移住したくなったら

「観光」と「移住」のあいだを考える。日常の景色を広げる新たな旅のあり方とは?

「観光」と「移住」のあいだを考える。日常の景色を広げる新たな旅のあり方とは?

これまで、地域への関わり方は純粋に楽しむための「観光」と、その地に根を張って暮らす「移住」に大きく分かれていました。しかし、ここ数年で「関係人口」や「2拠点居住」、そして「ワーケーション」など、旅行するわけでも住むわけでもない第3の選択肢が注目を集めています。

今回は宿を起点とした地域との関わり方を提案したり、自ら2拠点居住を実践している3人が鼎談しました。ゲストとして登壇したのは、複数のゲストハウス・ホステルをなどを展開しているBackpackers’ Japan取締役の石崎嵩人さんと、経営者としてアパレル事業を展開しながら小諸市との2拠点居住を実践している武藤千春さん。ファシリテーターは、長野市内のゲストハウス1166バックパッカーズ宿主の飯室織絵さんが務めました。

多くの場合、「移住」と切り分けて考えられがちな「旅」。しかし、じつはその体験が地域とのかかわり方によっては連続性を持ったものになることが語られました。石崎さんのキャンプ場づくりでは、「住むように旅する」新しい滞在の形の提案が。また、武藤さんの移住経験からは、「気の向くまま」に動くなかで気づけば移住していた体験が語られます。

コロナ禍やリモートワークにより、急速に拡大した移住ニーズに私たちはどのように向き合えばいいのか。実践者たちの言葉のなかにヒントが見えてくるはずです。

参加者プロフィール(写真右から)
飯室 織絵(1166バックパッカーズ宿主)
兵庫県出身。2010年に長野市にてゲストハウス・1166バックパッカーズ開業。ガイドブックの情報ではものたりない旅人と地元のひとを緩やかに繋ぐパイプ役を目指す。日々旅人の話を聞かせてもらうなかで、聞き・書きにも興味を持つ。

石崎 嵩人(Backpackers’ Japan取締役)
1985年生まれ・栃木県出身 / 東京在住。
22歳で上京し、出版取次会社に入社。長野県担当の営業職に。1年で退職後、準備期間を経て、大学時代の友人とともにBackpackers’ Japanを創業。ゲストハウス・ホステルを10年以上運営・展開し、全国に知人がいる。2022年長野県佐久郡川上村にてキャンプ場を開業予定。

武藤 千春(株式会社B-CREW代表取締役 / BLIXZY プロデューサー / ASAMAYA 店主)
1995年4月3日、東京生まれ。2011〜2014年、アーティストとして活動。2015年より女の子が発信するメンズファッションという新しい試みのユニセックスストリートブランド「BLIXZY(ブライジー)」のプロデュースを行い、企画・デザイン・PR・モデルなどをマルチに行う。また、ラジオパーソナリティーやMCとしても活躍中。現在は東京と長野県小諸市での二拠点生活を送り、畑での野菜作りに取り組む。2021年には農ライフブランド「ASAMAYA」を立ち上げ、農ライフや地域の魅力を伝えながらフードロス課題解決に向けた規格外・廃棄野菜のレスキュー活動も行うなど活動の幅を常に広げ、新しい生き方や価値観を発信している。2022年からはシンガー CHIHARU としての音楽活動も再始動。

*本記事は、2/11に開催された長野県主催のイベント「シシコツコツ」内のトークセッションを記事化したものです

2拠点居住とゲストハウス、さまざまな「滞在」の形

飯室さん
本日はよろしくお願いします。ファシリテーターを務めさせていただく、長野市の善光寺近くでゲストハウス「1166バックパッカーズ」を運営する飯室です。

今日は2人のゲストにお越しいただいています。1人目は、株式会社Backpackers’ Japan取締役の石崎嵩人さんです。
石崎さん
よろしくお願いします。「あらゆる境界線を越えて人々が集える場所」を理念に掲げて、2010年から東京や京都でホステル・カフェ・バーなどをつくってきました。また、最近は長野県南佐久の川上村というところで、キャンプ場をつくる計画も進めています。

