移住したくなったら

「生きる力」の意味を畑で知った — “ただの“武藤千春が選び取った、長野の暮らし

「生きる力」の意味を畑で知った — “ただの“武藤千春が選び取った、長野の暮らし

なんのために働いて、なんのために生きるのか――。

こんにちは、ライターの風音です。長野の町に惹かれ、思い切って岐阜から移住してきてもうすぐ一年半が経ちます。

長野の生活を楽しみつつも、暮らしを1箇所に絞らない生き方があることも知りました。働き方や暮らし方を見つめ直す中で、いきなり地方に「移住」するのではなく、都心と地方の「多拠点生活」という選択肢を選ぶ若者が増えてきているのです。

武藤千春さん(27)もその一人です。16歳でFlower/E-girlsのメンバーとしてデビュー。19歳で独立し、自身のアパレルブランドを立ち上げた武藤さん。東京を拠点にマルチに活動していましたが、2019年から東京と長野県小諸市で二拠点生活をスタートさせました。

初めは東京が「オン」、小諸が「オフ」だったはずが、とあるきっかけから畑に立つようになり、生活の中に「農」を取り入れた「農ライフ」に目覚めたといいます。

(武藤さん提供)
武藤さんが運営する「MUTO VEGE

武藤さんは小さな畑で育てた野菜をECサイト「MUTO VEGE」で販売することから始まり、2021年には農ライフブランド「ASAMAYA」を立ち上げるほか、町をあげた”ASAMAYA MARCHE”を主催。2022年には小諸市農ライフアンバサダーに就任しました。

華やかな活動が目につきますが、廃棄される予定だった野菜(なんと1万個!)をレスキューし、自らECで販売・発送まで行うなど、泥臭く「農」と向き合う武藤さん。地域に溶け込み、様々な切り口で新しい生き方や価値観を発信し続けています。彼女を突き動かす原動力を知りたいと思い、小諸の畑を訪れました。

「長野は遠い」と思っていた

ー武藤さんは、2019年の12月から東京と小諸での二拠点生活を始められたんですよね。

はい、始めは週の半分は小諸に、もう半分は東京にいました。小諸には、仕事を一切無くしてプライベートの時間をつくるつもりでやってきたので、まさか今みたいに地域と繋がり、畑もやるようになるとは思ってもいませんでした。

ー最初は「オン」が東京、「オフ」が小諸という感覚だったんですね。そもそも、どうして地域を分けてまでオフの時間が必要だったんでしょうか。

東京では「仕事のために生きてる」感じだったんです。寝る時間を削り、食事もほとんど「作業」でした。それで一度体調を崩してしまい、「私、こんな風に身体を壊すために働いているわけじゃないよな」と気づいて。ただお金を稼ぐんじゃなくて、ちゃんと時間も稼いで、「おいしいものを食べる」とか「家族と過ごす」とか、自分の心が望むことをしたくなりました。そんな時に、祖母が「小諸で暮らしたい」と言い始めたんです。

ーまずはお祖母さんが小諸への移住を考えていたんですね。

最初は「送り出す」くらいの気持ちだったんです。でも、いきなり一人で行かせるのは心配だから、家を探すために私や母が代わる代わるついていって。長野については、「山奥にあって、雪もたくさん降るすごく遠い場所」というイメージだったんです。それが、車や新幹線、高速バスなどいろんな行き方で長野に来るうちに、「実はこんなに東京から近い場所だったんだ!」とわかって。

「田舎暮らし」って老後にするもの、20代の自分にはまだ無縁だ、と勝手に決めつけていた。でも、これだけアクセスがよかったら、「東京の生活を捨てて田舎に行く」ではなく、両方の生活をわがままに、いいとこ取りできるんじゃないかと思ったんです。

家族のルーツを探るうちに、「農」と出会う


ー「おばあちゃんの家探し」が、途中から「拠点づくり」に変わっていったんですね。そこから「農ライフ」にはどう繋がっていったんでしょうか。

もともと私、プライベートは結構インドアなんです。部屋にこもって韓ドラをみるとか、漫画を読むとか。二拠点生活をスタートして間もなくコロナ禍に直面したこともあり、なにか家の中でできることを考えたんです。そこで、家族のルーツを探ることを思い立って。

