2024.05.24
想いをかたちにするまで「13年」。何者でもない夫婦が藤森建築の宿を建てるまで
こんにちは。ライターの風音です。
皆さんは、「藤森建築」と呼ばれる建物たちをご存じですか?
周辺の緑に溶け込む滋賀県近江八幡の「ラ コリーナ近江八幡」、タイルの原料である土から着想を得たという岐阜県多治見市の「モザイクタイルミュージアム」、そして、世界に藤森建築を知らしめた代表作の一つ、ツリーハウスのように空に浮かぶ茶室「高過庵(たかすぎあん)」……。
長野県・茅野市出身の建築史家にして建築家の藤森照信さん。彼の手がけた建物は、どれも建物と敷地全体が自然と調和するよう設計されており、まるで童話の中のような、どこか懐かしいあたたかみが特徴です。
2023年の夏、長野県諏訪郡富士見町に日本初の泊まれる藤森建築、「小泊Fuji」がオープンしました。美しい山々と田園に囲まれた一棟貸しの宿。ぜひ一度は泊まってみたい!と調べていくうちに、たどり着いたのが、「藤森旅館へつづく道」というブログ。
どうやら、この宿のオーナーである山越典子さんは、藤森建築に惚れ込み、3年間かけて藤森さんにアタックをし、土地探しに7年、完成まではさらに3年かけて「小泊Fuji」を作ったらしい……。
構想13年。それだけの長い時間をかけてでも作りたかった宿って一体? 完成までのストーリーを聞きたい! というわけで、長野県富士見町に伺い、オーナーの山越典子さんと、典子さんの旦那さんであり、「小泊Fuji」を手がけた大工さんでもある山越一範さんにじっくりお話しを聞いてきました。
まるで生き物のような建物を、これからじっくりと育てていく
- 風音
- 道を曲がったら、いきなり建物が見えてびっくりしました。「小泊Fuji」の周りだけ別世界みたいですね……。
- 典子さん
- ようこそお越しくださいました。遠くから見ると、「あれだ!」ってワクワクしますよね。
- 風音
- 外観は宿っぽくないというか、不思議な造りですね。
- 典子さん
- 「小泊Fuji」には、ロフトとキッチン付きのリビング棟、寝室棟、軽食や飲み物が買えるパントリーストアがあり、それぞれが一つの屋根でつながっているんです。
- 風音
- なるほど、お部屋がそれぞれ分かれていたんですね。建物の周りは、どこまでが「小泊Fuji」の敷地なんですか?
- 典子さん
- 敷地面積は4,000m²あります。高台になっている「小泊Fuji」の上の段もうちで管理している敷地です。上からも下からも建物を見られるのは珍しいですね。
- 風音
- たしかに、屋根まで見ることってあんまりないかも……。屋根の上に植えてあるのは何の木ですか?
- 典子さん
- これは桜の木です。この屋根の延長線上に、地区のシンボル的な樹齢300年のシダレザクラがあります。
- 風音
- ここからさらに変化していくんですね。
- 典子さん
- 敷地内の田んぼを復活させて、植樹も行い、ゆっくりと完成を目指す予定なんです。いま目指しているのは、「小泊Fuji」が地元の人にとって「もともとここにあった建物」になるくらいに周りの景観に馴染んでいくことですね。
- 風音
- 建物ができたから完成、というわけではないのですね。
- 典子さん
- まだ全然完成していないというか、生まれたての生き物を育てているような感覚がありますね。実は、桜は本来あまり屋上緑化には向かないんです。あの子たちがちゃんと冬を越して育っていけるのか……。
でも、藤森さんが「もうここは桜しか考えられない」と。どうなるかわからないけれど、これも実験ですね(笑)。
- 風音
- 構想から完成までに13年がかかったと伺ったので、今は「ようやく完成!」という段階なのかと思っていましたが、ここからさらに長い時間軸で「小泊Fuji」を育てていくと。
「藤森建築が好き」×「いつか自分の宿をやりたい」という思いがかけ合わさり、人生をかけた夢に
- 風音
- 今日は「小泊Fuji」の完成秘話というか、裏側を聞かせていただきたいなと思っていて。まず、「小泊Fuji」は設計図が完成するまでに10年かかったんですよね?