あと、飯室さんとは開業時期が同時期なんですよね。僕たちの1号店となる「ゲストハウスtoco.」を開業した2010年に、飯室さんも「1166バックパッカーズ」も開業していて。そんなつながりから長野市に遊びに来ては「一緒にイベントやろうよ」って話をしていましたよね。
飯室さん
お互い開業してから、もう10年以上ですね。ちなみに、Backpackers’ Japanでは宿をつくるときにどんなことを意識しているんですか?
石崎さん
普通は宿泊者しかいないゲストハウスを街町やローカルに開くことですかね。宿にカフェ・バーやミュージックラウンジといった機能を付け、いろんな人が自然と混ざるような環境をつくっています。
飯室さん
ありがとうございます。ここで一旦、もう一人の登壇者をご紹介させていただきます。東京と長野県小諸市で2拠点生活を実践している、株式会社B-CREW代表取締役であり、ファッションブランド「BLIXZY」のプロデューサーである武藤千春さんです。
武藤さん
よろしくお願いします。東京生まれ東京育ち、1995年生まれの26歳です。10代のときはダンス&ボーカルグループに所属し、アーティストとして約4年間活動。19歳の時に独立して、音楽の世界から離れて、BLIXZYというファッションブランドを2015年から始めました。そして、2019年12月から、長野県小諸市に拠点を構えて移して2拠点生活をしています。
飯室さん
武藤さんは東京で生まれ育って10代の頃からアーティストとして活動して、その後ファッションの世界にも入って、ラジオでお喋りするような仕事もしていて……完全に自分の名前で東京に居場所が確立されている状態だったと思うのですが、2拠点居住はどういうきっかけで始まったんでしょうか?
武藤さん
東京を拠点にしていた時に心身ともに疲れてしまっていたんですよね。19歳から自分で会社をつくってアパレル事業を始めて、アルバイトや社員を雇っていたり、色々なイベントに出店したり、本当にハードな生活を送っていたんです。

でも、その状態では人生をずっと走り続けられないじゃないですか。実際に体調を崩したこともありました。「このまま20代30代もやっていけるのかな」と少し不安を感じた時に、自分の暮らしを軸に考えて働きたいと思ったんです。ちょうどそのころに祖母が「長野県の小諸市で田舎暮らしがしたい」って急に言い始めたんですよ。
飯室さん
ちょうど心身ともに疲れていた自分の状況に、おばあちゃんの移住希望のタイミングが重なったと。
武藤さん
はい。とはいえ、最初は祖母と一緒に家の内見とかで付き添いに来るだけ。長野県を訪れたのは、そのときが初めてで、「小諸」の読み方すら分からなかったんです。

ただ、祖母と何度も来て街を歩いているうちに、東京から最寄りの佐久平まで新幹線で70分くらいで来れちゃうし、思ってたより長野って近いなと思ったんです。しかも、車で10分走ればスターバックスもマクドナルドもある。「私が想像してたハードルの高い田舎暮らしじゃないのかも」と思いましたね。

これなら住まいや仕事を捨てなくても、都会と田舎のいいとこ取りができちゃうのかも……という可能性を感じて。じゃあ私も週の半分ぐらいは小諸に住んじゃおうかなと思い、2019年に拠点を構えました。

「ないものは工夫して手に入れる」心に変化を起こす農ライフの力

飯室さん
思っているよりも東京に近くて、都会と田舎のいいとこ取りがしやすいからこそ、フットワーク軽く2拠点居住を始めることができたと。そして、今では農業にもチャレンジされているそうですね。
武藤さん
はい。コロナ禍で時間が増えたのに加えて、親戚が何年も使われていない、20坪ぐらいの耕作放棄地を持っていたんです。身近に農家さんもいたので、「暇だし自分で畑をはじめてみようかなあ」と、YouTubeでやり方を調べながら、よくわからないけど種を土に植えてみたのがスタートでした
飯室さん
YouTubeを見て農業の勉強をするのは新しいですね(笑)。
石崎さん
え、畑ってそんな簡単にできるんですか。
武藤さん
意外とできます。昨年は、たった3〜4ヶ月ぐらいで私でもちゃんと野菜がつくれて、WEBで販売できるところまでいけました。壁はいろいろありますが、なんとか乗り越えられると思います。
飯室さん
すごいですね。武藤さんみたいな若い方がYouTube見ながら畑してるっていうのは、未来が明るい感じが…。
石崎さん
希望を感じますね(笑)。
武藤さん
あと、周辺に住んでいる農家さんと話すうちに、十人十色の農ライフを若者や自分と同世代の人たちに発信したいと思うようになったんです。そこで去年「ASAMAYA」という農ライフブランドを立ち上げて、商品とともに農家さんたちのこだわりやストーリーを伝える活動をしています。
武藤さん
ASAMAYAでチャレンジしたいのは、ゼロから作物をつくることよりも、収穫した作物を皆さんのもとに届けること。

