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水とともに生きるということ。サントリーはなぜ長野の森づくりに勤しむのか

水とともに生きるということ。サントリーはなぜ長野の森づくりに勤しむのか

青木湖、中綱湖、木崎湖の「仁科三湖」で有名な長野県大町市は、昔から水の恵みとともに人々の暮らしがあった地域です。同市信濃大町のブランドサイトに踊るのも「水と人」「水と共に暮らす」といった文字。近年は、豊かな水を求めて都会から移り住み、カフェやブリュワリーを開く人なども出てきています。

信濃大町ブランド公式サイトより

こうした顔ぶれにこのほど新たに加わったのが、「水と生きる」をスローガンに掲げる飲料水メーカー・サントリーです。北アルプスは餓鬼岳のふもとに2021年5月、「サントリー天然水」国内4カ所目となる生産拠点を開設。ちょうど1年後の今年5月にグランドオープンし、ブランド体験型施設として一般公開も始まりました。

工場内では「サントリー天然水」の製造過程が模型等で解説されています
工場見学後、できたての天然水がもらえます

「北アルプス信濃の森工場」と名付けられた施設の北側には、その名の通り、441ヘクタールの森が広がっています。サントリーは工場建設に先立ち、各種専門家とともに、水源となるこの森を徹底調査。今後、森の整備活動を行っていくといいます。

「よくある企業のCSR?」「SDGsの流れに乗った動き?」と侮るなかれ。驚くのはその徹底ぶりです。サントリーが九州熊本工場の水源エリアに広がる「天然水の森」で水資源を守る活動を始めたのは、2003年のこと。以来、年を追うごとに活動の規模を拡大し、現在では「北アルプス」を含む全国21カ所、総面積約12000ヘクタールを整備しています。

社内に専門チームを設け、さまざまな分野の研究者と共同研究を実施。そこから導き出された科学的な知見に基づいて、森づくりの活動は行われています。間伐や枝打ちに始まり、鹿の食害対策や崩壊斜面の緑地化、果てはDNAレベルでこだわったタネの採取や苗木の生産まで。もう水の会社なんだか森の会社なんだかわからなくなる徹底ぶりなのです。

いち企業、いち飲料メーカーがなぜここまで森づくりに勤しむのか。なぜそれができるのか--。今回はサントリーの新工場建設と森づくりの関係を紐解きつつ、「水と生きる」「水と共に暮らす」とはどういうことなのかを考えてみたいと思います。

天然水とは、20年かけて磨かれた自然の恵み

ミネラルウォーターブランドとして国内では確固たる地位を築いている「サントリー天然水」。ですが、ひょっとしたらぼくらは、天然水というものに関して少々思い違いをしていたかもしれません。

「そもそも天然水とはなにか。テレビCMの印象からか、川の水を汲み上げていると思っている方も中にはいるようですが、それは誤解です。私たちが天然水と呼んでいるのは、地中深くに溜まった地下水のことなんです」(サントリー広報の大塚修平さん<以下、大塚さん>)

雨や雪として降った水は、約20年という長い歳月をかけて、ゆっくりと地中に染み込んでいきます。その過程で、地層にあるミネラルなどの栄養分を吸収したり、微生物の働きなどにより不要な汚れが取り除かれたり。いわば「自然のろ過装置」によって磨かれたものが、地中深くに地下水として溜まるのです。それを汲み上げ、必要な処理を施した上でペットボトルに詰められたものが、商品としてぼくらの手元に届いています。

つまり、いま私たちが飲んでいるのは20年前の水。逆に言えば、20年後に同じ水の恵みにあずかれるかどうかは、いまどう振る舞うかにかかっているのです。

いまは地下水が豊富な土地であったとしても、無理な採水を続けるなどして環境を破壊してしまえば、いずれ採水できなくなってしまうかもしれません。国内に四つあるサントリー天然水の生産拠点はいずれも、良質な天然水が豊富な地域であることはもとより、必要な整備を続けていけば、将来にわたって安定的に水の恵みにあずかれることを条件に場所を選んでいます」(大塚さん)