ーNHKのドキュメンタリー番組、『ファミリーヒストリー』のような。

まさにそうです。戸籍抄本も全て取り寄せ、図書館に行って先祖の街の郷土史を調べたり、時には現地に行って聞き込み取材をしたり。最終的には江戸時代中期まで遡って、PDFで何十枚もの資料をつくりました。

ー江戸時代中期まで!? そこまで遡れるものなんですね。

その当時、その地域ではどんなものが採れていたのか、どんな営みがあったのか。とことん調べたかったんです。そうやって調べていくうちに、長野県の佐久に親戚がいることが分かったんです。自分と血の繋がってる人たちが、長野にいっぱいいたんだ!って。

ーもともと長野に縁があったことを、そこで知ったんですね。

その中に、佐久で農業をやっている86歳のおじいちゃんがいたんです。話をしていくうちに、耕作放棄地や廃棄野菜、後継者不足など農業の大変さが見えてきました。「それでも目の前の畑で野菜は育っていくから、毎日作業をし続けるしかない」と語っていて。その現状を知るにつれ、私にできることがあればやりたい、と感じたんです。

とはいえ、こんな都会から来た若い女の子に何を頼めばいいか、向こうも分からない。人に相談してみても、「田舎暮らしは大変だよ」「農業は難しいからやめたほうがいいよ」といったアドバイスしか返ってこない。じゃあ、自分が実際に畑に立てば、表に出ない困りごとや、自分のできることが分かるはず。そう思って、まずは土を耕すところから始めました。

まずは自分でやってみないと「知る」ことはできない

ー自分に何ができるか分からない。だから、まずは実際に自分がやってみようと思ったんですね。

そうです。他人の評価基準で物事を決めることが、すごく嫌なんです。「大変」って言われても、その人にとってはそうかもしれないけど、私にとってはいいやり方を見つけて、ちょうどよくできるかもしれない。逆にみんなが「心地よい」ことでも、私にとってはしんどいこともあるから。それって、やってみないとわからないし、やるのが一番早いので。

ーお話を聞いていると、武藤さんは「知る」と「やる」がイコールなんですね。

たしかに、そうかも知れません。人から聞いた情報って、「知った」ことにならないんですよ。自分の体験が伴っていないと、私は知ったとは思えないんです。

とはいえ、私自身も偏見や先入観を持ってしまっています。それこそ、長野を田舎の遠い地と思っていたように。農業についても、やっぱり大変で稼げないもので、クリエイティブなものという印象は全くなかった。でも、実際に自分が小諸で畑を始めてからは、そのイメージが変わりました。

ーどう変わったんですか?

農業って、コツコツやって大量に売らないと稼げない印象でしたが、ブランド化して上手にビジネスにしている人もいるし、仕事ではなく、あくまでも自己表現として野菜をつくっている人もいる。人それぞれの、いろいろな形の「農」との携わり方があると知ったんです。その多様性を発信したくて、「農ライフ」という言葉を掲げて活動するようになりました。

知ることで、食卓はもっと豊かになる

それまでは畑を見たことはなく、もちろん農家さんの知り合いもいなかったので、すごく「農」との距離があったんです。でも、小諸に来てから野菜にも旬があること、直売所に見たことのない野菜が並んでいること、トマトひとつとっても何種類もあることを知って、驚きました。

そうするうちに、たとえばいろいろな農家さんのブロッコリーがスーパーで「長野県産」とまとめて書かれてしまうことを、もったいなく思うようになって。だって、直接農家さんと喋るとみんな全然違う育て方をしているんです。なので、「かかりつけの農家」を作ることから農ライフを始めるのもいいと思うんです。

ーかかりつけの農家!