というのも、都市部で生活する人には、農業は田舎のおじいさん・おばあさんのもので、自分はあまり関係ないと思っている人が多い。でも、実際に喋ってみると、みんなクリエイティブで、それぞれ哲学を持っていて、本当に面白いんです。
飯室さん
2拠点居住をはじめた当時の「スタバもマックもあるし住める」と言う気持ちから考えると、農業を通じてこれほど地域に溶け込んでいるのは相当大きな変化ではないですか。
武藤さん
東京に住んでたときは、恥ずかしい話自炊もしないし、UberEatsや外食ばかりでした。「ないものは買う」みたいな消費にまみれた毎日で、それが当たり前だと思ってたんですね。でも、小諸で暮らして時間ができると、「ないものは工夫すれば手に入れられるんだ」と思い始めたんです。

畑を始めても、「農業ってトラクターや機材を買ったりで、初期投資がかかりそうだな…」と思ってたんです。でも、実際始めてみたら、クワと種以外は何も買わずに済んでいます。というのも、ないものは地域の人から借りたり、「どうやってつくろう」みたいな発想に自然となったんです。農村にはそういうマインドに変化を起こす力が不思議とあるなと思いますね。
飯室さん
近所の人に助けを求めながらやっていく。
武藤さん
交流のある農家さんだけでなく、通りすがりのおじさん、そして移住支援は行政の人たちまで、知らない人たちが自然と手を差し伸べてくれるんです。だから、あまり難しく考えずに、2拠点居住などに興味のある人は、まずは気軽に来て滞在してみるところから始めてみれば良いと思いますね。地域のコミュニティがサポートしてくれるはずです。

「旅」は「移住」の延長線上にある

飯室さん
地域コミュニティとの関わりについて、石崎さん自身はどう実践しているんですか?
石崎さん
僕の場合、実は地域コミュニティへの入り方を教えてくれたのが、飯室さんなんですよ。
飯室さん
え、わたし?
石崎さん
はい、飯室さんってよく街歩きのイベントをしているじゃないですか。僕は、街歩きの面白さをそこで飯室さんから学んだと思っています。
飯室さん
たしかに、一緒にまち歩きしてましたね(笑)。すこし補足しますと、1166バックパッカーズでは宿泊客をお連れして、一緒にガイドブックに載っていないスポットや裏道、小さなお店などを巡るまち歩きを開催しているんです。多いときは週5回ぐらいやってます。
石崎さん
ちなみにどうしてそんなに街歩きにこだわっているんですか?
飯室さん
私はゲストハウスを通して「出会い」を大事にしたいんですよね。せっかく長野市に来てくれた人に、ちゃんと魅力が伝わる「土地との出会い」の機会を提供したい。また、同じ日に集まった旅行者同士や、たまたま遊びに来た近所の人など「他者との出会い」も、もちろん大事。

また、最近では移住相談窓口みたいな機能も担っています。たとえば、家族で旦那さんの仕事都合で移住予定の人と一緒に自転車で走って、「このエリアにはこんなスーパーがある」「このエリアは保育園が充実している」といった話をしながら、まちを案内していますね。
石崎さん
飯室さんに長野市で街歩きの面白さを教わって以降、僕は国内旅行するときに個人店を回るようになったんですよ。パン屋さんに行ったり、日用品のお店に行ったり。そしたら、個人店の方々と直接知り合いになれて。

すると、不思議と「またあの街に行きたいな」っていう感覚が芽生えるようになるんです。観光地だったら一度行けばスタンプラリーのように「行って満足した」となってしまうじゃないですか。人と会って、町と自分の関係が強くなっていく感覚が面白いなと。
飯室さん
これは本日のテーマ「観光と移住のあいだ」とも繋がりますが、私は宿をはじめた時からずっと「旅と移住は同じ線の上にある」と言い続けてるんです。

