移住したくなったら

「共生に必要なのは隣人への想像力」県外出身、30歳の記者が見た長野と外国人

「共生に必要なのは隣人への想像力」県外出身、30歳の記者が見た長野と外国人

五色(いつついろ)のメビウス」は、長野県内に住む外国人が置かれた苦境をさまざまな角度から伝えるべく、信濃毎日新聞が2021年1月から半年にわたって展開したキャンペーン報道です。優れた報道・言論活動を行った団体や個人を表彰する複数の報道賞を受賞。このたび書籍化もされています。

取材・執筆は、専属の連載班6人(デスク1人、記者5人)が分担して行いました。その中で、2020年8月に小諸市内の畑で起きた落雷事故の事後取材を担当したのが、入社9年目、30歳の竹端集(たけはな・あつむ)記者です。

事故当日は、気象警報が出されるほどの猛烈な豪雨。にもかかわらず、収穫作業の続行を強いられた外国人労働者2人が、雷に打たれて命を落としました。ショッキングな内容に、読者からはひときわ大きな反響があったといいます。

2021年1月24日 朝刊

彼ら外国人は、長野に住む(予定の)人にとって日本人となんら変わらない隣人であり、言葉や文化の違いを超えてどう共生していくかは大切な問題です。県外から移住する立場の人からすれば、同じ「よそ者」として、外国人の側に自分を重ね合わせて考えることもできるかも知れません。

自身も神奈川県出身の「よそ者」でありながら、長野に移り住み、地元紙の記者という道を選んだ竹端記者。「長野の外国人」、そして「外国人の住む長野」は、彼の目にどう映ったのでしょうか。

コロナ禍の地方移住。一番困っているのは誰か

--なぜこのテーマで連載をすることに?

信濃毎日では、テーマを決めて取材する半年間の長期連載を毎年行っています。今回は当初、コロナ禍で注目された「地方移住」をテーマに取材しようということで話が進んでいました。

--奇しくも『SuuHaa』と同じ「移住」がテーマになるはずだったんですね。

ただ、移住がテーマと言っても新聞報道である以上、社会が抱える「問題」としての側面を取り上げなければ意味がありません。そこで、東京での暮らしになんらかの困難を抱えており、そこから逃れるために移住した人を探し始めました。

ところが見つかったのは、ある程度経済的に恵まれた人が、自然豊かな環境を求めて富士見町や原村、軽井沢や御代田町などに移り住んできた例ばかり。これでは連載にならないということで、いきなりつまずいてしまったんです。

--思いのほか困っている人が見つからなかった。

そこでもう少しフォーカスを広げてみようかという話になった、そんなタイミングでたまたま起きたのが小諸市の落雷事故でした。

この事故では、激しい雷雨の中、農作業にあたっていたスリランカ国籍の男性とタイ国籍の女性の二人が、雷に打たれて命を落としました。

調べていくと、当日の天候は地元の人も身の危険を感じて絶対に外に出ないほどの荒天だったこと、雇い主の男性が賃金や労働時間などの条件を明示せずに働かせていた疑いがあることなどもわかってきました。

また、高原野菜の栽培地帯などに目を向けると、一部の外国人技能実習生が日本人とはまったく異なるひどい待遇で働かされている実態なども見えてきました。

改めて言うまでもなく、彼ら外国人だって「移住者」のひとりです。人口減少社会にある日本においては大切な労働力でもあり、今後は一層増えていくことも確実視されています

この問題を放っておくわけにはいかないのではないかと考えたところから、外国人にフォーカスして取材を続けることになりました。

実習生、在日、外国人妻。困りごとはそれぞれ

--連載にはたくさんの外国人が登場します。事件事故という明確な端緒があった例を除いて、取材対象者をどうやって見つけていったのですか?

