移住したくなったら

ひとりの“移住者”でもある、長野県知事に聞く。「阿部さん、大人になってからでも『故郷』は作れますか?」

ひとりの“移住者”でもある、長野県知事に聞く。「阿部さん、大人になってからでも『故郷』は作れますか?」

「故郷」と聞いて、どんな場所を思い浮かべますか?

生まれ育った街? それとも学生時代を過ごした街でしょうか。引っ越しや転勤を繰り返した方には、故郷などないと感じる方もいらっしゃるかもしれません。

私自身は広島で生まれ育ち、大学時代は京都、卒業していったん東京、それからまた京都に戻って10年が経ちました。ほとんど帰っていない広島、生まれ育った場所ではない京都、どちらも胸を張って「故郷」とは言えない気がします。

ある友人は、生まれ育った街が好きになれない、と言っていました。自分には故郷がない。だから作りたいと。でも、大人になってからでも「故郷」って作れるものなのでしょうか?

そんなとき、長野県知事の阿部守一さんの本を読んでいたら、こんな一節が目に留まりました。

「故郷といえるところがなかった私にとっては第二というより、第一の故郷。それが、信州です」(阿部守一『社会を変えよう、現場から』より)

それを読み、「大人になってから『故郷』を作った方が、ここにいた!」と思いました。「故郷」といえるところがなかったという阿部さんは、生まれ育った街ではない長野という場所を、あとから「故郷」にしたのです。

話し手
阿部 守一氏
長野県知事。1960年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、自治省(現・総務省)に入省。本省勤務のほか、山口県、岩手県、神奈川県、愛媛県などへの出向も経験し、地方自治の現場で活躍する。2001年、長野県企画局長に就任。同年10月からは副知事を務める。2007年、横浜市副市長に就任。2009年、内閣府行政刷新会議の事務局次長に就任し、事業仕分けに関わる。2010年8月、長野県知事選挙に出馬し初当選。現在、三期目を務める。

そこで今回は、県知事としてではなくひとりの「移住者」として、阿部さんに「故郷」の作り方についてうかがいます。

阿部さん、「故郷」はどうやって作るものなのでしょうか?

聞き手
土門 蘭
1985年広島生まれ、京都在住。小説・短歌などの文芸作品や、インタビュー記事の執筆を行う。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』。

「故郷」と思えるところがないとずっと感じていた

取材はオンラインで行われました
土門さん
阿部さんは、生まれも育ちも東京だそうですね。
阿部さん
はい、大学在学中まで国立市に住んでいました。そのあと家族ごと新宿に引っ越して、私は自治省(現在の総務省)に就職。それからは転勤でいろんな県に行ってましたね。
土門さん
著書で「故郷といえるところがなかった」と書かれていたのが気になっていたのですが、どうしてそう感じていたんでしょう?
阿部さん
父は秋田出身で、母は栃木出身なんですが、両親とも地元との交流がほとんどなくて。子供のころ、夏休みになるとみんなが田舎に帰るのがうらやましかったですね。私にはなんで田舎がないのかなって。そういう意味で、故郷と思えるところがないなとずっと感じていました。
土門さん
育った国立も、故郷だとは思わないですか?
阿部さん
もちろん、懐かしい思い出はたくさんありますよ。ひとつの拠り所であることは間違いないけれど、もう家族も住んでいないし、日常的につながっている場所という感じではないんですよね。だから故郷とはちょっとちがうかな。
土門さん
なるほど……。そんな阿部さんが「第二というより、第一の故郷」とおっしゃる長野ですが、そもそもの出会いは何だったのでしょうか?
阿部さん
最初に長野県民になったのは2001年。そのときの理由はいわゆる「転勤」でした。私が勤めていた自治省という役所は、いろいろな都道府県を行ったり来たりするところなんです。その中で辞令が出たのが、長野県だったんですね。

そこで企画局長、副知事を務めたのですが、当時は複雑な田中康夫県政でいろいろあり、「このままでは副知事としての職責が果たせない」と自ら退任を申し出る形になりました。後ろ髪を引かれる思いで、東京に帰ったんです。

その後、2010年に県知事選挙に出るために、もう一度長野に戻ってきます。そこから長野との本当のつながりが始まりましたね。
土門さん
二度目は辞令ではなく、ご自身の意思だったんですね。もう一度長野に帰ってこようと思われたのはなぜだったんでしょう。
阿部さん
ひとつは、仕事をやり残した感があったから。途中でいなくなってしまったことがずっと心残りだったんですよね。

もうひとつは、長野で暮らす中でポテンシャルが高い地域だと感じたこと。そして、お金に換算できない、都会にはない価値がたくさんあると感じたことです。だから、また戻ってきたいと考えました。