- 典子さん
- そうです。私が藤森建築に惚れ込んで、藤森さんに宿の企画書を渡し、設計を引き受けてもらうまでに3年、さらにそこから土地が決まるまでに7年かかっています。そこから設計・工事に3年……。13年かけてオープンしました。13年目って、長いですよね(笑)。でもね、結構あっという間でしたよ。
- 風音
- 13年という年月があっという間とはとても思えないのですが……。
- 典子さん
- 藤森さんにお願いして、いいよって言ってくれたら頑張ろうって気持ちだったんです。「3年以内で完成させたい!」みたいな具体的な計画はなかったので、気が楽だったのかな。
- 風音
- そもそも、この計画が動き出したのはいつからだったんですか?
- 典子さん
- 一番の原点は、2004年にたまたまテレビで藤森建築を目にしたことです。「アカン!好きすぎる!!」と思って、そこから藤森建築の虜になりました。
- 風音
- そこから、「藤森建築の宿を作りたい」という具体的なイメージを持つようになったのは?
典子さん- 2010年に骨髄バンクのドナーになったことが大きいですね。それまでは、「いつか宿をやりたいな」という気持ちと、ただ好きな建築家がいる、という二つが別々にあった。
でも、自分の命に限りがあると意識したことで、「心から本当にやりたいことをやろう。私は藤森建築の宿を作りたい」と、何の疑問も感じず、そう思ったんです。
- 風音
- 当時はおいくつだったんですか?
- 典子さん
- 30歳くらいかな。できるかな、ではなく「私はこれをやるんだ」と自然に思いましたね。今まで死を意識してこなかったので、ドナーになったことで、「いま健康に生きている自分は、やりたいことが出来ているのかな」と考えたんです。
- 風音
- 自分の命をかけてやりたいことだと。
- 典子さん
- 皆さんによく「夢を諦めず情熱的にやってきた」と言っていただくんですけど、自分としてはすごく淡々とやってきただけなんですよ。大変だったけど……。あれ、大変だったかな?(笑)。山あり谷ありに見えても、13年かかっていると考えると全部なだらかというか、案外フラットですよ。
藤森さんを追いかけ、長野県茅野市に移住。「夢」はいつしか「計画」に
- 風音
- 「藤森建築の宿をやる」と決めてからは、まず最初に何をしたんですか?
- 典子さん
- まず、もともと茅野市で行われていた藤森建築のワークショップに参加していたので、企画書という名前のラブレターを渡しました。あとは藤森さんに会える機会があればとにかく出かけていきました。当時は安曇野に住んでいたのですが、遠くに住んでいては伝わらないかと思い、藤森さんの地元の茅野に引っ越しました。
- 風音
- いきなり引っ越し!
- 典子さん
- それから、何をやってる人なのか伝わった方がいいなと思って、茅野に引っ越したタイミングで自分のお店を始めました。もともと玄米菜食の宿で働いていたので、その流れて菜食のお店をオープンしました。藤森さんの講演会があれば、お菓子やお弁当を作って手紙と共に差し入れもしていましたよ。
- 風音
- 追っかけの延長でお店まで!
- 典子さん
- はい(笑)。でも、移住者としても、私という人を誰かに知ってもらう機会としてお店をやるのがいいなと思ったんです。本当に藤森さんの追っかけみたいな感じで茅野に引っ越したので、まわりに知り合いもいなくて。
「どこかで働いてる人」よりも、「私はこういうことをやってるんですよ」とか、「こういうことをやりたいんですよ」と周りの人に言えるかなと。
- 風音
- なるほど。衝動で動いているように見えて、意外と冷静ですね。
- 典子さん
- 大胆にやってきた感覚はないです。長期的な計画を立ててどんどん進めてきたというより、「こっちに行った方が1ミリでも良くなりそう」という方向に一歩一歩選んできただけ、みたいな感じでしたね。それに、「藤森建築の宿をつくる」という気持ちは、途中から「夢」ではなく「計画」になったんです。
- 風音
- 計画?
