2022.10.24
観光地じゃなくても宿はできる。縁も経験もなかった夫婦のリノベ物語
こんにちは、ライターの友光だんごです。
僕は普段、東京に住んでいるのですが、今日は長野へワーケーションに来ています。
ワーケーション拠点に選んだのは、南信の伊那谷エリアにある「nagare(ナガレ)」。古民家をリノベーションした、1日1組限定・一棟貸しの古民家宿です。
隅々まで行き届いた美意識とともに古民家のあたたかみを感じる室内には、ゆったりとした時間が流れています。
この日は初春で、桜の蕾がほころびだした頃。窓の向こうには中央アルプスの山々が!
長野の山々を横目に、パソコン作業。やってることは東京と同じでも、場所が変わるとこんなに気分が違うんだな……。仕事もなんだか捗ります。
さて、ひと仕事終えた後は、宿で夕食。nagareでは、部屋の囲炉裏を囲んで夕食をとるスタイルです。
ここで驚いたのが、食事がいわば「半セルフスタイル」なこと。食材や調理器具はすべて宿の方が準備して、丁寧に説明してくれます。しかし、説明が終わると宿の方は退出。あとは自分たちで囲炉裏の火で食材を焼いたり、温めたりしながら食べるスタイルなんです。
この「自分の手でひと手間かける」工程が加わるだけで、食事がぐっと楽しくなるんですね。鍋を囲む感覚に近くて、それぞれ役割分担しながら料理を完成させることで会話もはずむし、アツアツの料理も美味しくて。
楽しい夜はあっという間に更けていきました。
そして翌朝。のんびり朝風呂に浸かっていると、昨晩の話が蘇ってきました。
なんか、宿のご主人が気になる話をしてたんですよね……。
「夫婦で移住して古民家の宿をつくったんですけど、片付けと準備に2年間かかりました」
「移住前は夫婦で海外一周して、貯金ゼロの状態から宿を始めました。気合いで数千万円借り入れして」
「お客さんはSNSを見て来る方がほとんどです。この辺りでは価格設定も高めなんですけど、年間160組くらい来てくださってて、リピーターも多いです」
…………昨晩は美味しい料理とお酒に夢中だったけれど、冷静に考えるとどのエピソードも濃すぎるな。
田舎に移住して、古民家をリノベーションした宿を始める。「そういう生活、いいよな〜」と気楽に妄想したことはあるけれど、実際はめちゃくちゃ大変なはず。
「田舎移住 → 古民家リノベ宿」のノウハウ、せっかくだから根掘り葉掘り聞きたい!
ということで、nagareのオーナー夫婦である石川景規さん・妙子さんにインタビューしてきました!
世界一周後に、長野で古民家一棟貸し宿をはじめた理由
- だんご
- すみません、チェックアウト後にいきなり取材の時間をいただいてしまって
- 景規さん
- いえいえ! うちの宿を楽しんでいただけたようでよかったです
- だんご
- 朝ごはんもおいしかったです。自分たちで土鍋ごはんを炊くスタイルで
- 景規さん
- nagareは「体験」を楽しんでいただくことをコンセプトにしているんです。なので、至れり尽くせりの宿ではなくて……
- だんご
- いや、「囲炉裏で野菜を焼く」も「土鍋でごはんを炊く」も、すごく丁寧に準備されてて全然面倒じゃなかったです。体験のおいしいところだけを楽しめたというか
- 妙子さん
- 私たちは元々、二人とも東京で銀行員をしてたんです。その後、退職して、一緒に世界一周旅行をしたんですけど、そこであらかじめ準備されたフルサービスの旅より、自分たちで能動的に体験した旅のほうが印象的で。あえてこのスタイルにしてます
- だんご
- 世界一周して、長野で古民家宿を。かなり面白い経歴ですね
- 景規さん
- 銀行を辞めたあとで「今しかできないことをしたい」と思って旅行に出たんです。海外だと、石造りの歴史ある建物だったり現地の人が住んでる家だったり、本当にいろんな宿があって。その中で一棟貸しの宿って面白いな、けど日本にはまだないな、と思ったんですよ
- 妙子さん
- さらに日本ならではの要素を考えて、”古民家”の一棟貸しができたらいいよね、と。あと、ゲストハウスももちろん素敵な業態なんですけど、私たちはゲストハウスより、一棟貸しのほうがゆっくりできたんですよね。なので、自分たちの泊まりたい、理想の宿を具現化したのがnagareなんです
- だんご
- 長野には何か縁があったんですか?