いま石崎さんがおっしゃったように、個人店に行ってみて、店主と仲良くなっちゃったりすると、「あの店主元気にしてるかな」「会いに行こうかな」と、次に行くポテンシャルがそこで生まれたりもする。

そうして接点がたくさんできるうちに、その土地に通うようになり、地域の中で自分ができることを考えるようになり、自分の居場所​​が見えてきて、気づけば移住したり2拠点をはじめていたり……ゲストハウスやホステルは、そのとっかかりになると思います。
石崎さん
そうそう。「この街に住んだらどんな暮らしをするだろう」という観点で旅行をするのは楽しいし、オススメです。ゲストハウスは街との近さが面白いですし、観光案内所的な役割も果たしているので、まずはゲストハウスを拠点にあちこち旅行して、その町と自分の接点を深めていくのもいいかもしれないですね。

「移住」は重たい、気の向くままに生きたいだけ

飯室さん
ちなみに、いま武藤さんはほとんど小諸にいらっしゃる生活なんですか?
武藤さん
はい。洋服のデザインも、工場とのやりとりもだいたい自宅でオンラインで完結するので、東京にいるのは週に1回くらいだと思います。
飯室さん
いま小諸に居る割合が大きくなっていたり、農業関係のブランドを立ち上げたりと、小諸でさまざまな活動を展開されていると思います。これは、2拠点居住と移住、どちらに分類されると思いますか?
武藤さん
うーん…。いまはとりあえず、「東京と2拠点居住しています」と言っていて、「あんまり移住しました!」と声を大にして発信していないんですよね。

私も最初、どんな暮らしになっていくか想像できないまま始めてみたんですよ。いまはコロナ禍の影響もあって長野県にいる割合がぐっと増えていますが、もし仕事に変化が起きたり、結婚して家族や子供ができたりすれば、変わるかもしれないですよね。5年後は、もしかしたらまた全然違うところで多拠点生活みたいになっているかもしれない。

結局、自分の心の向くままに自由に選択していきたいと思っているので、このまま「今はこんな感じ」と言いながらやっていくと思います。
飯室さん
移住って言葉、結構重い感じがします?
武藤さん
重い感じがしますね。
飯室さん
私も長野県に住んで15年ほど経っているし、長野で子どもを育てていますが、移住かと言われるとしっくりこないんですよね。
武藤さん
そうそう。そこまで「覚悟を決めて長野県に来ました」という気持ちではないんですよ。
飯室さん
この先の人生何があるかわからないですからね。
石崎さん
新しく地域に来る人があまり重荷を感じずに拠点を移せたらよさそうですよね。
飯室さん
緩やかに入り込んで、気づいたら長く住んでいたり、必要があれば出ていったりが良いですよね。先ほど武藤さんがおっしゃった「気の向くまま」という部分は、これからも必要になってくると思います。
武藤さん
それが自然な形な気がしますよね。「移住しよう」「長野県っていいらしいから住んでみよう」と意気込んで行くと、友達もどうやって作ったらいいかわからず、「どうしよう」と苦しくなると思うんです。

でも、先ほどお話していたように、なんとなく長野に来てみて、いい宿を見つけて、いいお店を見つけて、飯室さんみたいな人に自転車で案内してもらう……そうすると、そこから友達もできて、頻繁に通うようになって、気づけば長野にいる割合がどんどん増えていき、いつの間にか拠点になっている。それがたぶん、一番心地よく地域に馴染める形だと思っています。

新しい日常の「景色」を増やす

飯室さん
石崎さんがいま川上村で新しくつくられているキャンプ場についても聞かせてください。もともとホステルやゲストハウスの立ち上げが得意だったBackpackers’ Japanがキャンプ場を始めるまでには、どういった経緯があったのでしょうか?
石崎さん
まず、コロナの影響を強く受けていますね。ゲストハウス・ホステル業は、個室が無かったり、共有スペースに人が集まったりと、新型コロナウイルスと相性が悪いじゃないですか。
飯室さん
わかります。びっくりするくらい相性が悪いですよね。
石崎さん
宿泊客が激減して休業する状況になり、自分たちのやってきたことが全否定されているような気持ちになっていたんです。でも、「このままじゃいけない」という気持ちから、新規事業として2022年からキャンプ場を立ち上げることになりました。
石崎さん
このキャンプ場では、「日常のさまざまな営みを、自然とともに」というコンセプトを掲げています。ただ単にキャンプ場であることを超えて、「森の中で暮らす」とか、「清風を感じながら食事をする」といった体験を提供したい。