そしてその「必要な整備」、すなわち良質な地下水をはぐくむ力の大きな森づくりも、自分たちの手で行っている。それがサントリーが取り組む「天然水の森」の活動というわけです。

良質な天然水をはぐくむのはフカフカの土

では、良質な地下水をはぐくむ理想的な森の状態とはどういったものなのでしょうか。「ひとことで言ってしまえばそれは、生物多様性のある状態である」と大塚さん。良質な地下水をはぐくむのに生物多様性が大事? どういうことでしょうか。

「弊社は天然水の森の活動に取り組む専門のチームを社内に設け、水文学(※)や森林生態学、林学、土壌学、土壌微生物学、地質学、河川工学といったさまざまな分野の研究者とともに、水と森の関係を明らかにするための共同研究を継続的に行ってきました。その結果、良質な地下水をはぐくむ上では、なによりもフカフカの土が重要であること、そしてそのフカフカの土を作る上で欠かせないのが、森に棲む多様な生物の働きであることがわかっています」

*水文学 = 水の水質や循環を研究する科学

フカフカの土と生物多様性、そして良質な地下水の関係は、ざっと以下のような理屈で整理されるといいます。

  • 木々が土を耕す
    多様性に満ちた森では、土中にさまざまな植物の根が満遍なく張り巡らされる。根の先にある細根は冬に枯れ、春にまた新しく伸びる。その繰り返しにより、土がゆっくりと耕される
  • 土壌生物が活発に動き回る
    晩秋にはたくさんの落ち葉や落ち枝が地面に降り積もり、微生物や土壌生物に餌を供給する。土壌生物が土中を動き回ることにより、土はさらに柔らかく耕される
  • 根が微生物を呼び寄せる
    植物の根は栄養分を浸出させ、自分たちを守ってくれる菌根菌やバクテリアを呼び寄せる。植物の種類によって呼び寄せる微生物が異なるから、多様な植物が生えている森ほど、土中の微生物の多様性も高まる
  • 微生物による浄化
    こうして増えた微生物は、雨に含まれる汚れや動物の糞や屍骸などからの汚れを綺麗に浄化してくれる

「このように、フカフカの土は雨を地下に誘導する入り口としてだけでなく、生物的な浄化装置としても機能してくれます。水の未来を守るための森づくりとはつまり、多様な動植物や微生物と力を合わせて、フカフカの土を厚く育てていくことなのです」

森づくりの徹底ぶりはDNAレベル

日本の多くの森林では生物の多様性が失われた現状にあります。そして、一度人間の手の加わった森では、放っておいては生物の多様性が保たれることはありません。そのため、さまざまなかたちで人の介入が必要になります。

サントリーが森に生物多様性を取り戻すために行っている取り組み。もっともわかりやすいのは、人工林における間伐や枝打ちです。

「植えっぱなしでその後の間伐がなされず、真っ暗になったスギやヒノキの人工林では、日照不足で草一本生えることができません。このような森では、大雨のたびに土壌が流され、地下水の涵養力(※)が急速に失われていきます。そのため、整備が遅れた暗い人工林では、間伐や枝打ちをし、林床に光を入れています」

*涵養力 = 自然が持つ地下水をはぐくむ力

中にはヒノキやスギの植林に向いておらず、木材を生み出す生産林への誘導が不可能な場所もあります。その場合は、針葉樹を多めに切り、植樹により、針葉樹と広葉樹が混じり合う混交林へと誘導することになります。多様な根で土壌がしっかりしますし、間伐の過程で太陽光が差し込む森へと生まれ変わり、(微生物や虫たちも含めた)動物の多様性につながると考えています。

驚かされるのは、そうした植樹の際にはDNAレベルでこだわり、地元のタネの採取と苗木の生産から始めているという事実です。

なぜDNAにまでこだわる必要があるのか。それは、同じ種類の木でもエリアによって特徴が異なるからです。たとえば、日本海側のブナは、太平洋側のブナと比べてドングリの皮が分厚くて硬い。これは冬の大雪に耐えるためです。なのに太平洋側のブナを日本海側に植えてしまったら、交雑が進み、雪に耐えられないブナが増えてしまいます。良かれと思って行った植林のせいで、逆に衰退を招く危険性だってあるのです」