- 典子さん
- はい。藤森さんがOKしない間はただ1人で言っていたので「夢」だけど、OKをもらった時点で「計画」になった。3年間アタックしているうちに、藤森さんをお店にご招待する機会に恵まれたんです。そのとき、「土地が決まったら設計してあげるよ」と言ってくれて。
- 風音
- おお!ついに想いが伝わって話が動いたんですね。
- 典子さん
- 3年間、手紙を渡したり直接お話をしに行ったりとアタックをし続けましたが、なんのリアクションもなかったんです。やってあげるとも、やらないとも言われなかったので、さすがにもう迷惑かもしれないという思いもありました。でも、「いいよ」って言ってくれたので、あとはもうやるだけ。
富士見との出会いと、移住促進担当の後押し
- 風音
- 具体的な「計画」として土地探しが始まったんですね。
- 典子さん
- 土地が決まるまでに、そこからまた7年かかりましたけどね(笑)。茅野市周辺で土地を探すうちに、富士見にいい場所を見つけたんです。茅野に住んでいては、土地の周りの人たちのことがわからないし自分のことも知ってもらえないからと、今度は富士見に引っ越しました。
- 風音
- また引っ越しを……!でも、典子さんからしたら当たり前に動いただけなんですよね。
- 典子さん
- はい(笑)。最初の候補地は白紙になってしまいましたが、富士見は環境がすごく良くて楽しく暮らしていましたし、そのまま土地探しを続けました。そこで、ようやく今の土地を見つけました。
- 風音
- そこからはスムーズに話が進みましたか?
- 典子さん
- はじめは、「ここはお墓もあるし、地域の人にとってシンボリックな場所だから難しいよ」と言われました。
また別のところを探さなきゃと思っていたんですが、相談にのって下さっていた移住促進担当の方が「今、富士見はすごく移住希望者が多いから、この土地も数年したら分譲して家が建ってしまう。そうなったら嫌じゃない?」と背中を押してくださったんです。
そこからは、その方の協力を得て、農業振興地域の除外申請や農地転用に向けて動き出しました。
※農地転用……農地を農地以外の土地に転用するための手続きや作業のこと。
- 風音
- でも、移住促進担当の方からしたら、宿ができるよりも移住者が来て家を立てた方がいいはずでは?
- 典子さん
- その方は、藤森建築に理解があって、文化的に価値のある取り組みだと考えてくださっていました。ただこの土地に家が建つ事よりも、この土地全体の価値が底上げされて、景観が守られる方が将来的にさらに価値が高まる。そうすれば、結果として移住者も増えると。
- 風音
- 土地との出会いと、移住促進担当の方との出会いがあったからこそ実現したのですね。地域の人との関係性はどうやって構築していきましたか?
- 一範さん
- 候補地が決まったとはいえ、農転の準備で2年ほど時間がかかったんです。その間、まだ土地も購入していないのに、2年くらいずっと草刈りをしていましたね。
- 風音
- 2年間も!
- 一範さん
- 候補地なので、雑草で荒れ果てた状態にしてはいけないと思い草刈りをしていました。結果として、地域の方々に「がんばっているね」と認めてもらえましたね。
- 典子さん
- ちゃんと土地全体を管理していくというお話をしていたので、態度で示すことでわかってもらえたのかな。
「あきらめない」、ではなく、「やめない」。日常の延長線上で「小泊Fuji」は完成した
- 風音
- 一範さんは、どんな気持ちで典子さんを見守っていたんですか?
- 一範さん
- 彼女は淡々としていますから、僕の方がそわそわしていましたね。
- 典子さん
- 私は、ただ「やめないよ」というスタンスだったんです。藤森さんは「やる」と言ってくれた。「この土地どうですか」とか、「候補地が駄目になったんです」とお話しに行くと、「急がないからいいよ」と言ってくれるので、続けていればいいんだなって。私がやめなければ、いつかは完成するという気持ちでした。
- 風音
- とはいえ、藤森さんとは契約書を交わしていたわけではないんですよね?
- 典子さん
- ないですね。完全に口頭の話だけで動いていました。
- 一範さん
- 土地の契約が決まる直前も僕はずっとハラハラしていました。お金のことも全然考えていなかったから。
- 風音
- リアルな話、資金面が気になっていました。
- 一範さん
- 二人とも宿の開業に向けた貯金ができるほど稼げないから、「設計図ができるまでに10年が経ったけれど貯金はない」みたいな状況でした。
- 風音
- 動き始めた段階では、資金繰りの計画は考えていなかったんですか?
