香子さん
たとえば、私が電車で子供を抱いて優先席の前に立っていても、若者は音楽を聴いていて、サラリーマンは疲れ切ってうなだれているんです。あまりに周りに無関心だし、そもそも、みんなもすごく疲れているんですよね。
飯田
わかる気がします。僕も、東京出張で満員電車に乗った時に、居眠りした隣の人がもたれかかってきて、無意識にぐいっと強く押し返したんですよ。「あ、自分は今、嫌なやつになってる」と自分でびっくりして。東京の人はギスギスしてる、というわけでなく、忙しない状況にいると誰しも余裕を無くしてしまうんだな、と気がつきました。
裕香子さん
あの環境にいたら、誰しも余裕がなくなるんですよね。長野に来てからは、自分のギスギスした部分を緩めてもらえました。小布施では、みんな小さな畑を持っているんです。自分たちと、ご近所さんが食べられる分の野菜を作って、おすそ分けしあって自給自足する。

「買う」しかなかった世界から、作って、わけあって、食べられる世界を知った。そうやって新しい世界や選択肢があることを知ると、自然と余裕が生まれてきたんです。
飯田
東京の人は性格が悪い、地方の人は性格が良い、といった雑な話ではないですよね。人間にとって、環境って本当に大事なんだろうなぁ。

あ、税所さんが帰ってきた。おかえりなさい!

子供たちの目を通して見る世界は、毎日が新鮮な発見に満ちている

税所さん
いやぁ、タカ、気持ちがたかぶって雪の中を裸足で走り回ってました(笑)
飯田
雪の上を!? タカくん、すごいな……
裕香子さん
タカが保育園にはじめて登園した時、さっきみたいに1時間ぶっとおしで泣いたんですよ。でも、それに対して園の先生たちが「エネルギーがあっていいね!」と言ってくれて、救われました。
税所さん
タカは、文京区の園庭がない幼稚園から山の中の保育園に変わって、順応するのに1ヶ月くらいかかりましたね。でも、今では道を歩いてると草を食い出すし、ちょっとした斜面があれば雪の中をお尻滑りで滑っていくし、足腰も強くてたくましい。こんなに変わるのかってちょっとびっくりしたね。
飯田
草を食べ出す順応っぷり。でも、長野への移住はおふたりだけでなく、お子さんたちにも嬉しい変化だったようですね。
裕香子さん
そうなんです。東京にいた頃は何度も「保育園に行きたくない!」と駄々をこねてしまうことがあったのに、今では登園を楽しみにしていて。

それに、子供って全部が初めてなので、子供といると私たちまで視点がミクロになって世界が豊かになるんです。私たちが見慣れている雪も、道端の草花も、彼らにとってもはじめてのもので、ひとつひとつに感動する。自分ひとりだと見過ごしてしまうものを拾い上げられるのも、子どものおかげです。子どもたちのおかげで、毎日が新鮮ですね。

この先どこへ行ったとしても、「帰ってきたい居場所」は長野であり続ける

飯田
ちなみに、知り合いから税所さんが「現代の葛飾北斎」って呼ばれていたと聞いて。北斎って、全国各地を転々としながら、晩年を小布施で過ごしたんですよね。税所さんも同じように、まだまだ住まいを変えていったりするのかな、なんて想像したのだけど。
税所さん
あぁ、それ、僕が名乗っているわけじゃないんですよ。僕ではなく、小布施の方々が外から来た人のことを「今北斎」って呼んでいて。別の地域から訪れる人や移住者を、外の世界の知見を小布施に届けてくれる現代版の北斎として見立てているんです。
飯田
なるほど! そんなまなざしで移住者を迎えてくれるのは、嬉しいですね。
税所さん
そうなんですよ。北斎が愛した小布施のホスピタリティが受け継がれているので、僕らも自然と溶け込むことができているのかな、と感じます。
裕香子さん
私たちはもともと旅人家族みたいなところがあるので、その時々のご縁でふらっとまたどこかにいくかもしれないですね。でも、別の地域に行ったとしても、長野で生まれた繋がりは残る。どこに行ったとしても、「帰りたい場所はどこですか?」と聞かれたら「長野です」と答えるでしょうね。
飯田
どこに行っても繋がりは残る。素敵な言葉ですね。今日は、わざわざ我が家までありがとうございました!またゆっくり、育児や暮らしのこと、聞かせてください!
税所さんの長野での暮らしに関する新連載がスタートしました。
本文中にも出てきた、小布施への移住や飯綱の保育園のことが書かれたエッセイの連載が「みんなのミシマガジン」でスタート。ぜひ、ご覧ください↓
https://www.mishimaga.com/books/cat136/005075.html




文章:風音