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70年前の長野県の方言 「貴重な資料」見つかる(音声あり)

70年前の長野県の方言 「貴重な資料」見つかる(音声あり)

 信濃毎日新聞社が1951(昭和26)年10月に長野市城山公園に設けた「信毎ペンの庫(くら)」の収蔵品の中で、県内各地で方言調査をして吹き込んだレコード盤4枚のうち3枚について、本社は18日までに復元に成功した。専門家は「テレビの普及で失われる前に県内各地に色濃く残っていた方言の実態を明らかにする貴重な資料」と評価している。

 調査は、信毎の通算発行号数(紙齢)が2万5千号を迎えた際の企画の一つ。小県郡武石村(現上田市武石)、下高井郡堺村(現下水内郡栄村堺)、埴科郡寺尾村(現長野市松代町の一部)、南安曇郡有明村(現安曇野市穂高有明)、西筑摩郡(現木曽郡)大桑村、下伊那郡平谷村、同郡木沢村(現飯田市南信濃木沢)など28カ所で行った。

 「ごしたい」(疲れた)や「ずくなし」(怠け者)などの方言を五十音順に整理。対応する標準語や用例の他、老年や壮年といった使用層をまとめた。例えば寺尾村では「あったら」(惜しい)という方言について用例に「あったらことをした」とあり、使用層は「老壮」となっている。

 方言研究者で伊那西高校校長の出野(いでの)憲司さん(58)=岡谷市=は「方言が県内でどのように分布していたかが分かる」と話す。県境では隣県の影響を受けていたり、県内で盛んだった養蚕にまつわる方言が目に付いたりするといった特徴も読み取れるという。

 15カ所の方言はレコード盤に録音した。夕食時の親子のだんらん、住民同士の立ち話などの設定で、それぞれ地元住民らが出演している。NHKが昭和30年代に作った全国の方言の録音資料よりも古く、出野さんは「古い発音やアクセントを拾うことができる」とする。

 出野さんによると、昭和30年代にはテレビが普及して標準語が浸透。生活様式の変化にも伴って多くの方言が失われた。今回の資料は戦後間もない頃で、多くの方言がそのまま残されていた。「方言が文化的価値を持つとの認識がなかった当時、後世に残しておこうと考えた見識の高さもうかがえる」としている。

 出野さんは「きちんと整理しておくと、さらに後の世に大切な資料になる」と強調。自身が編集委員長を務めて2010年に刊行した「長野県方言辞典」(信濃毎日新聞社)を補完したいとしている。(2021年9月19日、信濃毎日新聞)

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■「多彩な12の方言」~音声は、こちらをクリックすると聞けます。

この記事を書いた人
1873(明治6)年に創刊した長野県で日刊新聞を発行する企業です。きめ細かい取材網を生かした公正で迅速な報道に努めてきました。紙面づくりや多彩なイベントを通じた読者との双方向性を大切にしながら地域の産業や文化の振興も目指してきました。販売部数は約43万9000部(2020年4月)。県内シェアは70%超。地域に親しまれ、信頼される長野県民の主読紙として、人と時代をつなぐ仕事に取り組んでいます。