- 典子さん
- 藤森さんの設計を見ないことにはいくらかかるかもわからない、という感じだったので、資金がどのくらい必要かわからなかったんですよ。実際に建てる段階になって、「こんなにお金かかるんだ!?」って思いました(笑)。
- 一範さん
- 全体的な予算感がわかったときには、「こんなにかかるの!?」と思いつつ、もう図面が出来てしまっていたから……。
- 典子さん
- やるしかなかったね(笑)。クラウドファンディング、銀行からの融資、国の補助金、それから親族にお願いして。使えるものは全部使いました。銀行からの融資は、事業計画書を提出して、借りられるだけ借りました。お金は絶対あとから着いてくる、どうにかなる!って。
- 一範さん
- 実際に、ちょうど動き出したのがコロナ明けくらいのタイミングだったので、ぎりぎり新築の建物に使える補助金が出たんです。1ヶ月間の缶詰で事業計画書を作りましたね。その申請が通ったおかげで、その後の融資も受けやすくなったんです。今思えば、補助金が降りなかったら実現できなかったかもしれません。
- 風音
- 長い間諦めなかったからこそ、いろんなことが重なって実現できたんですね。
- 典子さん
- 「諦めない」というと、ちょっと歯を食いしばらなきゃいけない感じだから、「やめなかった」の方が近いかな。「やめない」だったら日常の中にやめてない自分がいるだけ。「やる!」と決めて、ただやめなかった延長線上に、「小泊Fuji」が建ちました。
広く感謝の気持ちをお返しして、社会全体が少しでもよくなるきっかけになれば
- 典子さん
- とはいえ、最初に始めた時は、まさかこんなに長くかかるとは思いませんでしたね(笑)。歯を食いしばってやっていたら、もっと早く建ったのかもしれないけど。
- 風音
- もっと頑張れば、5年くらいに短縮できたかも?
- 典子さん
- でも、長い間ゆるくやってきたからこそできたのかなぁと。歯を食いしばって頑張っていたら、ポキって折れてやめちゃったかもしれないですね。13年の間にいろいろな人との繋がりも生まれ、こういう宿をやりたいなっていうイメージが固まっていったので、それもまた必要な時間だった。
- 風音
- 最初にお話いただいた通り、建物ができて完成、ではなく、これから「小泊Fuji」は育っていくんですね。
- 典子さん
- はい。まずは形ができた、という感覚です。オープンしてから数ヶ月は、館内の設備の調整をしたり、オペレーションを整えたりとてんやわんやだったので、やっと一息つきました。これからは、運営を軌道に乗せていくことはもちろん、まずは田んぼとお庭を作って、周囲の景観に溶け込むようにしていきます。
- 風音
- 「形ができた」という一つの大きな区切りを超えて、今典子さんがしてみたいことや考えていることはありますか?
- 典子さん
- いずれはこの場所や「小泊Fuji」の収益を社会に還元していくような取り組みを行いたいと思っています。
- 一範さん
- 僕たちは菓子製造の事業も行っているんですが、「TABLE FOR TWO」というプログラムに参加していて。それは「健康的な食べ物を一つ買うと、発展途上国に一
食分の給食が届く」という取り組みなのですが、たとえば「小泊Fuji」に一泊したら木を一本植えますとか、そういう何かが出来ればいいなと」
- 風音
- 「社会に還元したい」というのは、どこからくる気持ちなんですか?
- 典子さん
- 「小泊Fuji」ができるまで13年、本当にいろいろな方に協力してもらったおかげで、こうしてこの場所ができました。でも、私は一人ひとりに「本当にあの時はありがとうございました」ってお礼をして回れるほどのマメさがないんです(笑)。なので、もう社会全体に向かってお返したい。
- 風音
- 感謝の気持ちを、社会に丸ごとお返しするために。
- 山越さん
- 「もちろん、一人ひとりにお礼ができればベストです。でも、自分だったら誰かを応援した時に、その人から「ありがとうね」って何かお返ししてもらわなくても、その人が素敵に活動していれば、「あの人のことを応援してよかったな」って思うんじゃないかな。
たくさんの人に応援してもらったからこそ、私腹を肥やしてすごい高級車を乗り回すとか、 そういうふうに恥ずかしい自分にはなりたくないですね。なにかを返せるんだったら、個人じゃなくて全体にぼわーってお返しして、社会全体が少し良くなるきっかけになれれば最高ですね」
撮影:丸田平
編集:飯田光平