「落選してもしょうがない」と思うほど長野に惚れた理由

土門さん
その「価値」ってどういうものなんでしょうか?
阿部さん
たとえば都会に住む人からすると、きれいな景色を見たり新鮮な空気を吸ったりということは、日常ではなく「お金をかけて得るもの」ですよね。でも長野にいると、そういったことはタダだし当たり前。目にしみるほど青い空、山の緑、美しい渓谷がある。それを見て感動したり、癒されたり、元気になったりするわけです。
土門さん
土地自体が豊かだから、いるだけで「価値」を享受できるという。
阿部さん
そうですね。本当にたくさんパワーをもらえる土地だなと思います。
土門さん
もうひとつ、「ポテンシャルが高い」ということもおっしゃっていましたが。
阿部さん
私は、長野の一番の強みは「学び」と「自治」だと思っているんですよ。
土門さん
「学び」と「自治」?
阿部さん
長野はその昔、自他ともに認める教育県だったんです。江戸時代には寺子屋の数が日本一多かったし、明治維新後に新しい学校制度ができたときも、就学率がもっとも高かった。もともと教育熱心な土地だったんですね。だからみなさん議論好き。学ぶ意欲に富んでいる方が多いなと感じます。
土門さん
へえー、そうなんですね。
阿部さん
もうひとつの「自治」ですが、長野は村の数が日本一多いんですよ。それは市町村合併が進まなかったというよりも、「自分たちの地域は自分たちで支えていこう」と考える自治体が多いからなんですね。自給自足をよしとする、自立心が強い県民性だと思います。
阿部さん
2016年には、白馬村で震度5強の地震が起こり家屋がたくさん倒壊したのですが、近所の人どうしで救出作業を行った結果、亡くなった方がいなかったんです。全国メディアは「白馬の奇跡」と呼んだけれど、地元の人にとっては当然のこと。誰がどこに住んでいるかを互いに把握しているからこそ、すぐに飛んでいくことができたんですよね。
土門さん
すごいですね。そんなふうに自力で賄おうとすると、どうしても「学び」が必要になってくる。「学び」と「自治」という県民性は連動しているのかもしれないですね。
阿部さん
そうですね。だから実は、長野の選挙に初めて出たとき「落選してもしょうがないな」と思っていたんですよ。もちろん当選するために出るんですけど、長野の人たちが選択するならそれを尊重しないといけないなと。結果としては、僅差で私が当選したわけですが。

なぜかというと、田中県政のときに、長野の人たちはよく見ているなってことがわかったんですよね。当時は議会との揉め事も日常茶飯事だったんですが、そんな中でも県民のみなさんは、表面的な部分だけでなく冷静に実務を見てくださっていた。だから、そういう人たちにNOと言われるなら受け入れるしかないなと思ってたんですよね。
土門さん
……なんだかお話を聞いていると、阿部さんは長野に惚れてしまったんだなと感じます。
阿部さん
あはは、そうですね、惚れたんでしょうねぇ。今、土門さんに言われて思い出したんですが、私が入った自治省には「三惚れ」という言葉があったんですよ。
土門さん
「三惚れ」?
阿部さん
「地方に惚れろ」「仕事に惚れろ」「女房に惚れろ」。それが刷り込まれているのかもしれないですね。惚れないとできないですよ、こんなに大変なことは(笑)。

GDPに表れない、もうひとつの豊かさ

土門さん
そんな長野を自分の「故郷」にしていくために、意識したことはありますか?
阿部さん
うーん、あんまり意識してないですね(笑)。意識しなくても、助けてもらえますから。
土門さん
助けてもらえる?
阿部さん
私は浅間山の山麓に家があるのですが、畑が多いところでね。ご近所の方から年中もらいものをしているんです。「いつでも畑から持っていっていいよ」とおっしゃる方もいて(笑)、いざというときには食料自給できるんじゃないかなというくらい。こういうおすそ分け文化、GDPに表れない物のやりとりは、都会の何倍もあるように思います
土門さん
そういう意味で言うと、水や空気の美しさも、山の景色も、GDPに表れない豊かさですよね。
阿部さん
その通りですね。あと私はよく思うんですけど、都会は「人が多いけれど、人が少ない」なと。長野は「人が少ないけれど、人が多い」
土門さん
えっ? それはどういう……。
阿部さん
都会には人がいっぱいいるけれど、みんな知らない人。だから大勢いるのに孤立しやすい。だけど長野は、人は少ないけれど知っている人は多いんですよ。すぐに密な関係性になるし、2、3人介せばキーパーソンとつながることができます。

だから、単に人が多いほうが力が発揮されるかというとそうでもない。人が少なくてもつながりが濃い方が、コミュニティの力を強くできると思うんです。
土門さん
それもまた、データには表れない豊かさですね。お話をうかがっていると「豊かさ」の定義が変わってきているのかなと思います。ひと昔前までは、都会でガンガン稼いで消費する、まさに数字に表れることが「豊かさ」だと思われていたように思いますが。
阿部さん
今の世の中、価値観は変わってきているんじゃないかな。移住されてきた方と話していると、みなさん同じことをおっしゃいますよ。「東京にいたときの方が給料は高かったけれど、今のほうが幸せ」だって。