- 景規さん
- いえ、たまたま東京時代の知人で、この町に移住して農家になった方がいたんです。その方に会いに来たらいい場所だったので、役場に行って「古民家とかありますか?」と聞いたら「まだ表に出てないけど、一軒あります」と。それがこの建物だったんです
- だんご
- え、一発目で! すごい強運……
- 妙子さん
- 本当にラッキーでしたね。でも、そこからが大変だったんです
ゴミ出し解体処分で300万円⁉︎ 古民家は片付けが大変
- 景規さん
- この物件は、15年前まで人が住んでいて、その後は空き家になってたんです。でも家財道具はそのままで。冷蔵庫には卵が入ってる、みたいな状況でした
- 妙子さん
- ソースも入ってましたね(笑)
- だんご
- ひええ。じゃあ、まずは片付けから?
- 景規さん
- そうですね。ゴミ出しや残置物の処分、朽ちた建物の解体など工事を始める状態にするだけで1年半、300万円かかりました。それも自分たちで全部やった値段なので、業者に頼んだら500〜600万円かかってたと思います。畳や布団を、何度ゴミ処理場に持っていったか……(遠い目)
- だんご
- ゴミ出しで300万円かつ1年半! その間、当然この物件には住めないですよね。家はどうしてたんですか?
- 景規さん
- 近くにアパートを借りて、通ってました。僕が2017年の夏に移住してきて、妻は半年遅れの2018年に移住。二人が揃ったタイミングで片付けと掃除をはじめたんです
- 妙子さん
- 私は旅から帰国したあと、東京で編集の仕事をしてたんです。夫はこの町の地域おこし協力隊になって、私は移住後も、リモートで東京の編集仕事を続けて。だから片付けも平日の仕事が終わったあとや、土日にやる感じでした
- だんご
- そうか、完成前だから、宿の収入はまだないですもんね。別の仕事をしながらひたすらゴミ出し、大変すぎる……
- 妙子さん
- でも、そうやって準備時間が長かったからこそ、よかったこともあって。宿の片付けに通ううちに、ご近所さんと自然に仲良くなれたり
- 景規さん
- ずっと通っていると、自然と地域の人に挨拶したり、世間話したりするじゃないですか。そしたら畑仕事を隣のおばあちゃんが教えてくれることになって、今はNHKの『趣味の園芸』を貸し借りする仲です。若い夫婦が悪戦苦闘してたので、自然と手を貸してくれて。ありがたかったですね
- だんご
- 泥臭く頑張ったぶん、思わぬ出会いがあったんですね
- 景規さん
- 結局、宿がオープンするまでに3年かかったんですけど、その間に地元の農家さんを集めてイベントを開いたり、気になる飲食店に通ったりできました。オープン後も宿にいろんな形で関わってくださってる方々との関係性が、その期間で築けたのは大きかったですね
- 妙子さん
- いまnagareに野菜を卸してくださってる農家さんも、料理を監修していただいているシェフの方も、宿を作った設計士さんも、みなさん準備期間に知り合ったんです
- だんご
- そうやって周りと関係性を築いていくことは、最初から意識されてたんですか?
- 景規さん
- 結果そうなった感じですね。宿の準備をする合間に、とにかくお店に通って話しかけたり、金額は本当に些細なんですけど、地域との仕事を作って、周りのクリエイターさんに小さな仕事でもお願いしたり。自分たちができる範囲で、少しずつ泥臭く積み重ねていったことが繋がっていきましたね
理想の宿にするために、覚悟を決めてお金を借りた
- だんご
- 実際、古民家をリノベーションして宿にするのってお金も結構かかるんでしょうか
- 景規さん
- 僕たちも最初はわからなくて。500万円くらいでいけるかな?とか思ってたんですが、今思うと笑っちゃいますね。それだとインフラ周りさえ整わないくらいです。実際は新築の一軒家が建てられるくらいの改修費用がかかっています
- 妙子さん
- 最初はなるべくリスクを抑えて、費用を抑えたいと思っていました。でも、自分たちが「頼みたい」と感じた人と一緒に仕事をすればするほど、きちんと対価を払わないと関係も成り立たないなと思って
- 景規さん
- 今思えば、田舎だからなんとかなるでしょ、と舐めてた部分があったことに気づいたんですよね
- だんご
- 関係性があれば、お金じゃないところでやってくれる……のような?