ひとくちに外国人といっても、出身国も職種も在留資格も本当にさまざまです。それに伴い、抱える困難も、取材の糸口も変わってきます。

たとえば長野の基幹産業である農業や製造業は、日本人の労働力が不足して久しく、外国人技能実習生によってなんとか成り立っている現状にあります

名目上は「実習生」なので、彼らにはいわゆる職業選択の自由がありません。在留資格3~5年の有期雇用だから切り捨てにもされやすい状態にあるのです。こうした背景があり、中にはひどい労働環境で働かされている実習生がいます。

残念ながら県内には彼らが頼れる民間の支援団体がありません。また、職場と宿舎、買い出しに訪れるスーパーをひたすら往復する生活を送っているため、地域の日本人とのつながりも乏しい。

なにか困難な目に遭ったら、頼るのは東京の支援団体以外にありません。ですから私たちの取材もそちら経由で糸口を探すことになります。

一方で、私が担当した落雷事故の被害に遭ったタイ人の方々などは、比較的古くから日本にいる人たちです。

周辺には地域に根付いた同胞のコミュニティや、日本語学校や支援団体などもありますので、そういう方々に助けてもらいながら取材を進めていきました。

--落雷事故では、遺族の方にも取材していますね。

遺族とはフェイスブックにコメントを書き込むことで接触を持ちました。コロナ禍で現地取材はかなわない時期であり、SNSやZoomには随分と助けられました。

また、個人的には今回の取材に入る以前からタイ人の方が営んでいる飲み屋さんに出入りしていました。仕事でストレスを感じた夜などに、誰に対してもオープンな彼ら彼女らと接することが、ある種の癒やしになっていたんです。

その時の人間関係が思わぬところで役に立った面もありました。

「優しくしてなんて言わない。ただ、想像して」

--古くから住んでいる外国人は、どうやって長野にたどり着いたのでしょうか。

それも本当にいろいろです。

たとえば佐久や小諸などは、かつて繁華街が華やかだった時代がありました。こうした地域には1980年代、「興行」ビザのフィリピン人女性がダンサーという名目で、実質的にはお酌をする存在としてたくさん移り住んでいます。

あるいは、90年代には農家の跡取り男性の結婚相手が不足していた時期があり、自治体や公的機関が後押しするかたちで「アジアの花嫁」が長野にやってきました。

また、日系ブラジル人の移民が多いのも長野の特徴です。

1998年の入管法改正以降に入ってきた彼らの多くは、製造業に従事しています。リーマン・ショック後に一斉に解雇されるなど「調整弁」として扱われ、不遇をかこっている彼らの問題は、連載の4章で詳しく報じています。

2021年2月17日 朝刊

--紙面で取り上げられるのは、外国人の中でも特に困っている方々だと思うのですが、実際のところはどうなのでしょうか。幸せな人が大半なのか、それとも一様に苦しんでいるのか。

たとえば技能実習制度は、途上国への技能移転など名ばかりで、実質的には安い労働力を買い叩く悪法だとよく批判されます。

けれども、実習生側の多くが「出稼ぎ」感覚で来ているのも事実。彼らが重視しているのは「いくら稼げるか」であり、お金さえもらえればそれで満足という人も実際には多くいるようです。

ですから「切り取り方が極端なのでは?」と言われれば、そうかも知れません。

ただ、私が取材を通じて見てきた限り、長く定住している人たちが日本での生活に大なり小なり苦労しているのはたしかなことのように思います

一番わかりやすいのは言葉の問題です。そして文化の違いもあります。さらに、日本人と結婚すれば義理のお母さんとの問題。子供が生まれれば外国人だという理由で学校でいじめられることもあります。

制度や仕組みの問題とは別に、長野、あるいは地方に顕著な保守的な価値観も、彼ら外国人を苦しめる一因になっているかも知れません。

2021年2月13日 朝刊

--どういうことでしょうか。

私自身はそこまで感じたことはないのですが、地元生まれの先輩記者の中には「長野の人たちには学歴や経歴を重んじたり、よそ者を快く思わなかったりする保守的な気質がいまだに強く残っている」と言う人もいます。そのことが外国人を下に見る差別意識につながっている可能性があるという指摘です。