「食べること」も「農」でいいと思うんですよね。暮らしの中心に「農」を置く。関わり方は、それぞれが選べることをもっと知ってもらいたい。私は「知る」ことで、今までただの「作業」だった食事が楽しめるようになったんです。「農」に触れたことで、暮らしを大事にできるようになりましたし、自分の日常の選択肢がすごく広がった。

自分が野菜を売る時も、「この農家さんの野菜」ってだけじゃなくて、「この農家さんは元々はこういう仕事をことをしていて、こんな流れで農業にはまっちゃって、休みの日はこんなことしていて……」と、野菜だけでなく、つくり手の人としての背景をまとめた紙を同封しているんです。

ー農作物だけじゃなくて、農に携わる人のストーリーも届けているんですね。

私が「農」にハマったのはそこに携わった人の存在も大きいから。農家さんと喋ると、同じトマトをつくっている人でも、その哲学や農業との関わり方、携わり方、暮らしの中でどれだけ「農」が比重を占めているかが全然違う。めちゃくちゃクリエイティブなんですよ、「農」って。

自分では描けなかった世界をつくるのに、ワクワクする

ー武藤さんは、小諸での「農ライフ」以外にも、音楽活動、アパレルのお仕事もされていますよね。一見バラバラの活動にも見えますが、何か通じる思いはあるんですか?

自身が作詞・作曲したオリジナル曲でアナログレコードを制作したサウンドプロジェクト
ユニセックスのストリートファッションブランド「BLIXZY(ブライジー)」

ありますね。どれも、0から1をつくっている感覚なんです。子どもの頃は「アーティストになる」、「ステージで歌いたい」とか、カテゴリに入ることを目指していたんですよ。実際にオーディションに受かって事務所にも所属したけれど、それはゴールではなくてスタートだった。

段々と、自分が本当にワクワクするのは人に見られることではなく、自らがアイディアを出してそれが形になっていくこと、何かをつくり上げていくことだと気がついたんです。

ーなるほど。武藤さんは「知りたい」、「やりたい」という自分の中の欲求で動いているように聞こえる一方で、誰かと一緒に何かをつくったり、「他者の力になりたい」という軸もあるように感じます。

たしかに、自分でも不思議ですね。自分軸を大事にしたいと思っているけれど、他人軸の部分もあるのかも知れません。

去年の年末も、知り合い経由で「小諸でキャベツと白菜が1万個以上捨てられちゃうんだけど、武藤さん、何とかできない?」って話が来て。

ー1万個!

「そう言われても……」とも思ったけれど、断るよりも、私が発信することで10個でも20個でも売れるなら、と畑を見に行ったんです。すると、すごくきれいな野菜が並んでいた。これを全部捨てるなんてもったいない!とその場で写真を撮り、ECサイトのSTORESで販売したら、全て売れたんです。発送作業に追われて大変でしたけど(笑)

ーすごいことですが、たしかに大変な作業量ですね(笑)

ほんとにもう!でもおかげで「廃棄野菜をなんとかしたい」と同じように思ってくれている人と繋がることができましたし、いい体験でした。面白いことができるんじゃないか、と思って声をかけてくれる人とは、やっぱり一緒に何かをやりたくなりますね。

夢や目標がないからこそ、目の前に飛び込んでくることに飛びつける

ー武藤さんって、不安になったりすることはあるんですか? 話を聞いていると、思い立ったらすぐ動ける感じがして。

不安は……ない、ですね。

ーないんですか!それは、もとからですか?

子供の時は、自分の主張ができる子ではありませんでした。ただ、社会に出るのが人よりも早かったので、言わないと何もできない場面がすごくたくさんあったんです。芸能界って、主張が激しい子が集まる世界じゃないですか。言わないと、自分のやりたい表現がどんどんできなくなってしまう。結構鍛えられましたね。

ー生き残るために、自分の思いをためらいなく出せるようになった。逆に、「もっと早く実現したい」と焦る気持ちは湧いてきたりするんですか?

それもないですね。あまり、夢や目標がないんですよ。そういう欲求がないからこそ、目の前にいろんな話が舞い込むんです。自分ひとりで計画していては到底描けなかったことが、飛び込んでくる。それが新鮮で、楽しいんです。

畑で「生きる力」は何かを知った

ー小諸での武藤さんの活動は、様々なメディアでも見聞きしていますが、どうしても「元芸能人の〜」と切り取られがちですよね。でも、お話を聞いていると武藤さん自身の行動力がたくさんの結果を生み出しているんだな、と思わされます。

ありがとうございます。私も、「元芸能人」と言われるのはすごく違和感を覚えるんです。自分の口から語ったことは一度もないのに、外の人から取り上げてもらう時に、どうしてもそこに注目されてしまう。そうなると、自分が発信したい暮らし方だったり、生き方の選択肢を増やしたいという思いだったりから外れてしまうんです。

ー「元芸能人」だからできたんでしょ? と勝手に一線引かれてしまうんですね。

そうなんです。肩書きやイメージが先行してしまうと、自分が本当に伝えたいものが隠れてしまう。それって、本末転倒じゃないですか。

ー「元芸能人」ではなく、「若い女の子」として取り上げられることはどう感じますか?