- 妙子さん
- そうですね。でも、プロとしてリスペクトしてる人に仕事をお願いする以上、それは違うなと。絶対にお願いしたい!と思っていたインテリアデザイナー(設計士)さんの見積もりが想定よりかなり高い金額だったとき、理想の宿をつくるためにリスクを取ろう、と二人で決めました
- 景規さん
- 長野県の創業融資や補助金を利用しながら、腹を決めて事業資金を借りました。途中から、宿を作ることよりリスクを取るのが仕事だと思ってました(笑)。どれだけ借り入れができるかに注力して
- だんご
- ちなみに、元銀行員だと貯蓄も結構ありそうなイメージですが……
- 景規さん
- 世界一周のあとは、ほぼゼロでしたよ。貯金も、会社員時代に買っていた投資信託も、退職金も使い切ってました。長野にきた時は口座に20万円くらいしか残ってなかったので、引っ越しできるのか?くらいのレベルで(笑)
- 妙子さん
- 最後はガラパゴス諸島から帰ってきたんですけど、身も心も全部リセットして、まっさらの状態でしたね
- 景規さん
- だからこそ、再現性もあると思うんです。元手ゼロの状態から移住して、3〜4年で僕たちがここまでやれたので、他の方にも参考になる部分があるんじゃないかな?と
- だんご
- 「お金があったからできた」ではない。すごくリアルで、参考になる方も多そうですね
「ここの日常」を存分に味わえるように
- だんご
- 世界一周ってなかなかできないことだと思うんですけど、旅の経験が今の宿に活きてるな、って感覚はありますか?
- 景規さん
- やりたいと思ったことは後悔しないように、行動することが大事だということ。あとは、周りを気にしなくなったというか……いろんな国があるので、外国人の少ない地域では少し意地悪な扱いをされることもなかにはあって。でも、そういうことに出会っても「別にどうってことない」とやり過ごしていると、いい意味で図太くなれましたね
- だんご
- nagareを作る時「自分たちの理想の宿を作ろう!」とやり抜くことができたのも、いい意味で周りを気にしなかったからこそかもしれませんね
- 景規さん
- そうですね。ただ、ご近所さんとのコミュニケーションを積極的に取ったり、自治会の隣組長をやったりと、ちゃんと地域の人間関係は大事にしてます。というのも、とある国で1ヶ月くらい滞在したときに、地元の人っぽい何でもない暮らしの経験がすごく印象的で。あれはグアテマラだっけ?
- 妙子さん
- そうそう。毎日市場へ行って、丸ごと一羽の鳥を買ってみんなで料理するとか。そういう地元の人の暮らしを味わうことが、世界遺産へ行ったことより思い出深くて
- 景規さん
- だからnagareでも、泊まった方には、この伊那谷での何気ない暮らしを体験してほしいんです。そのためには、僕たちが地元に溶け込んでいることも必要。隣のおばあちゃんが急に野菜を持ってきてくれたり、そういう日常のイベントもコンテンツになればいいなと思っているんです
- だんご
- 何気ない日常をコンテンツに。そういえば、昨日の夕食でも農家さんとのエピソードを話してくれましたよね
- 景規さん
- 食材や器、お菓子やドリンクなど、宿でお出ししてるものには全部ストーリーがあります。でも、それを押し付けるんじゃなくて、お客さんが「素敵だな、気になるな」と思ったものがあれば、全力で魅力をプレゼンします。作り手さんにも会ってほしいので、翌日にお店にご案内したこともありますね
- 妙子さん
- 全部話すと終わらなくなっちゃうので(笑)。とにかく出会いの種みたいなものを宿に詰め込んでいて、そこから旅先での、いい意味でのアクシデントを起こしたいんです。そこから、一生思い出に残る体験が生まれるはずなので
- だんご
- 予定がギチギチに決められたパッケージツアーにはない余白を感じますね。余白があるからこそ、宿泊者がその日の気分で予定を決めたり、本当に興味があることを体験できたりするのかな、と
- 妙子さん
- この場所が非・観光地なんですよ。隣の駒ヶ根市とは違って、有名スポットがあるわけじゃない。「ついでに泊まる」需要が見込めないので、nagareを目的に来てもらえるくらいにしないとダメだし、この地の暮らし自体をコンテンツにしたいんです
- 景規さん
- 単に泊まって寝る機能を売るんじゃなく、「ここに泊まる意味」をいかに多く作れるかを意識してますね。……ニュアンス合ってるよね?
- 妙子さん
- 合ってます(笑)
- だんご
- ちょくちょく確認が入りますね(笑)
- 景規さん
- nagareのPRやコンセプトの部分は、編集者の妻の担当なので。デザインの部分もそうですね
- だんご
- 役割分担があるんですね。ちなみに景規さんは?
- 景規さん
- 僕は経営やビジネスに関すること全般を担当してます。やっぱり分けたほうがやりやすいですね。お互いのことは介入しないように……
- だんご
- ご夫婦でやられていると、ケンカもありますか?
- 妙子さん
- ありますよ。私は感覚で、夫は考えて動くタイプなので。なので、宿のコンセプトや大事なことを考える時は設計士さんやその道のプロの方のいる場所で話すとか、第三者を交えるようにしてます
- だんご
- めちゃくちゃ有用なコツが出ましたね。役割分担と第三者は大事!