もちろん長野に住む人がみんなそうだという話ではありません。若い人を中心に「こんなことをしていてはダメだ」と、外国人の待遇を自主的に改善していく動きもあります。ただ、頭でわかってはいても、人が価値観を変えるのは一朝一夕にはいかない部分もありますよね。

そんな中、取材で出会ったある中国人の言葉が強く印象に残っています。その人が言っていたのは「優しくしてほしいなんて言わない。ただ、想像してほしい」ということでした

大好きな故郷を捨てて、借金をして、言葉も通じない異国に単身移り住み、まったく新しい生活を始める……。自分ごととして少しでも想像してみれば、そのことに伴う困難がわかるはず。そうすれば自ずと接し方も変わってくるはずだと、その人は言いたかったのだと思います。

2021年5月30日 朝刊

最後まで寄り添うのが地方紙の責任

--状況を改善するには、私たち一人ひとりがもっと想像力を働かせる必要があるというお話でした。一方で問題の大元は制度や仕組みにあり、やれることに限りがあるのも事実ですよね。地方紙として、そのジレンマとはどう向き合いますか。

おっしゃるように、そのジレンマはあります。

今回の連載では、そこへのささやかな抵抗ではないですが、「改善していくにはこうしていけばいいのではないか」という我々なりの提言をさせていただきました。単に取材を通じて知った事実を伝えて終わる、というのではなく。

--読んでいて、いい意味で「新聞らしくない」印象を受けました。

どこまで実行力があったかはわかりませんが。それが取材をさせてもらった我々の責任だと思ってのことでした。

地方紙のフィールドは、全国紙と比べて良くも悪くも狭いです。我々で言えば、この信州に限られている。でも、狭いがゆえに、全体を把握した上で個別の事象に向き合うことがしやすいし、深堀りしやすい側面もあります。それは全国紙と比べた時の、地方紙の優位性ではないでしょうか。

フィールドが限られているということは、いわゆる「書き逃げ」はできないということでもあります。ある人の問題を糾弾したとして、その人との関係は翌日以降もずっと続いていくわけです。

でも、だからといって筆を鈍らせてはいけない。書くべきことは書くのだけれど、書く以上は周辺も含めてしっかりと取材するということ。その結果としてクオリティが上がるところもあるのかな、と。今回の連載で報道賞をいただけたのも、そういうことだったのではと思っています。

そして「切って終わりではない」というのが信毎のスタンスです。問題を指摘するだけでなく、そこからどういう方向に進めば良くなるのか、最後まで寄り添って考えるのが地方紙の役割だと考えています。

知らない長野を知る過程は純粋に面白い

--竹端記者個人としても、今回受賞したこともあって、今後もこのテーマから逃れられなくなるのでは?

それはむしろありがたいことだと思っています。

連載終了後に経済部に異動になり、当初は離れる以外にないのかなと思っていたんです。でも、現在は「労働担当」の名にかこつけて、細々とではありますが、個人的にこのテーマを追い続けています。

たくさんの辛い思いをされた方と接した今回の取材が、とてもハードなものであったことは間違いないです。でも、誤解を恐れずに言えば、自分の知らない長野のことを知っていく過程が純粋に楽しくもありました。

私は2014年の入社以来、伊那、小諸、長野で勤務してきました。小諸支局時代は、車を運転しているといつも浅間山が目に入り、夏は緑、冬は白と、季節ごとに表情を変える景色に癒やされていました。

また、長野の人は都会の人のようにビジネスライクではない。いい意味で「なあなあ」なところに温かさを感じてもいます。一人の「移住者」としてこれまでに見てきた長野は、そういう場所でした。

ところが今回の取材では、それとはまったく違う長野の一面を知ることになりました。

「えっ? こんな山奥にも外国人が住んでいて、自分が長野に来るはるか前から、コミュニティを作っていたんだ!」という驚きの連続。歴史を紐解いてみても知らないことばかりで、そこに面白さを感じていました。

社会の「問題」としての側面に目を向けてほしいのはもちろんですが、読者の方にも、まだ見ぬ長野のそういう横顔部分を新鮮に感じていただけていたらいいなと思っています。