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「登戸研究所」の痕跡探る 駒ヶ根で地元有志が現地調査会

「登戸研究所」の痕跡探る 駒ヶ根で地元有志が現地調査会

 太平洋戦争末期に上伊那地域南部などに疎開した旧陸軍の秘密機関「登戸研究所」について調べている地元有志団体「登戸研究所調査研究会」は27日、駒ケ根市東伊那で現地調査会を開いた。当時を知る地元住民の案内で、薬品の研究室や工場が置かれた旧伊那村国民学校(現駒ケ根市東伊那小学校)付近や神社などを訪問。東伊那公民館で先月見つかった登戸研究所に関する資料3点も初めて公開された。

 これまで現地調査は疎開先があった宮田村や飯島町などで開いており、今回が5回目。会員ら約20人が参加した。薬品などを収めた貯蔵庫があったとみられる同校付近の林では、終戦当時、同校3年だった湯沢梅次郎さん(85)が「終戦直後に庫内のものは兵隊によって持ち出された」と説明。近隣の山林では、終戦後に火薬を爆発処分する際にできたとみられる穴も見学した。

 現地調査に先立ち東伊那公民館で公開された資料は、登戸研究所が1945(昭和20)年5~8月に同校校舎を使用した賃料を旧伊那村(現駒ケ根市)へ支払った証明書など。研究会の小木曽伸一共同代表(73)は「疎開した時期を示す貴重な資料」と指摘し、「今後も地道に現場に足を運び、調査を続けたい」と話した。今回の調査の成果は、来年2月に南箕輪村で開くシンポジウムで報告する。(2021年11月28日)

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1873(明治6)年に創刊した長野県で日刊新聞を発行する企業です。きめ細かい取材網を生かした公正で迅速な報道に努めてきました。紙面づくりや多彩なイベントを通じた読者との双方向性を大切にしながら地域の産業や文化の振興も目指してきました。販売部数は約43万9000部(2020年4月)。県内シェアは70%超。地域に親しまれ、信頼される長野県民の主読紙として、人と時代をつなぐ仕事に取り組んでいます。