非効率なものに再現性が宿る
- だんご
- 日本に一棟貸しの宿も増えてきましたけど、こんなに宿の方とコミュニケーションができる場所って珍しいですよね。宿の方の顔が見える感覚は、ゲストハウスにも近いなと思いました
- 景規さん
- そこは意識してやってます。東京時代に自宅で民泊をやってたんですけど、チェックインの時は最寄り駅までゲストを迎えに行って、お喋りしながら家まで案内してたんです
- だんご
- めちゃくちゃフランク!
- 景規さん
- 面倒だと感じる人もいたかもしれないんですけど(笑)。そうやって一度顔を合わせると、無茶なことをする人も少ないですし、リピートしてくれる人も多かったんです。nagareになってからも共通してるんですが、僕たちはただ泊まる箱を作って、自動でグルグル回したいわけじゃないんです
- だんご
- 先ほどの「泊まる機能を売るんじゃなく、ここに泊まる意味を作りたい」にも繋がりますね
- 景規さん
- nagareの「チェックイン」「夕食」「チェックアウト」では毎回ゲストと顔を合わせてコミュニケーションを取るようにしています。ホテルだと専属のスタッフがいたり、非接触でコミュニケーションを取らない方法もあると思うんですが、私たちはあえて非効率だとわかっていても、そこに時間を取るようにしています。
でも、お客さんとのちょっとした会話の中から思わぬ出会いがあったり、そこに魅力を感じてくれるお客さんも増えていて。月に1~2組はリピーターの方ですね
- だんご
- すごい、丁寧なやりとりがきちんと身を結んでいるんですね。OTA(オンライン宿泊予約サービス)は使ってるんですか?
- 景規さん
- 使ってないです。HPでの予約だけですね。PRは主にSNSだけなんですけど、2020年7月オープンで、今までに約300組くらいの方が来てくださっています(2022年10月現在)※2022年夏よりインバウンドに向けてAirbnbも予約受付開始
- だんご
- コロナ禍にオープンして、SNS集客のみでその数字はすごいですね
- 妙子さん
- nagareを知るきっかけは、SNSがほとんどなんです。SNSでは世界観を伝えることを意識しているので、nagareのことよく知ってくださる方、想いや考えに共感してくださって来てくださるいいお客さんばかりで
- だんご
- さっきチェックアウトする際に、チェキを撮ってプレゼントしてくれましたよね。あれもサービスで?
- 景規さん
- はい。夏には花火など、小さなサプライズを渡してみたり、nagareにお越しいただいた目的や想いなどお伺いしながら、お客様に応じて柔軟にコミュニケーションの方法を変えています。ホテルでも民泊でもゲストハウスでもない、自分たちがこれまでに経験した宿のよかった要素を詰め込んだスタイルですね
- だんご
- すごく嬉しかったんですが、めちゃくちゃ抽象的な手法ですよね
- 妙子さん
- 生産性はあまり重視していません。nagareという場所に想いがあるからできることですし、私たちは好きだからやれているんだと思います
- 景規さん
- 銀行員の時、自分の売ってる商品が心からお客さんにおすすめできるものだったかというと、そうではなくて。だからこそ、自分が本当にいいと思うものをビジネスにしたい、と強く感じていたので、今は楽しいです。お金の借り方も勘所がわかってきましたし
- だんご
- お金の借り方が分かってきた。それはつまり……?
- 妙子さん
- 実は、二つ目の宿に取り掛かっているんです
- だんご
- なんと! そちらも楽しみです
- 景規さん
- 2号店は、nagareとは別のコンセプトでやる予定です。nagareも住みたいくらい好きなんですけど、自分達が住めないのが残念で(笑)。そのくらい、自分たちが心からいいと思う宿を、今後も提案していきたいですね。2号店は2023年春に開業予定です。ぜひ楽しみにしていてくださいね
おわりに
お二人の話で強く感じたのは「非効率なものの積み重ねに価値が宿る」ということ。
世界一周後、ゼロの状態から宿をはじめたように、石川夫妻と同じスタートラインには誰でも立てるはず。その先にはけして効率的とは言い難い道のりが待っていますが、そこに楽しさを感じられる人には、きっと天職となるはず。
nagareに多くのお客さんが訪れるのも、そんなお二人の日々の小さな積み重ねや想いに魅力を感じる人たちが増えているからなのかもしれません。
「暮らすように泊まる」体験に興味を持った方は、ぜひnagareを訪れてみてください。
- nagareについて詳しく知りたい方は
- HP:https://nagare.cc/
Instagram:https://www.instagram.com/nagare_yado/
撮影:小林直博
編集:飯田光平