それは、全然いいですね。だって、東京に住んでいた20 代の子が小諸に来て畑にハマっちゃう体験って、いろいろな人に落とし込めるじゃないですか。だから、みんなに自分ごととして捉えてもらえる。それが元芸能人という表現だと、「芸能人だからできるのね」と片付けられて、自分ごととして想像してもらえなくなってしまう。

ーなるほど、自分にレッテルを貼られたくない、というよりも、それによって「みんなの選択肢じゃなくなる」ことを避けたいんですね。

はい。音楽制作も、洋服づくりも、自分の暮らし方の発信もすべて同じなんです。肩書きなんて考えなくていい、自分の好きなことや、目の前のことに飛びついていいんだ。意外とそこには大きなリスクなんてない、ということを伝えたいんです。

ー「受け取る人の選択肢を広げたい」という思いが、全ての活動の根っこにあるんですね。その上で、今後の「農ライフ」で手がけたいことを、改めて教えていただけますか。

専業農家という形だけではなく、様々な形で「農」に携わる人を全国に増やせたら面白いな、と思っているんです。私が実際にやってみてハマったように、都市部にいる、若くてクリエイティブなことをやりたい人と「農」って、すごく合ってると思うんです。

私、東京にいる時は「武藤さんなにされてるんですか?」という質問に対して、「こういう活動をしています」って、仕事の話しかしていなかったんです。それが当たり前だし、普通だと思っていた。

でも小諸では、私の仕事や肩書きにほとんど意味はなくて、「野菜のつくり方も知らない」と思わされた。自分で畑に立って、そこで人と喋ることで、生きていく力がついたんです。それまでは、仕事を頑張って肩書きを得たり、人から評価されたり、お金を稼げたりすることが生きる力だと思い込んでいた。でも、実はそれってすごく不確かなものですよね。

自分で野菜をつくり、周りの人とコミュニケーションを重ねながら、心地よい場所をつくっていく。それこそが一番の生きる力だと気づいたんです。

自分がそうだったように、都市部で頑張っている若い人たちにも、こうした生き方の面白さや魅力を選択肢のひとつとして伝えていきたいです。

取材を終えて

なんのために働くのか。なんのために生きるのか。忙しい日々の中で、つい忘れてしまう問い。

取材後、それまで気に留めていなかった自宅の庭の木になっている赤い実が目に付きました。調べてみたら食用の実。収穫して、手洗いし、コトコト煮詰めてジャムをつくってみました。こうしてゆっくり「食」に向き合ったのはいつぶりだろう。「農業」は自分には程遠いと思っていたけれど、「食べること」も、ひとつの農との関わり方。農ライフをグッと身近に感じました。

ただ栄養を摂る作業としてではなく、自分と体に向き合っておいしい食事をする。自分が口にする食べ物が、どういう背景でつくられたものなのかを知る。まずは、そうして丁寧に選択していくことで、「自分が何を心地よく思うのか」に気がつくことができるはず。そんなことを思わされたインタビューでした。

7/23(土) 「信州で暮らす、働くフェア」に武藤さんがゲスト出演します
長野県の今年最大級のまるごと移住相談会「信州で暮らす・働くフェア」を7/23(土)に開催します。そのイベントの中で、「人・場所・時間『長野での生活で見つけたこと』」をテーマにトークライブを11:30〜実施予定です。
会場は、東京交通会館ダイヤモンドホール(有楽町駅から徒歩1分)。当日参加いただいた方にはプレゼントもあります。ぜひ、気軽にご参加下さい。
詳細はHPから

撮影:丸田 平
編集:飯田 光平