ロッジの設計も、「泊まる」のではなく、「一泊分住む」という考え方で建物を作れないか考えています。普段は街の中でやっていることを自然の中に持ち込むことで、普段の暮らしが自然に溶け合って、街と自然が近づいていく。そんなキャンプ場をつくりたいと思い計画を進めています。
飯室さん
面白い。まさに観光と移住のあいだですね。
石崎さん
要するに、コピー・アンド・ペーストのロッジではなく、「小さな新築家屋」を建てるイメージでロッジをつくっているんですね。すると、「ここに窓があれば、この景色が見えるな」とか、「ここには椅子と、ちょっと本を読む台が欲しい」とか、本来キャンプ場のロッジではしないような工夫が見えてくる。そこから「一泊分住む」経験を提供した。
飯室さん
すごい。ここにたどり着くまでに、ものすごく長い議論があったんでしょうね…。
石崎さん
そうですね。これまで私たちはずっとゲストハウスやホステルをつくってきたことで「場づくりをしている」と紹介を受けることが多くて。でも、あるとき自分たちが本当につくりたいのは「場」そのものというより「景色」だということに気づいたんです。つまりそこで人がどんなふうに感じ、どう過ごすかの光景までふくめて価値観として提案したい。

自分たちが世の中にない新しい景色をつくることで、土地が開かれて人が流れ、出会いが生まれる。だから、私たちは景色づくりを通して、コロナ禍で停滞してしまった旅人の多い世界を取り戻し、明るい未来をつくりたいと思っています。

会社のミッションも、「新しい景色を作る」×「旅多き世界のために」と定義し直しました。
武藤さん
「景色」という単語、いいですね。わたしは旅をする側として、現代ではすごく「日常の景色を増やしたい」という目的で旅をする人が増えてると感じているんです。

これまでの旅は、非日常の景色を求めて移動をするのが当たり前でした。でも、いまの人たちは旅に日常を求めている。私が小諸に拠点を移したのも、都会と田舎の日常のいいとこ取りをして、自分が見える景色を広げたいからだったんですよね。

同じように、日常の拡張を求めて旅する人は多いですし、だからゲストハウスのような「オーナーさんの視点で地域の日常が見れる」場所はすごく価値があると、旅人目線で思います。
石崎さん
すごくわかります。
飯室さん
非日常ではなく日常、つまりお祭りのような「ハレ」だけではなく、実際どういうふうに暮らして営んでいるかという「ケ」の部分がやっぱり見たいと。たしかにそういった形で地域に片足を突っ込みたい方がゲストハウスに多くいらっしゃると思いますし、その時点でもしかしたら観光と移住のあいだなのかもしれませんね。
武藤さん
いまはまだ観光と移住のあいだを表す言葉ってないかもしれませんが、この先2〜3年で新しい言葉が生まれそうな気はします。
飯室さん
時間がきたので、最後にこのセッションをまとめようと思います。ここまでお話したように、コロナ禍などで滞在のあり方が大きく変わっています。ワーケーションなどで複数拠点を行き来するハードルは本当に下がりましたし、家を買ったり借りなくても、ゲストハウスなどを拠点に「アドレスホッピング」つまり様々な場所を転々としながら生活することが可能になりました。

なんとなく「観光だけでは物足りない、でも移住は重たいな」と思っている方も、まずは肩肘はらずにWi-Fi環境が整った場所や、山の見える温泉などを訪れてみれば良いのではないでしょうか。きっと、自分に適した働き方・暮らし方・住まい方が少しづつ見えてくるはずです。

石崎さん、武藤さん、ありがとうございました!

トークセッションのアーカイブ動画も公開中です。
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撮影:タケバハルナ
編集:小林拓水