コロナになってから、ますますそうなっているように感じますね。実は一度目の緊急事態宣言以降、長野の方が転入超過になっているんですよ。コロナをきっかけに、都会での暮らしに魅力よりも疑問を感じる人が増えてきたのかなと思います。
土門さん
ここからは「故郷」について話していきたいのですが、阿部さんにとって「故郷」とは何ですか?
阿部さん
うーん、何でしょうね……「安らげるところ」かな。
土門さん
安らげるところ。
阿部さん
私はこれまでいろんな地方を行ったり来たりしたんですけど、たとえば二つの拠点を移動するときに「こっち方面に向かうときのほうが心が安らぐな」って感じがあったんですよね。
土門さん
はい、はい。
阿部さん
最初は東京から地方に行くときに心安らぐことなんてなかったけれど、今は長野に向かう道の方が心が安らいでいる。感覚的な話で申し訳ないんですが、安らげる、落ち着ける、気持ちがいい……そういうのが「故郷」なんじゃないかなと。
土門さん
それは、自分が生まれ育った土地じゃなくても?
阿部さん
もともとの故郷は、生まれ育った土地かもしれません。でもそれも結局、「安らげる」かどうかなんだと思うんです。私にとって国立は懐かしい町だけど、安らげるかというとそうでもない。なんでかな……街の風景がずいぶん変わったのもあるかもしれませんね。

今は長野で山を見ると、すごく落ち着くんですよ。逆に山が見えないところにいくと不安になる。長野に住むまで、そんな感覚なかったんですけどね。

皮膚感覚で安らげるところを「故郷」にしてしまえばいい

土門さん
ということは、人は新しく故郷を作れるんでしょうか。
阿部さん
「安らげるところ」という定義なら作れるんじゃないかな。でも作ると言ったって、「ここを終の住処にするんだ!」と覚悟を決めるというより、自分に合っている場所を感覚的に選ぶという感じでいいと思う。その「合ってる」という感覚も、年齢やライフスタイルによって変わるものですしね。その都度、皮膚感覚でここが「安らげる」ってところを故郷にしてしまえばいいんじゃないかな。知事としてはもちろん、長野に移住してきてほしいけど。
土門さん
なるほど。でも選ぶためには、いろんな街を見るのも大事そうですね。阿部さんはこれまでいろんな場所に行かれましたが、だからこそ長野がいちばんしっくりくるとわかったんじゃないかなと。
阿部さん
ああ、それはあると思います。さっきは都会と地方の違いを話していたけれど、地方は地方で、風土や県民性がそれぞれ全然違うんですよね。気候とか産業によって、暮らし方ってかなり影響されるから。だから「なんか落ち着かないな」って県もやっぱりありましたよ(笑)。
土門さん
へえー。それこそ皮膚感覚で。
阿部さん
そう。都道府県って枠じゃなくても、しっくりくる場所とそうじゃない場所ってあるじゃないですか。お店なんかでも、居心地いい店もあれば早く出たいなって店もある。それと同じだと思うな。
土門さん
故郷って、頭ではなく五感を通して感じるものなのかもしれないですね。だから、いろんなところに身を置いて、しっくりくるところを探してみたらいいのかな……。
阿部さん
そうだと思いますよ。知事としては「長野、いいですよ!」って宣伝したいけど、人によって嗜好もちがうし、万人に適しているかどうかわかんないですからね。だからいろんなところに行って、試しに住んで、暮らしの一端を体験してみたらどうでしょう。ガチガチに考えなくてもいいんですよ。どこに住んだっていいんだから
土門さん
お話を聞いていると、私自身もいろんな故郷を作れるかもなという気持ちになってきました。阿部さんは、今後もずっと長野にいる予定なんですか?
阿部さん
そうですね。もうよそに移住する元気もないし(笑)。今は仕事仕事で休んでいる暇がないけど、仕事が終わったら長野のいろんな場所でのんびりしたいなっていつも考えています。
土門さん
そんなに好きになれる「故郷」と出会えたのは、すばらしいことですね。
阿部さん
ええ、本当に。「地方に惚れろ」ができたのは、幸せなことだなと思いますよ。

ひとりの移住者としての阿部さんと話していると、故郷は意識的に作るものではなく、自然にできていくものなのかなと感じました。

「意識しなくても、助けてもらえますから」

そう言った阿部さんの、謙遜でも遠慮でもない、ただリラックスした表情が印象に残っています。

その表情を見て、「ここに骨を埋めよう」とか「地域のために何かしよう」とか、肩肘張らなくても別にいいんだなと思いました。なぜなら故郷の定義とは、皮膚感覚で「安らげるところ」だから。

最後に、長野の好きなところについて聞きました。

「山があって、空が近いところかな。山を見上げると自然と空が見える。すると体も上向きになって、呼吸が深まるんですよね」

「SuuHaa(深呼吸)」のポーズをしていただきました

自然と呼吸が深まる、心安らぐところ。

そんなところが、私の、あなたの「故郷」なのかもしれません。

撮影:小林直博
編集:友光だんご(Huuuu)

対談の一部始終を収録した動画もYoutubeチャンネルにて公開中です↓