自然に負荷をかけない作業道づくり、鹿の食害対策、拡大竹林対策、病害虫対策、崩壊地緑化、人材育成、材の利用などなど、森に生物多様性を取り戻すためのサントリーの取り組みは、本当に多岐に及んでいます。めぐりめぐって生物多様性につながると思われる、あらゆることに取り組んでいるとさえ、言っていいのかもしれません。

オオタカのために工事を順延する非常識経営

いち企業の活動として常識を超えた徹底ぶりは、信濃の森工場においても見られます。信濃の森工場の建設工事は、実は当初計画よりも後ろ倒しで行われました。その理由の1つは、のちに「天然水の森」となる森を事前調査した際に、オオタカの古巣が見つかったから。

「隣接する国営・アルプスあずみの公園は、もともと絶滅危惧二種のオオタカの生息地として知られていました。そこで建設予定地の森でも、工事に先立つ2018年11月に、猛禽類アセスメントの調査を実施。そこで、くだんの古巣が見つかったのです。複数の専門家との相談の上、翌年2月に開始する予定だった松林の伐採を、オオタカの営巣の有無が確認される5月まで延期すること、実際に営巣が確認された場合は、営巣活動が終わる9月まで延期することを決定しました」

結果として、その年のオオタカの営巣は確認されませんでしたが、同じ絶滅危惧二種の渡り鳥であるハチクマの飛来が確認されたことなどにより、工事は秋を待って行われることになりました。

営利企業の意思決定としては非常識なもののようにも思えます。ですが、「この決定は我々にとって譲れないものでした」と大塚さん。

「サントリーの愛鳥活動の歴史は古く、天然水の森の活動を始めるはるか前の1973年からスタートしています。鳥には翼があるから、少しでも環境が悪くなれば飛び立ってしまう。逆に環境が良くなれば、戻ってもきてくれます。そんな野鳥は環境のバロメーター、生物多様性の象徴だと我々は考えてきました。今回のオオタカに関する意思決定も、こうした活動の延長上にあります」

一連の活動は、こうした揺るぎない思想の下、連綿とつながったものだということです。単に「いいことをしよう」という話ではないし、ましてや一時の流行に乗って始めたものでもない。ここまで徹底できるのは、サントリーが「天然水の森」の活動をボランティアやCSRではなく、基幹事業と位置付けているからなのです。

「サントリーは水の会社です。ウイスキーもビールも清涼飲料水も、豊かな水があって初めて成り立つもの。水の未来を守ることなしには、いずれ存続できなくなってしまう。そのように考えて、本気で取り組んでいるのです」

この水はどこから来て、どこへ行くのか

と、ここまでがサントリーの方の説明なのですが、彼らがこれだけの活動を続けられているのには、もうひとつ別の理由があるようにも感じました。「水と真剣に向き合っていたら、気づいたら動植物にも土にもテクノロジーにも詳しくなっていた」--。そのように話すサントリーの社員の人たちは皆、とにかく楽しそうでした。そこに重要なポイントがある気がします。

改めて「水と生きる」「水と共に暮らす」とはどういうことか。

生きるとか暮らすというのは、点ではなく線の話です。真剣に「水と生きる」ことを思ったら、いまさえ良ければいいという態度では成立しない。「この水がどこから来て、どこへ行くのか」と、過去や未来にまで想像力を広げる必要があるでしょう。

けれども、そのことを指して、必ずしも義務とか責任といった言葉で表現する必要はないように思えます。なぜなら、それは単純に楽しいことだから。想像力を働かせれば働かせるほど、新しいことを知れるし、大切に思える人も増える。それだけ世界は広がり、暮らしは豊かになっていく。澤田元充工場長以下、大町に移住した新工場の従業員も、そんな暮らしの豊かさを感じているように見えました。

新しくできたブランド体験型施設は、まさに「この水がどこから来て、どこへ行くのか」を”水視点”で体感できるつくりになっています。それはすなわち、大町で「水と生きる」「水と共に暮らす」豊かさを疑似体験できるということでもあるのかもしれません。

撮影:小林直博
編集:飯田光平